爆笑問題の太田光さんと田中裕二さんが、28日深夜に放送されたTBSラジオ『JUNK 爆笑問題カーボーイ』にて、15日に乳がんのため亡くなった『ちびまる子ちゃん』の原作者・さくらももこ先生との思い出を語った。


シュールでブラックな『ちびまる子ちゃん』に驚き


ネズミに扮したキャラクター“爆チュー問題”として、2004年7月から2012年3月にかけてテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ『アララの呪文』に参加していた二人。オープニングトークで田中さんが「さくらももこさん亡くなってねぇ」と切り出すと、太田さんは「残念だね、本当に」とやや言葉に詰まりながら、さくら先生との出会いについて語り始めた。


『三宅裕司のいかすバンド天国』に端を発したバンドブームの全盛期、若手時代の爆笑問題は、『いか天』出身バンドらが出演する渋谷公会堂のライブで幕間に漫才を披露することになったという。音楽ファンを前に「散々な結果」に終わった舞台をあとにして楽屋に戻ると、「そこに小っちゃい女の子がいて、それがさくらももこさんだったんだよね」「さくらももこさんてのは、本当にバンドが大好きで、特に“たま”が好きだったんだよね」と太田さんが説明した。


当時はちょうどテレビアニメの放送がスタートしたばかりの頃。太田さんが聞き耳を立てて聞いた話によると、アニメ化によってファミリー向けの印象が強くなった『ちびまる子ちゃん』だが、さくら先生はもっとブラックな内容を好んでいたという。楽屋に漫画の生原稿を持ってきていたさくら先生は、「これテレビでできるか分からないけど、友蔵じいさんのお尻の穴をまるちゃんが覗くと、その先に宇宙が広がっている」などと説明していたいそうだ。


そのシュールな発想に驚いた太田さんだったが、当時はステージの影響を引きずり周囲を敵視していたため、「何がさくらももこだ、バカヤロー」などと悪態をついていたという。


爆チュー問題の人気は「さくらももこさんのおかげ」


再会を果たしたのは、その出会いから約14年後。「ぜひとも大好きな爆笑問題さんに(エンディングテーマを)頼みたい」と、さくら先生からリクエストがあったそうだ。さくら先生はレコーディングスタジオに当時小学生の息子を連れて来ており、「息子も(爆笑問題の)ファンなんです」と喜んでいたそうだ。なお、渋谷公会堂の楽屋で悪態をついていた太田さんの姿もしっかりと覚えていたという。


太田さんは、「さくらももこ先生が本当にこれを気に入ってるからと言って、ずっとやってくれたんだよね」と、『アララの呪文』が長年にわたってエンディングテーマに採用され続けた経緯を明かし、「いまだに爆チュー問題を覚えているっていう人がいるのは、さくらももこさんのおかげだからね」と感謝の意を述べた。


田中さんが「(西城)秀樹さんがこの間亡くなってさ、さくらさんは本当に秀樹ファンだから、残念ですって追悼文出されてたじゃん。そのまさか3か月後に、追うようにして逝かれるとは思いもしないからね」と述べると、太田さんは「なんかちょっと、つらかったね。まぁでも、ありがとうございましただね。本当にね」と、さくら先生をしのんだ。


番組ではトークに続いて『アララの呪文』が流れると、リスナーの中には「爆笑問題の2人とさくらももこさんのエピソードを聞いて、アララの呪文をフルで聴いたら泣けてしまった」「カーボーイ聴いてたら流れてきて、つい涙腺が」「反射的にぼたぼたと落涙」などと、思わず涙を流した人も少なくなかったようだ。


radiko『JUNK 爆笑問題カーボーイ』(8月28日放送)

http://radiko.jp/#!/ts/TBS/20180829010000

※タイムフリー機能は9月3日まで有効


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情報提供元: ガジェット通信
記事名:「 「何がさくらももこだ、バカヤロー」から『アララの呪文』参加まで 爆笑問題がさくら先生との思い出を語る