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今回は岡田 悠さんの『note』からご寄稿いただきました。
イランに行った。アメリカから経済制裁を受けている話題の国だ。最近も原油に関する制裁第2弾が始まったり、制裁に違反したとしてファーウェイのCFOが逮捕されたことが大きく報じられた。
「ファーウェイCFOがカナダで逮捕。米国からの要請、対イラン制裁に違反した疑い」2018年12月6日『engadget日本版』
https://japanese.engadget.com/2018/12/05/cfo/
イランはトランプ政権からとにかく嫌われており、イランへの渡航履歴があるだけでアメリカ入国が面倒になる。具体的には滞在期間に関わらずビザが必須になるので、ちょっとハワイへ…というだけでビザを求められたり、あるいはFBIのチェックリストに入るという噂まである。何かカッコいい。
よってイラン旅行を検討する際はアメリカの渡航予定と天秤にかけるわけだが、好奇心が勝りイランを選んだ。今後は明日からアメリカ出張とか言われても全然行けませんのでご了承ください。
イランの現地通貨は「イランリアル」だ。現地でしか入手できないので、まず日本からドルを持ち込み、イランでそれをリアルに両替することになる。
今回、僕は大量のドル紙幣を持参することにした。
理由は2つあって、一つは昔ウズベキスタンに行った時に現地通貨が不足し、日銭を切り詰める生活を送ったトラウマがあること。
そしてもう一つが、イランでは経済制裁の影響であらゆる海外のサービスが使えないのだが、国際クレカまでがその対象であること。VISAもMastercardも使えないので、現金不足イコール詰みなのである。
そんなわけで予算以上のドル紙幣を抱えてテヘラン国際空港へと降りたった僕は、すぐにそれを空港の銀行で両替した。職員は時間をかけてドル紙幣をチェックすると、窓口から広辞苑くらいの厚みの札束を放り投げてきた。
領収書の金額は920万リアル。札束は大きく見えるが、事前に調べたレートよりもかなり悪い。ぼったくられた気持ちになったが、リアルは日々レートの変動が激しいので仕方ない。広辞苑をカバンへ押し込み、膨らんだリュックを背負ってテヘランの街へと繰り出した。
テヘランは人口一千万人を抱える超巨大都市だが、なぜか信号がほとんど無い。あったとしても点灯していない。道を渡ろうにも常に車が全速力で走っているので、その間を縫うように高速移動しなければならないのだ。現地人が器用に渡って行くのを真似するしかないが、現地のおっさんが普通に撥ねられているのを目撃したので彼らも命がけのようである。
街を歩いていてもう一つ印象的なのが、海外のチェーン店舗が一切無いことだ。他の中東諸国ではよく見かけるマクドナルドもスタバも無い。以前は一部存在したと聞くが、経済制裁でどの企業も撤退してしまった。まるで半鎖国状態である。
イランの半鎖国状態を象徴するエピソードとしては他にも、恐怖の飛行機がある。イランは国土が広いので飛行機はメジャーな移動手段であり、国内便ではボーイング社の機体を利用しているのだが、なんと制裁によって修理部品を輸入できない状況が続いているのだ。今にも剥がれ落ちそうな塗装によく揺れる機体はスリル満点で、アトラクション好きな人は是非試してほしい。
またオンラインでも、海外サイトの多くがアクセス制限されている。日本からホテルを予約しようにも、イランのホテルがなかなか掲載されていなかったので苦労した。もちろんAirbnbがあるはずも無い。古いガイドブックを頼りに直接メールで問い合わせたが、事前にクレカ払いもできず、果たして部屋がとれているのか不安である。
ちなみに1件だけPayPal払いを受け入れてくれた親切なホテルがあって、しかしPayPal上の請求書のタイトルが何故か「Webサイト制作費」になっていた。詐欺かと思ったら、「イランからの請求だとバレると決済できないから偽の請求を出した。お前もイランに関するキーワードは何も書くな」とのことだった。
さて、ここまで書いてイランの悪口しか言っていないことに気づいたのだが、もちろんイランにはそれを補って余りある魅力がある。まず歴史的遺産だ。かつて世界の半分と称されたイスファハーンにペルシャ帝国の古都ペルセポリス、ゾロアスター教の聖地ヤズドなど、世界史を専攻した人にとっては垂涎もののスポットがそこら中に溢れている。特にイスファハーンのイスラム建築はこれまでに訪れたどの国のモスクよりも壮大かつ緻密で、圧倒される他なかった。
イランの魅力はこれに尽きない。治安は良く、ご飯は美味しく、人々はとても親切だ。道を歩いていると、観光客が珍しいのか皆好奇心いっぱいの眼差しで話しかけてくる。駅で迷っていたら青年が手を引いて5駅先の空港まで連れて行ってくれたり、街で出会ったおばさんが何故か夕食をご馳走してくれたり、少女が突然走り寄ってきて飴をくれたりする。嫌なおっさんもたまにはいるが、そういうおっさんは五反田にもいるし、これまで行った国々の中でも親切率がトップクラスだったように思う。
懸念していた現金不足問題についても、その親切心に助けられ困ることはなかった。その辺のレストランで両替を快く応じてくれるし、ドル払いでもいいよ!とさえ言ってくれる。頑なに現地通貨しか受け入れなかったウズベキスタンとは大違いだ。
もちろん、ビジネス目的の人々に会うこともある。典型的なのが絨毯商人だ。イランと言えば絨毯界の最高峰、ペルシャ絨毯である。特にイスファハーンでは、よくペルシャ絨毯の勧誘にあった。日本の家は狭いから絨毯はいらないんだよと言うと、テーブルマットサイズの製品を勧めてくる。しかし高密度のウールで手編みされたペルシャ絨毯は、小さくともとても気軽に手を出せる価格では無い。
ちなみに写真の絨毯職人は名をアミルといい、勧誘されすぎて逆に仲良くなった青年だ。アミルは商人とは思えないほど営業トークが下手で、その分なんだか親しみのわく奴だった。現地人に人気のレストランに僕を連れて行き、ファルデというスイーツを奢ってくれた。
しかし大変申し訳ないが、僕にはファルデの美味しさは分かっても絨毯の価値は分からない。経済制裁で不景気なんだ、とため息をつく彼に同情しながらも絨毯は丁重にお断りし、イスファハーンの美しい景色を夜まで楽しんだ。
その日は夕食に400円の大盛りケバブで腹を満たし、満足してホテルに帰った。しばらく寝転がっているうちに、ふとこのあたりで現金の残高を確認してみようと思った。
リアル紙幣の札束を両手で抱え、ベッドいっぱいに並べる。まだこんなに余っていたのかと驚いた。初日の両替以来リュックに詰めっぱなしで、その枚数を数えたことがなかった。
紙幣を並べ始め、しばらくして気づいた。何かがおかしい。
一瞬止まって考える。やっぱりおかしい。
紙幣があまりに多すぎるのだ。想定していた枚数と全然合わない。初日に両替したのは920万リアルのはずだったが、何故かそれより増えている。両替商が間違えたのだろうか?
くしゃくしゃになった領収書を広げた時に、衝撃が走った。
今まで「920万リアル」だと思っていた領収書をよく見ると、9の横に記号がある。長期フライトで寝ぼけていた僕は、これを通貨単位リアルの「L」だと思っていた。しかし今見てみると、どう考えてもこれは数字の「7」である。
つまり実際両替で受け取った金額は「7,920万リアル」であり、両替金額を一桁勘違いしていたことになる。そもそもリアルはLではなくてRだし、完全に頭の悪い思い違いだ。ぼったくりなんてとんでもない、超優良レートで両替を受けていたのだった。
しかしまだ疑問が残る。ネット上で再確認しても、このレートは明らかに良すぎる。どれだけ高く見積もっても、手元にある金額は桁が違う。なぜここまでの差があるのか?
ここにトランプの罠があった。
2018年にアメリカが経済制裁を課して以来、経済不安からあまりにも急激なドル高・リアル安が進んだ。その結果、「建前」である公定レートと、実際に市場でやりとりされている実勢レートの間に大きな乖離が発生していたのだ。ネット上で手に入る情報は全て公定レートベースで計算されているので、現地の両替レートとは大きく乖離することになる。僕はこれを知らず、いつも公定レートで換算していたのだった。
出典:https://www.asahi.com/articles/photo/AS20180731003185.html
為替レートを一桁勘違いしていたということは、5日間全ての物価を一桁勘違いしていたということだ。400円だと思っていたケバブは、実際は80円だった。
僕は一夜にして金持ちになった。
しかしこの話にはまだ続きがある。レートについて調べていると、新たな事実が発覚した。急激なドル高が進んだことで、人々は現地通貨リアルを見放し外貨であるドルを求めて殺到した。その結果、ドルからリアルに両替できても、その逆のリアルからドルへの両替は制限されているというのだ。
脳裏にいくつかの場面がフラッシュバックした。
快くドル払いに応じてくれたレストラン。ドルに両替してあげるよと言ってくれたおばちゃん。わざわざPayPalのドル支払いを受け入れてくれたホテル。全てイラン人の親切な気質から来るものだと思っていた。違った。
皆、ただ単にドルが欲しかったのだ。
僕は大量の札束を前に途方に暮れた。リアルを日本で両替することはできない。つまり残り4日の滞在期間中にこの札束を使い切らないと、全て紙くずと化してしまう。
そこから僕の豪遊生活が始まった。
食事は高級レストランで一番のコースを頼む。200円。
移動は全て飛行機。1,000円。
テヘラン随一の最高級ホテルに泊まる。4,000円。全然あかん。
ドルを持ち込んだ外国人観光客にとって、イランの物価は全てが安すぎるのだ。
これ以上どうやって散財すればいいのか。日本で300円のはなまるうどんを主食としている僕は、金の使い道がわからないという悩みに困惑した。
とにかく単価が高いものを買うしかない。一番高価な買い物は何だ。この札束を使いきれるならなんでもいい….。
そうだ。
これがあった。
買いました。
絨毯のある生活っていいですよね。
執筆: この記事は岡田 悠 さんの『note』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2019年6月25日時点のものです。