舞台は1948年、ソ連統治下のアルメニア。無実の罪で収監されたアメリカ人。彼はただ、生きることを楽しみ続けた――。世界各国の映画祭で19の賞を受賞した映画『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』が、大ヒット上映中です。

ウッドストック映画祭長編映画賞・審査員賞・ハワード・ウェクスラー賞受賞、ハンブルグ映画祭観客賞受賞など世界各国の映画祭で19の賞を受賞している本作は、どんな過酷な状況でも常に生きる希望を失わない、珠玉の没入型ハートフルムービー。監督・脚本・主演を務めたアルメニア系アメリカ人のマイケル・グールジャンさんにお話を伺いました。

――素晴らしい映画をありがとうございます!お一人で監督・脚本・主演を務められていますが、主演も自身でやろうと思った理由はどんな所にありますか?

実は、元々は違う役者を探していました。映画への出資者を募りながら、より知名度のある役者を探していたんですけれども、本当に心を込めた作品ですし、自分の一部である作品でしたので、「僕が演じてはどうか」と提案したら、出資者の方もプロデューサー陣もそれに賛同してくれました。結果的にそれがベストだったんじゃないかなと思います。撮影し始めたのが2020年、ちょうどコロナ禍の時でしたので、アルメニアから他の場所に出られなかったんです。他の役者をもし選んでいたら、おそらくこの作品は完成しなかったであろうと思います。

――お祖父様がジェノサイド犠牲者でいらっしゃいますね。

この作品は、1つの人物の体験を基にしているわけではなくて、多くの人々の体験を組み合わせて作り上げた物語なんですね。歴史的フィクションというよりは、群像劇に近いと考えています。当時の歴史をベースに書いていてそのエッセンスは入っていますが、中心となるストーリーはチャーリーと看守の話です。祖父と1つだけ関連している部分がありまして、それが冒頭の少年が箱に入れられて大虐殺を逃れるというシーンです。祖父が、今トルコとなっている村の出身で、トルコ人たちが祖父を箱に入れて大虐殺から逃れる手助けをしてくれたそうです。家族で唯一生き残ったのが祖父だけだったのです。

映画の中で、チャーリーがひどい体験をしても常に前向きで希望を持って生きていますよね。まさに祖父がチャーリーの様な人物だったんです。祖父には「いつも笑顔でいるように」「友達をたくさん作るように」と言われていました。素晴らしい人物でしたから、映画の最後に「祖父に捧げる」というメッセージを入れています。

――素晴らしいお話をありがとうございます。本作制作の上で一番大変だったことは何ですか?

誰でもそうだったと思うんですけれども、コロナ禍で生活ががらりと変わってしまいましたよね。でも私はコロナ禍があったから良い作品が出来たとも思っています。例えばその映画に関わってる人、キャスト、クルー全て含めて100人以上いるわけですけれども、通常の状況であれば撮影もあくまで仕事の一環として参加している認識になります。でもコロナ禍で映画作りに参加するということで、仕事以上の気持ちがみんなに生まれていったのですね。自分が持っているものを全て捧げたいという意識が高まったと思います。映画作りへの情熱とか芸術への愛とか、そういうものはお金で買えないものであって、この作品にとって大きな贈り物になったと思います。
僕自身も撮影しながら、何度も完成出来ないんじゃないかと思ったのですが、ピンチをチャンスに変えていって、なんとか最後までこぎつけました。

――ピンチの時にも希望を見出すという姿勢が、この映画のテーマとも通じているなと感じます。チャーリー側の視点はもちろんですが、その他の人物たちの描写がとても丁寧で、例えば看守のティグランが上司からの命令でチャーリーを殴らざるを得ないシーンなどは、心からの苦悩が伝わってきました。

今の世界状況もそうですが、お互いを傷つけ合いたいわけではないのに、そうせざるを得ない状況に追い込まれていますよね。当時のアルメニアもそうでした。ティグランがチャーリーを殴るシーンは、本当に辛いシーンだったんですけれども、あれが真実なので必要でした。ティグランを演じてくれたホビク・ケウチケリアンはスペイン人なのですが、コロナ禍の影響で撮影途中にスペインに戻らなくてはいけなかったんですね。この殴るシーンは、スペインから再び撮影に戻ってきてのシーンだったのですが、本当に戻ってくるのが大変だったんです。

辛いシーンでありながら、「彼が戻ってこれたから嬉しい」という気持ちもありましたし、「これで最後まで映画の撮影が出来る」という喜びもありました。その様々な感情が演技にのって、何とも言えない雰囲気を作っていたと思います。

――本作を経て監督が今後挑戦したいこと、作ってみたい作品はありますか?

今後はアルメニアに関する、もしくはアルメニアで撮った作品を世界に出していきたいです。小さい国ですし、存在すら知られていない所もあると思います。過去に起きた悲惨な出来事からは目を背けがちですが、それ以外にも、美しいものも文化もアートも、人々が感じている喜びも数多くあるんですね。そんな所を知っていただける様に、本作の様な映画を作り続けていきたいと思います。映画というのは国の文化、その国の人々を表現するのにとても適切なメディアだと思います。

──不勉強で恐縮なのですが、アルメニアで作られた映画は少ないのですか?

そうですね。国内で作られてる作品は少ないです。国内に暮らしているアルメニア人が200万人だとしたら、海外で暮らしているアルメニア系の人が800万人いるので、国内での活動は大人しくなりますよね。ソ連の一部だった頃は良い映画が何本か作られていたんですけれども、崩壊してからその流れもは途絶えました。
この作品が若い人にインスパイアを与えて「僕たちにも映画が作れるんだ」という流れを作っていけたらと思っています。「映画作りの環境が整っていない」といった言い訳をせずに、この作品を見て「可能なんだ」と勇気付けられたら。それが僕にとって何よりも嬉しいことです。

――素敵なお話をありがとうございました!

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情報提供元: ガジェット通信
記事名:「 無実の罪で収監されても生きることを楽しむ――『アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓』監督・脚本・主演マイケル・グールジャン インタビュー