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突然、人類滅亡を救う唯一のキーワード《TENET(テネット)》の謎を紐解く任務を与えられた主人公・名もなき男。 全人類を救うため、時間のルールから脱出し、第三次世界大戦の危機に立ち向かっていく様を描く、 本年度最大の問題作『TENET テネット』が公開中。 コロナ禍以降、初の洋画超大作として、9月18日(金)から全国488スクリーンの劇場で封切られた本作は、 2週連続週末興行ランキング1位獲得!10月1日までの累計では興行収入13億6108万1150円(観客動員数742,190名)の大ヒットを記録しています。
「難しい…でもすごい!」「2回は観ないと」「分からない部分も多いけど圧倒された」と、映画公開直後から、難しさと面白さの興奮の声がネット上にあふれています。筆者ももちろん完全に理解できてはおりません。
というわけで、今回は本作の字幕科学監修を行い、映画パンフレットにも寄稿(最高の解説です!)、ご自身もクリストファー・ノーラン監督の大ファンという東京工業大学理学院物理学系助教の山崎詩郎先生に、本作の魅力、解説をとことん聞いてきました。
山崎詩郎先生(物理学者/東京工業大学理学院物理学系助教)
東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。博士(理学)。量子物性物理学の研究で日本物理学会第10回若手奨励賞を受賞。インターステラーを相対性理論から解説する会を100回近く実施、東京学芸大学の量子力学と相対性理論の講師にも抜擢される。コマ大戦優勝を果たしたコマ博士としても知られ、NHK等TV出演多数。著書は講談社ブルーバックス『独楽の科学』。
※以下の記事には『TENET テネット』本編の内容が含まれます。ネタバレを避けたい方はご注意ください※
――本日はよろしくお願いいたします。先生は現段階で何回『TENET テネット』をご覧になっているのですか?
山崎詩郎先生(以下、山崎):5回拝見させていただきました。(取材時の劇場公開前)もしかして、今一番多く『TENET テネット』を観ている日本人かもしれません(笑)。
――5回!頼もしいです。早速なのですが、初めてご覧になった時にはどの様な感想でしたか?
山崎:初めて観た時の感想はですね……「字幕の科学監修をするという」仕事ですから責任感を持って臨んだのですが、「どうしよう」と思うくらい難しかったですね(笑)。クリストファー・ノーランの作品は全て観ているのですが、『インターステラー』が簡単に思えるくらい難易度が高いなと率直に思いました。一方で、『インターステラー』等の作品をも越えてくる衝撃の連続で。時間の逆行など人生で初めて観るシーンばかりでした。脳みそが今まで観たものの経験となんとか結びつけようとするのですが、それが追いつかなくて。そうした驚きと興奮が入り混じっているのが初見の感想でした。
――先生でもそうなのですね。皆さん、安心してください!先生でも初見では「どうしよう」と思ったそうです。
山崎:最初は主人公視点というか、映画の時間に沿って順番に観ていきました。それで「あのシーン何だったんだろう」「これはどういう意味だろう」という疑問が100個くらい浮かんで。
『TENET テネット』は時間が真っ直ぐに行くだけではなくて、時間が折り返して逆行してくるので、相互作用と言いますが、キャラクター同士が時間的にぶつかったりすることもあるわけです。2回目観た時は、「ここは前回観た時のこれじゃん」という感じで、時間のピースがだんだん埋まってきて。一本線では無い、ヘアピンカーブの様なストーリーがだんだんつながっていきました。
3、4、5回目は疑問を少しずつ潰していく感じでした。カーチェイスのシーンですが、初見は「何なんだこれ」で終わってしまっていたのが、2回目は誰がその場にいるのかだけが分かって、3、4回目で4人の登場人物<名もなき男、ニール、キャット、セイター>の行方をダイヤグラムにすることに成功しました。電車の路線図に近い様な形で、誰がどの時間どこにいて、あちらに行ってるフリをしているけど実はここにいた、とかそういう風に図におこしました。5回目はそれらの答え合わせをしたという感じで鑑賞しました。
映画を観ながらメモをとって、暗闇の中で手だけ動かして書くのでぐちゃぐちゃなのですが、赤いペンでびっしり埋まったメモを家でパワーポイントに書き起こして。図も含めてですが、120ページ以上の資料になりましたね。
――5回観てもまだ発見がありましたか?
山崎:そうですね、あります。1回目で出て来た100個くらいの疑問が2回目で半分になって、3、4回観ていくとどんどん疑問が解決されていって、「全然分からない」というのはさすがに無くなっていきます。逆にここは矛盾点だなという所がハッキリしてきたり。
映画の中で「エントロピー」という言葉がたくさん出てきますが、おそらくノーラン監督は本作でエントロピーと時間の向き、「時間の矢」とも言われますが、それらを意識して作品作りしたのだなという事がよく分かりました。主人公が最初に時間を逆行するシーンで、水たまりが出てきます。水たまりを踏んだらビシャッと汚く水が散らばりますが、逆行の世界では散らばった水が集まってきて水面が綺麗に戻ると。あれが「エントロピーが減少している」と言われる状況です。バラバラなものが整然とした状態に戻る、という。あの水たまりのシーン一つとってもノーラン監督はエントロピーを意識して作っている気がしました。
――水たまり一つのシーンにもそこまで……。先生が個人的に好きなシーンはどちらですか?
山崎:主人公が2人で格闘するシーン、カーチェイスなどアクションシーンはもちろん見応えがあったのですが、個人的に好きなのは後半の<時間挟撃作戦>でビルを破壊するシーンです。順行チーム視点だと最初に壊れたビルの下部が突然復活して上部を爆破する、逆行チーム視点だと最初に壊れた上部が突然復活して下部を爆破する。あのビルは過去でも未来でも破壊されていた、ということになるんですね。破壊の現象が同じシーンに2回入っているというのが、『TENET テネット』全体でもあのシーンだけでして。専門用語では<二次のダイヤグラム>と言ったりするのですが、それが映画の中で観られたというのはおそらく世界で初めての事だと思うので、とても楽しかったです。『TENET テネット』のエッセンスが全てつまっているなと思うシーンでした。ストーリーにはあまり絡みが無いので、翻訳家の方と打ち合わせの時に「全然気にしていなかった」と言われて、そうだよなと思ったりしました(笑)。
――<時間挟撃作戦>は、私からすると「赤チーム」「青チーム」と色分けされているのが本当にありがたかったです(笑)。
山崎:あの色分けが無かったらわけが分からないですよね。ノーラン監督は『TENET テネット』を分かりづらすぎるかもしれない、と気にしたのかもしれないな、と。赤と青の色分けとか、<時間挟撃作戦>のシーンは音楽も順行チームと逆行チームで分かれていまして、逆行チームに切り替わると逆再生した様な音楽になるので、なんとなく耳でも「今はこちらのチームなんだ」と感じることが出来ると。また、雪が降っているシーンでは、逆行時には雪が空に上がっていくので視覚的にも分かりやすく工夫しているのかなと感じました。
――『TENET テネット』は難しい作品だと思いますが、そういう部分で監督もエンターテイメント性を確保しようとしていたのかもしれませんね。
山崎:それが全然十分じゃなかったかもしれませんが(笑)、面白いですね。
――先生は映画公式サイトへ寄せたコメントの中で「素粒子の擬人化」という表現を使っています。こちらについて詳しく聞かせていただけますか?
https://wwws.warnerbros.co.jp/tenetmovie/campaign/?page=l-comment [リンク]
山崎:我々の世界は<原子>という粒で出来ていて、人間の体も炭素原子、水素原子などで構成されています。全部の原子はいわゆる<普通の粒子>と言われているものでして、ごくごく普通なのですが、世の中にはその普通の粒子と反対の性質を持っている<反粒子>というものが存在しています。例えば、<電子>は普通マイナスの電気を持っているのですが、反粒子はプラスの電気を持っていて<陽電子>と言います。本作の中でニールが陽電子について話しているシーンがありますが、反粒子は時間を逆に進んでいるととらえられているんですね。量子物理学の教科書には、<普通の粒子>が折り返して<反粒子>になるようなダイヤグラムが載っているのですが、この“折り返す”所が『TENET テネット』の回転扉にそっくりなんです。
普通の粒子が反粒子になって逆行して戻ってくる、これが順行の世界から回転扉に入って逆行になって戻っていく、というのが似ているなと思いました。ノーラン監督がこれらの事を意識して作ったかというのは分からないのですが、『インターステラー』に続いて理論物理学者のキップ・ソーンが本作にも関わっているので、もしかして素粒子をモチーフとして扱っているのかもしれません。粒子の奇妙な動きをよく人でやろうと思ったなと、こういう部分がノーラン監督が天才と称される所以なのかな、と感じています。
――難しいお話ですがとても面白いです……!
山崎:主人公が初めて回転扉に入った時なのですが、あの時は「扉の中に誰もいない」と確認したのに、突然2人飛び出してきますよね。最初に観た時はビックリしたのですが、何度か観ていくうちに、あれは専門用語で<対生成>という、光が飛んできて、時間に順行する粒子と逆行する粒子が同時に飛んでくるという現象にソックリなんですね。
また、タリンの回転扉のシーンで、青の部屋と赤の部屋にセイターが2人いて、追っ手から逃げようと2人同時に回転扉に入り消えてしまうという場面があります。あれは普通の粒子と反粒子がぶつかってある意味<対消滅>しましていなくなってしまうという。主人公は<対生成>、セイターは<対消滅>と、昔勉強した量子物理学の教科書に載っていたダイヤグラムをそのまま演じている様だなと思って観ていました。
――とても素人な質問で恐縮なのですが、本作の様な逆行の世界が実現することはあり得るのでしょうか?
山崎:真面目に答えちゃうと……、無理ですね。時間ってすごく不思議で、138億年前に宇宙が生まれてから一度も向きを変えずにずーっと今日まで来ています。空間だったら、例えばコップをこうやって右から左に動かす、という感じで順行することも逆行する事も簡単に出来るのですが、時間だけは順行の動きを変える事が出来ないのです。それはどうしてなのかというのは、現代物理学の最先端でもよく分かっていないのです。人によっては、仕方ないから時間なんて存在しないものとする、とまで言っていたり(笑)。なので時間の向きを逆にするというのは無理だと考えています。これが一つの答えです。
一方で、量子力学のミクロの小さな小さな世界では、時間を順行したり逆行したりする瞬間が頻繁に起きているとも言われていまして、<ゆらぎ>と言われます。電子や粒子というごくごく小さい世界では時間の逆行が起こっているとも言われていますが、私たち人間が逆行出来るかというとそれは無理だと考えます。なので映画の世界でしか体験出来ない事で、それを実現してしまったのがノーラン監督だと。
――時間って本当に不思議ですね。それが映画の様に逆行出来てしまったら、それこそ核戦争よりも恐ろしいという。
山崎:戦争は自分たちの国を守る為に起きてしまいますが、本作で恐れられている戦争は現在と未来の敵対ですよね。セイターが「環境破壊などによって未来の地球は人間が住めなくなってしまう」と言いますが、未来人はこの先の未来がもう無いので過去に戻ろうとするわけですね。小さな島で戦っていて、崖に追い詰められた人は、諦めて崖から落ちる人もいるかもしれませんが、多くは命がけで振り返って戦うわけですね。それの時間ver.を未来人は体験しているという。
順行に生きている人と逆行の人が戦った時に、普通に考えたら順行に生きている人が有利なんですね。時間は順行に流れているので。でもそれを世界ごと逆行にしてしまおうと、たくらんでいるのが、未来人達が使っている<アルゴリズム>なんです。私も体験してみたいと思いますが、現実的に考えるとちょっと無理ですね。
――素人質問その2です。『TENET』の逆行とタイムマシンはどう違うのですか?
山崎:この違いはよく聞かれるのですが、タイムマシンはワープの考え方に近いんですね。今私たちは東京にいますが、大阪までピッと一瞬でワープする。2020年から2000年にピッとワープする、タイムトラベルものというのはその様に瞬間的に時間をワープします。本作はそれとは全く違って、本来の我々の感覚に近いんですね。例えば、私は今日駅から5分かけてここまで歩いてきて、取材が終わったらまた5分歩いて駅に戻ります。映画の「回転扉」はその感覚にすごく近くて、ワープするのでは無くてちゃんと時間をかけて歩いている。「回転扉」は“振り向いている”だけであって、自分の足で時間を戻らないといけない。1分は1分、1時間は1時間過ごさないといけない。10日前に戻るためには10日間じっと隠れて過ごさないといけない、そんなシーン達が映画のストーリーにリアリティを与えていると感じました。
――先生の様な物理の専門家の方が惹かれるSF作品は他にありますでしょうか。
山崎:やはり『インターステラー』ですね。相対性理論というとっつきづらい学問を、専門家まで招いて、ブラックホール、ワームホール、5次元空間というものを描いたという。見た目重視では無くて、あくまでもリアルを追求した上でエンターテイメント性を加えているという。エンタメ を科学に寄せて“見た目だけはすごい”というのでは無く、逆にすごく地味な数学や科学の世界をエンタメに寄せていくという、ノーラン監督の考え方を強く感じる映画だと思いました。説明のしがいのあるとても魅力的な作品です。
実は私、インターステラーが好きすぎて、世界最大のIMAXシアターで一目見るためだけにシドニーまで日帰り旅行したことがあるんです。お昼にシドニーに到着して映画を169分見て夜には空港に帰るという。映画一本に15万円もかかりました(笑)。それからインターステラーを50回程度見て、インターステラーを相対性理論から解説する会を100回ぐらい行いました。これがきっかけて本作の字幕科学監修に関われたわけです。SNSでは「人生最高の幸せ」とまで言ってしまいましたが、15万円の元が取れたかどうかはわかりません(笑)。
今回の『TENET テネット』も、量子力学の様なエッセンスを持って、「エントロピー」といった言葉を言葉だけでは無くシーンに落とし込んでいる。物理には2つの柱があって、『インターステラー』は相対性理論、『TENET テネット』は量子力学や熱力学を完全では無いにせよ映画化してくれたので、極論を言えば、物理学の2つの柱を両方映画化してくれたと。本当に素晴らしいですね。
――ノーラン監督のことが改めてすごいと今実感しています!
山崎:なんでこんなにノーラン監督のことが好きなのか自分で考えたことがあるのですが、尊敬している人物が一緒なんです。カール・セーガンという天文学者がいて、70年代に宇宙とか科学の話をとても分かりやすくテレビなどで紹介していた方です。ある本の中でノーラン監督もカール・セーガンの影響を受けたと書かれていたので、映画クリエイターではあるのですが、幼い頃から科学好きという部分があって物作りをしているのだなと。なので科学やSFが大好きな私みたいな人間からすると、他の映画とは違う魅力をとても感じるのです。
――先生は何がきっかけでこの分野に興味をもたれたのですか?
山崎:子供の頃からなのですが、最初は宇宙が好きだったんですね。望遠鏡で空を観察したり。だんだん世の中の仕組みがどうなっているんだろう、と考える様になって、「原子とはどういう仕組みなんだろう」、「原子の中のクォークはどういうルールで動いているのだろう」、とミクロの世界に興味を持つようになりました。極論を言えば「ミクロの中で起こっている事のルールが分かれば、世の中のルールが分かるはずだ」という考えで物理学者は研究をしているんですね。「Theory of Everything=全ての理論」と言いますが、そういう部分に魅力を感じました。後は、何よりも常識をはるかに超えた奇妙な世界がミクロにはあるという所です。壁をすり抜けてしまうとか、2つの場所に同時に存在するとか、海外旅行の究極版みたいな感じですね。私は自分の住んでいる場所とは全然違う場所に行って、異分野体験をするのが好きで、海外旅行に30ヶ国以上行っているのですが、それ以上の体験がミクロの世界では出来るんです。
――自分が見た事が無い事が、ミクロの世界では自分や自分の周りに常に存在しているということですね!
山崎:そうなんです。そこがノーラン作品より、ある意味優れている部分だと思います(笑)。ノーラン作品は本当に大好きなのですが、SFなので言ってしまえば空想なわけですね。でもミクロの世界は現実なわけです。
――『TENET テネット』の話と離れて恐縮です。量子力学のエッセンスが取り入れられているというと、マーベル作品の『アントマン』『アントマン&ワスプ』がありますが、先生はどうご覧になりましたか?
山崎:私は『アントマン』は映画として好きですしとても楽しんだのですが、量子力学的にいうと、量子力学をモチーフにクリエイターの方が自由に作ったアートだと思っています。それが悪いというわけでは無いですよ。量子力学的な映像をあそこまで芸術的にエンタメ作品に取り入れたのは『アントマン』が最初だと思いますし、そもそも『TENET テネット』だって学問的には間違いだらけなんです。あえてそうしたんだなという部分もあります。例えば、逆行の世界では空気が吸えないとなっていますが、そんな事は実際無いわけです。でもマスクがあった方が先ほどの赤と青の色分けの様にストーリー的に分かりやすい部分もあると思います。誰が逆行か一目でわかる目印のようなものですね。映画の中でニールが最後に「reality」だと言っていましたが、とにかくリアルを追求しながらも、エンタメ作品としても完成されている。それがノーラン作品のすごさだなと思います。
――今日は本当に何から何まで勉強になりました! そして先生のお話を聞いた上で『TENET テネット』をまた観てきます。本当にありがとうございました。
『TENET テネット』大ヒット上映中
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