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常陸介邸から二条院、そして三条の小さな隠れ家と、転々とする浮舟。彼女が所在ない思いをしていた頃、薫は宇治に建設していた御堂が出来上がったと聞いて出かけました。
随分久しぶりの宇治です。御堂と建て替えられた寝殿は立派に出来上がっていましたが、かつて八の宮が暮らしていた頃の雰囲気は消えてしまい、薫にとってはそれもまた悲しみの種。水の流れは変わらないのに、どうして愛しい人の面影はとどめておけないのか。涙を拭きながら弁の部屋に来ます。
「そういえばあの“人形の娘”(浮舟)だが、最近は二条院にいるとか聞いた。でもやっぱりそこへ忍んでいくのもどうかと思って、それきりだ。やはり弁からとりなしてほしいのだが」。
弁も同情しながら「それが、先日あの姫の母君から連絡がありまして。方違えで今は三条の小さな家に隠れ住んでいるとか……。「宇治に身を寄せたいが、山道が大変だと思うと実行できない。もう少し京と宇治が近ければいいのに」などと言っていました」。
「僕はその大変な山越えをして、幾度となくここへ来ているんだよ。これもやはり前世からのご縁だろう。ぜひ弁から手紙を出してくれ。いや、京に行って直に伝えてくれないか」。
しかし弁は尼さん、俗世との関わりを断つと誓いを立てた身です。ましてや男女の仲を取り持つために上京するのは憚られます。
そう言って渋る弁に、薫は珍しく強気で押して「じゃあ、明後日くらいに迎えの車をやらせるから」と、ニコニコしながら決めてしまいました。おや?
暗くなる前に薫は帰京。以前なら一晩泊まって昔話ということも出来ましたが、もう気楽な独身ではありません。帰りを待つ妻の女二の宮のため、薫は美しい紅葉の枝や、秋の草花をお土産にします。
薫は女二の宮を大切にしていましたが、それは主従関係に近く、リラックスとは程遠いもの。むしろ宮仕えの延長のようです。家庭の息苦しさの中で、癒やしを求める薫は、ますます大君に代わる存在を手に入れたいと思います。
薫の差し向けた迎えの牛車に乗り込み、弁は浮舟の隠れ家を訪れます。道中の景色を見るにつけても、若い頃からのあれこれが走馬灯のように蘇る。薫の父・柏木の乳母子として育ち、九州へ連れて行かれ、再び上京して八の宮一家に仕えるうちに薫と出会った、弁の運命もなかなか数奇なものです。
退屈していた浮舟は弁を喜んで迎えます。父・八の宮のことを詳しく知る人と思うと親しみが持てるし、いろいろ昔話も聞きたい。話し込んで宵の口も過ぎた頃、また誰かがやってきました。
「宇治から来た者です。尼君にお目にかかりたい」。妙だと思って応対に出ると、外は冷たい雨が降りだし、湿った風に漂ってえも言われぬ良い香りが……。
ここで弁は、すべて薫が仕組んだ計画だったと知りました。匂宮と図って中の君を不意打ちしたときと同様、どうも薫のやり口が卑怯に思えるのは私だけでしょうか。
願ってもない来訪ですが、何の準備もないので小さな家は大騒ぎ。薫は浮舟と話したいと頼みますが、彼女もこういう時どうしていいかわからず、オロオロ。
乳母は焦れて「わざわざいらしていただいたのに、このままお帰しするわけには……。ちょっとひとっ走りして、奥様(浮舟母)のお耳に入れて来ましょうか」。弁は「無粋ですよ。今日のところはただお話されるだけでしょう。薫の君はとても慎重なお方ですから」。
こうしてもみ合っているうちにも雨がひどくなり、空は真っ暗。警備の田舎侍が「家の南東側が崩れそうで危ない。お客様の車は、お帰りにならないのなら門の中へ入れて下さい。気の利かない人たちだ」。断りようもないので、薫はようやく席を設けられ、浮舟は女房たちに押し出されるようにして座ります。
ところがどうしたことやら、薫は会話もそこそこに中へ入り込み、二人はここで結ばれます。いつものグズぶりとは打って変わった速攻でした。浮舟はおっとりと彼を受け入れ、薫は可愛いと思います。まったく、どこが慎重なお方なんだか……。
夜明けが迫ります。耳慣れない物売りの声が薫の耳には面白く聞こえます。源氏が五条の夕顔の家で過ごした時も市井の物音に驚いていましたが、薫もこんな事は初めてです。
宿直の侍たちが門を開け、部屋に帰って寝るタイミングを見計らい、薫は家来たちに車を寄せさせ、浮舟を抱き上げて乗り込みました。
乳母以下、女房たちはこの行動にビックリ! 三日三晩男が通ってやっと正式な結婚となるシステムなのに、どこへ行くつもりかと大騒ぎ。おまけに今は9月(旧暦)で、結婚にはふさわしくない月とされています。
弁は「なにかお考えがあるのでしょうよ。大丈夫」となだめつつ「私は今回はご同行しません。中の君さまのお耳に届くこともあるでしょうし、黙って京へ来てこっそり帰ったと思われるのも……」。弁だって、いいように使われてばかりじゃ困ります。
そうだ、中の君にすぐさまこの事が知れてはきまり悪い。何と言っても真面目で軽率さのない紳士という前評判で来たのに、ここで送り狼のようなことまでして、素早く手を出してしまったわけですからね~。
薫は「中の君には後から詫びを入れればいいさ。とにかく見知った人がいないのは心細いから、一緒に」と再び弁に強い、女房も誰か一人付き添うように命じます。
こうして薫、浮舟、弁の尼、そして侍従という浮舟の側近女房を載せた牛車はどこかへ出発。小さな隠れ家に残された乳母たちは、突然の事態に呆然とするのみでした。
行き先も知らされないまま牛車に乗りこまされた浮舟たちは、一体どこに連れて行かれるのか不安です。市中の別な家にでも行くのかと思いきや、付け替える牛の準備までしてあり、どうやら行き先は宇治らしい。
昨日からのショックに打ちのめされている浮舟を、薫は「ここからは大きな石が多くて揺れるから」と抱き上げ、自らシートベルト代わりを買って出ます。薫と浮舟、弁と侍従がそれぞれ隣同士に座り、真ん中には女性用の薄物の衣をカーテン代わりにかけてあるのですが、朝日が差し込みだした車内にその様子がまざまざと浮かび上がりました。
若い侍従は薫を見て以来、そのイケメンぶりにのぼせていたので(なんて素敵)。一方、弁は(本来なら大君さまがこんな風に……)と、こらえきれず泣いています。事情を知らない侍従は(お二人のめでたい門出だというのに、これだからお年寄りってやーね!)。
薫自身も、浮舟を可愛いと思いつつも、あの人の形見と思えば思うほど、涙が溢れて止まらない。そんな薫の様子を見てまた弁ももらい泣きし、侍従はますます(一体どうなってるの?)。確かに、異様な雰囲気です。
鼻をすするほど泣く自分を妙に思うだろうと、薫は「長年、この道をたくさん行き来して、思わず感無量になってしまってね。あなたも少し窓の景色を御覧なさい。ずいぶん引っ込み思案だね」。
浮舟は言われれるがままに、おっとりと窓を覗きます。その目元は大君にとても良く似ていますが、どうにもちょっと従順すぎと言うか、主体性がなさすぎというか……。
(大君は世間知らずで、時にムキになるようなところもあったけど、自分というものがある人だった。思慮深い女性だった)。宇治が近づくにつれ、薫の大君への想いは、空いっぱいに広がるようでした。
宇治へ到着すると、空の上から大君の魂が自分を見ているかのような気がします。(愛しい大君、どこにいますか。あなたへの思いのために、僕はこんなことまでしています……)。大君も、薫がカルマを生み続けるのを残念に思ってるかも。
一方、浮舟は(こんなに急に連れてこられてどうしよう。またお母様にご心配をおかけして……)。それでも、薫が細々と優しく気を配るので、ひとまず安心して邸に入ります。
薫は妻と母に、言い訳を繕って今日明日は帰らない旨を手紙にしたため、部屋着に着替えました。リラックスした薫は一段と素敵ですが、浮舟はかえって気後れして恥ずかしい。でも身を隠すわけにもいかず、ただ所在なく座っています。
浮舟は母の用意した美しい衣装を身につけていましたが、どことなく田舎っぽさが拭えない。(大君はずいぶん着古したものを来ていたが、それでも身のこなしが洗練されていたなぁ。でも髪は豊かで立派だ。女二の宮さまの御髪にも劣らないだろう)。
薫はあれこれと浮舟の品定めをしますが、彼女の今後をどうしたものか。新婚早々、今すぐ自邸に引き取ると外聞が悪いし、かといって母の女房にするのもかわいそう。やはりしばらくはここに居させるしかないか……。弁は「なにか考えがあるのだろう」と思っていたようですが、実は無策。この男、ほんとに思慮深いのか?
とは言え、宇治にはなかなか来られない。しばらく一人ぼっちになる浮舟の気持ちをほぐそうと、薫は八の宮のことなどを話し、コミュニケーションを図ります。ときに冗談も交えますが、彼女はひたすらモジモジしてばかりで、会話が弾みません。まあ、いきなりよく知らない男につれてこられたんだから、しょうがない気もしますが……。
薫は少し残念になってきますが(いやいや、ヘンに下品なのよりはマシ)と自分を慰めつつ、すこし琴や箏を弾きます。八の宮や大君のかき鳴らす琴の音が絶えてしまってから、宇治で楽器を触るのは初めてです。
「宮の音色は、さり気なくもしみじみと心に沁みる、とても美しい音だった。あなたもここでお育ちになったのなら良かったのに。どうしてそんなに遠くにいたんだろう」。
突然のディスりに、楽器の心得のない浮舟はうつむいて白い扇をいじっています。別に悪気はないのかも知れませんが、最初っから見下してる感がアリアリ。でもその透き通るように白い横顔は、やはり大君によく似ています。
(楽器とか、知らないことは少しずつ教えてあげればいいんだ)と薫は思い直し、今度は和琴を取り出しながら「これくらいは手にしたことがありますか。和歌でも“あはれ吾妻(あがつま・あづま)”などというでしょう」。
和琴は日本特有の琴で、東琴とも呼ばれます。かつて九州にいた玉鬘も、少し和琴を習っていました。浮舟は「その吾妻(東)では和歌もよく聞いたことがありませんでしたのに、ましてお琴は……」。琴の名にかけたなかなか気の利いた返事で、恥ずかしがり屋だけどバカではなさそう。しかし薫の口からはまた意外な言葉が出てしまいます。
「楚王台上夜琴声……」これは白い扇にまつわる中国の故事をもとにした漢詩で、そもそも夏の扇のように入り用な時は重宝されるけれど、秋(=飽き)来たら用済みとなる事を恐れた後宮の女をうたったものなのです。
薫は(しまった。よりにもよってなんて詩を!)と思いますが、浮舟はもとより、侍従にも意味は通じていない様子。
教養のある女房であれば「そんな詩は縁起でもありませんわ」とか「白い扇を別なものに代えましょうか」とかツッコんでくれそうな所ですが、侍従は(なんかイケメンが教養のあることを仰ってる、素敵!!)位にしか思っていません。常陸介邸では弓比べは盛んでも、漢詩の会などは開かれなかったのでしょう。
こうしたさまざまな違いが、少しずつ薫の心を虚しくさせていた頃、弁の方から果物と、きれいな紅葉や蔦などを織り交ぜて届けてきました。敷いてある紙になにか書いてあります。
「やどり木は色変はりぬる秋なれど 昔おぼえて澄める月かな」住まわれる方は変わりましたが、昔を思い出させる月ですね。
大君と、浮舟。いかによく似ていても、やっぱりこの人は大君ではない…。「里の名も昔ながらに見し人の 面がわりせる閨の月影」。宇治(憂し)の名も月の光もかわらないが、私のお相手だけが変わってしまった。最初から埋められない溝を抱えた二人の関係はこうしてスタートします。
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか