地方から東京に移り住んで、アイドルとして活動する女の子たちの東京や地元に対する思いや日常をうかがう「アイドル上京ものがたり」。今回インタビューしたのは、ラップアイドルグループ・ライムベリー秋田県出身のMC MISAKIさん。地元にいる時は2つのアイドルグループを経験し、その後上京してライムベリーに加入。その柔らかな笑顔からは想像つかない「負けたくない」という強い気持ちが彼女を支えてきました。アイドル引退も考えたほどの悲痛な出来事もありながら、今アイドル活動6年目。彼女が東京で踏ん張ってアイドルを続ける理由は一体何か。


東京は「普通に就職して大人になって行くところ」


--MISAKIさんは生まれも育ちも秋田なんですか?


MISAKI 生まれも秋田です。中学3年生までずっと住んでました。


--東京に住むようになるまでに東京への憧れみたいなのはあったんですか?


MISAKI うーん、うちの学校がもともと東京に遊びに行く人が多かったんですよ。だから東京行きたい人は行くってのが普通だったのかなって思ってました。土日使って周りは遊びに行ってましたね。


--え、秋田の人ってそんな感覚なんですか?東京は遊びに行くとこ、みたいな。


MISAKI そういうわけじゃないですけど(笑)。うちの学校の子はたまたまそうで。買い物っていうと近所のショッピングモールしかないんで、買い物しに東京に行く感じですね。


--じゃあMISAKIさんも東京遊びには行ってたんですか?


MISAKI 自分はわざわざ行こうってのはなかったですね。


--渋谷とか原宿行ってみたい、みたいな。


MISAKI お金持ちになれば行けるじゃないですか。そういう教えをされてたんで(笑)。普通に就職して大人になって行くのかなって。


--現実的!


MISAKI あと、その時入ってたグループでも東京に行ってたので。


--あ、なるほど。もともと秋田にいた時からアイドル活動はされてたんですよね。最初は地元・秋田のアイドルグループ・pramo


MISAKI  pramoは小学6年生卒業してすぐくらいからですね。


--なぜアイドルやろうとおもったんですか。


MISAKI あんまりアイドルには興味なかったんです。でもお父さんが「オーディションあるよ」って言って応募してなっちゃった、みたいな。


--お父さんが娘にアイドルになってほしいと。


MISAKI 芸能に憧れてたみたいで。お父さんあるあるなんじゃないですか?


--親が子供に芸能薦めるって、どっちかというとお母さんのイメージですけどね(笑)。


MISAKI お母さんは普通の生活をしてほしいって思ってたんですよ。pramoは2次審査くらいで事務所から「来てください」って話になってたらしいんですけど、最終で決めてくださいって日までお母さん教えてくれなくって。ずっと隠してたんですよ。それで突然「どうする?」って言われて。


--お母さん的にはイヤイヤな感じだったんですね。でもそれでやってみて楽しかったですか?アイドルは。


MISAKI やってはみたんですけど、ダンスも歌もへたくそで。でもなんか前に出させてもらって。デビューしてすぐ真ん中で、嬉しいじゃないですか。それで楽しかったのかなってのはありますね。


--難しいけどステージに立つことは楽しいと。


MISAKI でも練習とかあって放課後に友達とかと遊べないので、そういう面では……。


--中1か中2だとそんな感じですよね。pramoでは東京でライブとかもやったんですか?


MISAKI 一回だけ、TIFで東京に来ました。(TIF:TOKYO IDOL FESTIVAL。毎年夏に行われる日本最大のアイドルフェス。pramoが出演したのは2012年)


--それが初の上京?


MISAKI そうです。すっごい楽しかったんですよ、TIFが。秋田ではお祭りとかでライブしてたんで、会場やお客さんがぜんぜん違ったんです。その楽しさを覚えてしまって(笑)。それで来年も出たいと思ったんですけど、(スタッフからは)「来年は出ない」って言われて。


--それはなぜ?


MISAKI ジモドルなんで東京には進出する意味はない、って考えだったみたいで。


--じゃあ、その経験はその後MISAKIさんがアイドルの道を歩む経験として大きい?「もっと大きいステージに立ちたい」という思いとして。


MISAKI そう……ですね。結構大きいですね、そう思うと。



--MISAKIさんはpramoの後、もうひとつ東北中心に活動するグループに加入しますよね。


MISAKI そうです。そっちからお誘いが来て、どっちか選んでって話になって。それで可能性を感じて……中学2年生の時ですね。それから週1回は東京に行くようになりました。メンバーと原宿行ったのを覚えてます。楽しかった!


--竹下通りとか?


MISAKI ですね。メンバーがめっちゃ可愛いんで、歩いてるとスカウトがすごいんですよ。


--東北ではありえない声かけられっぷり、みたいな。


MISAKI 本当にたくさんスカウトの人が来て、東京すごいなって。でも自分が住むとかは考えてなかったです。もっと大人になってから遊びに来ることもあるかな、くらいの。その頃は原宿とか行って「すごいね」って写真撮って帰ってくるみたいな感じだったんで。


--東京はあくまで観光地、って感じだったんですね。


前のグループのメンバーに「負けたくない」そして上京


--それで中学を卒業してから上京してライムベリーに加入するんですよね。ライムベリーに入る前に東京行くのは決めてたんですか?


MISAKI いやっ、秋田の高校に合格してたんで、普通の高校生活を送るつもりだったんです。


--もう地元高校に合格してたんですか。そのタイミングでなぜライムベリーに入りたいと?


MISAKI その時は前のグループが解散してて、それで普通の高校に行くつもりだったんです。でも、他のメンバーがアイドルを続けるって言ってるの見て、「負けたくない」って気持ちがあったのかな?子供ながらに。


--地元のアイドルという考えはなかったんですか?秋田じゃなくても東北とか。


MISAKI 一度ジモドルやっちゃってたんで、もう一度って考えはなかったですね。それに前のグループがめっちゃレベル高かったんです。入った時から皆出来上がってて、もう聞いたことないレベルの歌とダンスで。その子たちに負けてるってのはわかってたんですけど、どっかで挽回したいとは思ってたんだと思います。


--その選択肢として東京のアイドル、という。


MISAKI そういうのもあったかもしれないですね。だから地元高校進学か、東京とか別の場所で芸能にするか、すごい考えました。ただ泣きながら親を説得したんで、めっちゃ入りたかったんだと思います。


--それでライムベリーに応募して加入が決まって。しかし地元の高校が決まってたってことは本当にギリギリですよね。


MISAKI そうですね……そうですね……だから先生にはめっちゃ迷惑かけました。ほんとに!


--決まってたってことは2月とか3月くらいの話?


MISAKI そうです。3月?いや2月かな?それくらいの話で。でもわたしはその時はもう東京行ってたんで、親と先生がバタバタしてました(苦笑)。


--あ、先にひとり行っちゃったんですね。


MISAKI デビューライブの日程も決まってたんで、そこは親と先生に頼んで、後で学校に行って謝りに行きました(笑)。


--その時もお父さんはアイドル頑張れって感じ?


MISAKI その時は親は反対だったんで。やるんだったら「本気で頑張れ」みたいな感じだったんですけど。


--お父さん、最初は自分がオーディション送っといて、東京行くとなると反対に(笑)。


MISAKI 応援はするけど、うーん!みたいな感じで。兄弟2人いて、兄も就職が決まって、一番上も大学でみんな別々のところに住むことになったんで、親が心配してたんですよね。それで「次東京か!」って。


--娘は地元に残ると思ったら。


MISAKI だから「いつでも帰ってきていいよ」って、今でも言ってますね(笑)。



--そんな感じでドタバタと東京に越して、高校も通いはじめて。


MISAKI 本当に急だったんで、通えるのが通信の高校しかなくって。本当は全日制に入りたかったんですけど、人数決まってて入れないって言われて。本当は、絶対通信は行きたくないと思ってたんです、中学の時(笑)。通信って勉強したくないけどしないといけないとか、そういう人が行くところだって先生も言ってたんで、「通信か~」ってなったんですけど、実際いったら同じ仕事してる子たちが一生懸命頑張ってて。


--同じ芸能系の仕事の子たちが。


MISAKI そうなんです。同じ環境で頑張ろうって子がいっぱいいたんで、いい環境にいたんじゃないかなって思います。


--それと平行して一人暮らしも始めたわけですよね。


MISAKI 最初の3ヶ月くらいはひとりで。ずっと親のもとに住んでたのに、ひとりって大変じゃないですか?何も出来ないんで、途中からはお母さん呼んで一緒に住んでました。半年くらい一緒にいましたね。それからは秋田と東京を行ったり来たりしてもらってて、申し訳ないです……。


--たしかにお母さん大変ですね。一人暮らしして、ご飯とかどうしてたんですか?


MISAKI 最初、東京に来たばかりの頃は誰も頼るものがないし、帰っても誰もいないんで食べてなくって。体重めっちゃ減って。


--食べなきゃ死ぬでしょ!


MISAKI 違うんですよ!作るのが面倒で(笑)。買うのもお金かかるじゃないですか。ただ、白いごはんだけおばあちゃんからめっちゃ送られてくるんです。あと素麺とか。なんで炭水化物だけ食べて(笑)。


--料理とか頑張りましょうよ(笑)。


MISAKI 最初のアパートが本当に汚くって、作りたくない!って感じだったんですよ。虫とか出てくるし。


--そもそも台所に行きたくない。


MISAKI それはありました。それからすぐに引っ越して。


--ギリギリで選んだから最初はいい物件がなかったんでしょうね。


MISAKI そうなんです。それでもうちょっといいところに引っ越して。それからは料理作るようになりました。綺麗だと作る気になりましたね(笑)。


--今も料理は?


MISAKI 今は全部自炊です。頑張ってます。


--得意料理は何ですか?


MISAKI 野菜炒めとかハンバーグとか作れるようになりました。


--2軒目の家から一人暮らしが本格的に始まったわけですね。


MISAKI もう頑張ろう!って思って、洗濯とか掃除とかも。ただ高校生がひとり暮らしとか普通ないじゃないですか。たまに何やってるんだろうって思いますね。自分で選んだことなんですけど。


--一人暮らし快適!というよりは大変の方が大きいわけですね。それこそ家族と別れた寂しさとかは?


MISAKI ありました!すごいありました。実家に犬いるんですけど、めっちゃ可愛いんですよ。もう会いたくって……。本当ぼっちだなって思いましたね。


--秋田からひとり出てきて、友達もいないわけですもんね。


MISAKI そうなんです!そこ重要ですよね。周りはみんな地元の友達とかいるんですよ。ひとりぐらししてるの数人なんで。自分にいないってのはつらいですよね。


--本当にアイドルと学校の往復のみ。


MISAKI 学校は土曜日だから平日ないんですよ。


--あ、通信だからないのか。


MISAKI だから家にずっといるしかないんですよ。ずっとボーッとしてました。地元の友達とメールとかLINEやるくらいしかなくって。「この先大丈夫かな」ってずっと思ってましたね。


--軽く病みますね。


MISAKI 病みましたー(笑)。普通に病みました。


--せっかく東京住んだし、ぶらぶらしてみようとか思わなかったんですか?


MISAKI それはなかったですね。けっこう方向音痴なんで。


--じゃあMISAKIさんって本当に東京に対する憧れとかはなかったんですね。


MISAKI そうなんですよ(笑)。負けず嫌いで出てきたって感じですね。



兄が亡くなってアイドル辞めようか揺らいだ


--2015年からMISAKIさんはライムベリーの一員として活動開始しました。アイドルとして前の2グループとはぜんぜんカラーが違いますよね。


MISAKI 最初の1年はもうとにかく必死でした。ゼロから……マイナスからって言ってもいい感じだったんで。ラップだし、頑張んないと。


--今のライムベリーは4人ですけど、MISAKIさん加入当初はオリジナルメンバーのMIRIさんとふたりでした。MIRIさんのラップが既に出来上がってただけに、未経験者だと差を感じてしまったのは事実ですよね。


MISAKI そうなんですよー。


--しかも2人が離脱した後の加入で「新生ライムベリー」というタイミング。それまでのファンの視線とか気になりました?


MISAKI そうですね。ツイッターで書かれたり、影で言う人もいたり。学校とか行くとライムベリーのこと知ってる子もいて、「この子じゃん」みたいに言われたり……それで病みましたよね(笑)。病みました!でも、けっこう飄々としてるんで、なんか考えたり、思うこともめっちゃあったんですけど、そうしてても次につながらないなって思って、普通に生きてました。


--評判とか考えすぎないように。


MISAKI でも、気になりますよ!負けたくないなって思いました。とりあえずいいライブして評判上げてくしかないなって。


--それで実際ライブの本数も増えていって、評判も良くなっていきました。


MISAKI それで相方のMIRI氏がフリースタイルラップの選手権出て、話題になるようになって。自分もなんかしなきゃなって思ってたところに兄が亡くなったんです。おもち(DJ OMOCHI)も入って「これからだ!」って感じの時で。
















--後にツイッターでもお兄さんが亡くなったことについて書かれてました。3人体制になって初のシングルが出るタイミングでした。しばらくお休みもとられて。


MISAKI 事件性のあることで兄が亡くなったんで、葬儀のタイミングがなかなか決まらなくって長引いてしまって。


--家族の不幸はつらいですね……。しかも事件性のあることって。


MISAKI 本当にショックで、アイドルやめようかと思ったんです、その時。家族も一応応援はしてくれてるんですけど「それで生きていけるの?」みたいな感じなんで。兄が亡くなったことで考えさせられましたね。


--高校2年生で卒業が見えてくるタイミングだといろいろ考えざるを得ないというか。


MISAKI 身内とかも皆しっかりしてるんで。みんな「アイドルとかやってて大丈夫?」って感じなんですよ。


--知らない人からすると「アイドルとかふわふわした仕事して」て言われ方しちゃいますよね。


MISAKI 兄の葬式のときもめっちゃ言われたし、その時は本当につらかったです。


--MISAKIさんとしても揺らいだわけですね。


MISAKI 揺らぎました。やめようかな、って。


--これまでグループ3つやって、アイドル歴約5年ですよね。


MISAKI そうです、6年目なんです。やばいですよね。


--正直「もうそろそろ」って考えも浮かぶと思うんですよ。


MISAKI そうですね……でも、負けたくない。本当に負けず嫌いで、誰にも負けたくないんです。


--それはアイドルとして?


MISAKI それもですし、自分がやってることに価値を感じたくって。親とか周りに迷惑をかけてやってるわけじゃないですか。


--現状は自分のことをまだそう思えますか。


MISAKI そうですね、現状まだそんな感じです。やっぱりそれに答えを出さないといけない、価値を出さなきゃいけないと思います。


--自分にも、周りのアイドルにも負けたくない。


MISAKI なんか……ずっと東京に住んでたら楽というか、そのまま自宅じゃないですか。やっぱり周りはそういう子多いんですね。自分は秋田からお金かけて来て、ライムベリーと学校やって、って周りの子たちと違うのでそういう部分では負けたくないなって思います。


--今東京にいて「まだやりきれてない」というのはある?


MISAKI そうですね……そうですね。アイドルって、新しいグループがどんどん出来るじゃないですか。MISAKIのクラスの子も、新しいグループできてすぐに赤坂ブリッツワンマンで満杯だったんですよ


--そういう事もあるでしょうね。


MISAKI それに比べたら自分は地道にやって、みたいな感じなので「悔しい」って思いますね。でももうちょっと頑張ろうかなと思います。とりあえず父親からは「高校は卒業しよう」って言われてるんで、まずそれまでは。


家族のためにも兄のためにも負けられない


--秋田から越してきた頃に比べたら、いろいろ東京の生活に慣れたと思いますけども。


MISAKI 最初の頃は電車の乗り換えとか大変でした。それが一番大変だったかな。ひとりで行ってひとりで集合場所までたどり着くのが大変で。今はスムーズに乗り換え出来るようになって、慣れたなって思います。


--東京に住んでみてびっくりしたことってあります?


MISAKI 人が変わってる。あまり他人の心配をしないのかなって。秋田の人は心配するんですよ。東京の人は「他人は他人」って感じなんです。


--正直、駅でぶっ倒れてる人とかいてもそんな気にしなかったりしますね。


MISAKI あと友達とかも「自分は自分」って感じなんで、東京の人ってこんな感じなんだって思いましたね。


--ものの見方とか変わりました?


MISAKI ぜんぜん変わりました!本当に。


--最初はひとり病んでたのが。


MISAKI 誘ったら一緒に遊んでくれる人も出来て普通に遊ぶようになったし、芸能の友達でも仲良くしてくれる人が出来て。東京に来てすぐの時は「親に感謝」ってことはなかったんですけど、高校3年生になって今になって思えば感謝しかないですね……。恩返ししなきゃいけない年齢にもなってきてるんで。



--さっきも話出ましたけど、18歳というと普通は進学か社会人か悩む時期でもありますよね。MISAKIさんはいち早くその辺を意識せざるを得ない生活してるわけですけど。


MISAKI そうなんですよ。地方から来てる同級生の友達と「今年どう過ごす?」みたいな話になるんですよね。


--やっぱり地方から芸能を目指してきた者ならではの仲良さみたいなのもあるんですね。


MISAKI みんな結構問題を抱えてやってる子も多いので。


--それぞれ通信を選ばざるを得なかった理由があったりするというか。


MISAKI 事務所が通信にしろってところもあるんですけど、親が片方いないとかそういう子も多いので。そういうこと考えると、みんな親に負担かけて暮らしてるんで「今年どうする?」って事を考えさせられます。みんな大人なんで、考えが。


--家にいるだけで家賃という形でお金かかりますからね、一人暮らしだと。


MISAKI まだまだ生活費とか親に出してもらってるので……。


--やっぱりアイドルの仕事だけでは難しい。


MISAKI はい。本当に「ライブ見に来てくれて、CD買ってくれてありがとうございます!」みたいな。そんな感じです。


--秋田でアイドルやってる時以上に、この2年でそれを思うようになった感じですか。


MISAKI 思います思います。あと、8月23日が亡くなったお兄ちゃんの命日なんですよ。1年経つんで考えさせられますね。それからもう他の家族とは違う感じになっちゃったんで。もうひとりの兄が今秋田で働いてて、亡くなった兄は東京で医者になるはずだったんです。


--お兄さんは「事件性のあることで亡くなった」っておっしゃいましたけど、事件に巻き込まれた感じだったんですか。


MISAKI そうなんです。そういう面では申し訳ないなって。自分のせいで亡くなったってのもあるんで。


--……すいません、突っ込んだこと聞きますけど「自分のせいで」ってどういう意味ですか。


MISAKI わたしのために東京に来ようとしてなかったら、(事件に巻き込まれることなく)普通に過ごしてたのかなってあったんで……。


--お兄さんが東京で働こうとしたのもMISAKIさんの事を思ってだったんですね。でもそのせいで事件に遭ったってのは思い込み過ぎだと思いますよ。


MISAKI (涙)……すいません、泣いちゃって。


--こちらこそすいません、つらい話思い出させて。


MISAKI わたしの誕生日が来ても、まだ家族で「おめでとう」って言葉がないんです。兄が亡くなってからは。おめでとうってのはおかしいんで、「18歳になったね」って。まだおめでとうって言葉は言えない感じです、家族は。


--あらためてMISAKIさんの話を聞くと、家族とすごく向き合わされた2年間だったんだなという感じがします。さっき言ってた「負けられない」が“家族のためにも”負けられない、というか。


MISAKI そうですね。頑張んなきゃって思います。やっぱり、東京に来たのも自分のわがままなんで。過去のお世話になった人のためにライムベリーをもっと上に行かせなきゃいけないな、と思います。


--MISAKIさんにとって、何を成し遂げたら結果を出したってことだと思います?


MISAKI なんでしょうね……。テレビとかですかね?


--地方の人には「テレビ出た!」は効きますよね(笑)。でもライムベリーは『アイドルお宝くじ』出たじゃないですか。しかも結構勝ち残って。(『アイドルお宝くじ』:テレビ朝日系で深夜で放送されているアイドルライブ番組)


MISAKI 秋田じゃやってないんですよ(笑)。


--残念!


MISAKI BSで流れたのを見たって言ってました。「頑張ってるねー」って言われました(笑)。でもやっぱり『Mステ』とか出たいですよね。友達がけっこう出てるんです。「今日出るんで見てください」とかツイッターとかで書いてるの見ると、いいなあって思います。


--もっと広い場所に出ることで、自分のアイドル活動に意味があったと証明したいですね。


MISAKI ただ、ひとりだけ名前が出るようになっても意味がないと思うので、メンバー全員でライムベリーとして売れたいですね。ライムベリーの楽曲すごくいいし、曲を聴いてくださって好きになってくれる方が増えてくれればいいなって思います。


■ライムベリー告知


◆最新シングル「TOKYOチューインガム」発売中!




 

◆ライムベリー公式サイト:https://rhymeberry.tokyo/

◆MC MISAKI Twitter:https://twitter.com/rbs_misaki


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(執筆者: 大坪ケムタ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか


情報提供元: ガジェット通信
記事名:「 【亡くなった兄と家族のための“負けたくない”】ライムベリーMC MISAKIの“アイドル上京ものがたり”【15歳からの東京ひとり暮らし】