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源氏と明石の君が結ばれた秋から約半年。新しい年が明け、春になりました。しかし帝の病気は悪化する一方。太后も物の怪に取り憑かれて苦しんでおり、世間でも異常なことがしきりに起こりました。
「世間が騒がしいのも、病気が良くならないのも、父上の遺言に背いたからに違いない。でも自分の皇子はまだ2歳。10歳の皇太子(源氏と藤壺の宮の息子)に位を譲るとしても、やはり後見役の源氏がいてくれなれけば…。」帝はついに太后の反対を押し切って「源氏を京へ呼び戻すように」と勅命を下します。
あれほどお母さんに圧されていた帝ですがここは一踏ん張りし、おかげで足掛け3年の源氏の謹慎生活もついに終わりを迎えます。源氏28歳の7月20日(旧暦)のことでした。
源氏は突然の知らせに「いつかは来ると思っていたが、ついに…!」と驚喜。少人数で粗末な家に寂しく暮らした須磨、嵐と落雷で死にかけ、急きょやってきた明石での新生活。何もかもが初めてで、自分の意志ではどうにもならないことがあると知った、短いようで長い時間でした。
行きの紫の上との別れも辛かったですが、帰りは明石の君との別れが待っています。今から胸もつぶれそうですが、「大きな夢の実現には、まず京に戻って政界復帰することが先だ」。そう、彼女との縁は娘への大きな期待を含んでいるのです。
それまでは紫の上に遠慮していた源氏も、別れが決まってからは毎日明石の君を訪れます。それもそのはず、彼女は既に源氏の子を妊娠していたのです。初めての結婚・妊娠で、今一番一緒にいてもらいたいのに、彼は行ってしまう…。何とも心細く、辛い気持ちでいっぱいです。かわいそう。
源氏も「なんでこう辛い思いをする人生なんだろうか。京へ戻れる日が来たのは嬉しいが、戻ってしまえば2度とこの地に来ることはあるまい」。まあ、あなたがあちこち悩みの種を蒔くからなんですけども。源氏は取り残される彼女が哀れでなりませんでした。
京からは帰りのお供やお使いが次々に到着し、惟光たちは帰京ムード一色。ところが、せっかくお赦しが出たのに、肝心の源氏はなかなか帰ろうとしません。あんなに帰りたがっていたのに…。すでに1ヶ月が経ち、季節はすっかり秋になってしまいました。
帰る気配のない源氏に、明石の君の存在を知っている者たちは(彼女と別れがたいんだろうなあ)(女としてはかえって大変なことになったよなあ)(どうも彼女を紹介したのは良清らしいぜ)。そんなひそひそ話を聞いて、良清は「ああ、彼女の話なんかしなきゃよかった」と後悔しきりでした。
踏ん切りがつかなかった源氏も、いよいよ明後日に帰京を決めました。その夜、源氏は明石の君との別れを惜しみます。「あなたの演奏を聞きたいと思っていたけど、ついに弾いてくれなかったね。思い出になるよう、私がまず琴を弾くよ」。
琴を奏でる源氏の横顔は、苦境のうちにやつれ、それがかえって上品で美しく見えます。彼が素晴らしい人であればあるほど、やはり自分とは釣り合わないと思ってしまう明石。源氏の「しばらくお別れだけど、必ず京で一緒に暮らせるようにするからね」という言葉に、涙ぐんで一言二言返事するのが精一杯です。
源氏の演奏を聞いた入道が、箏の琴を持ってきます。明石の君も別れの曲を素直に弾きはじめました。上品で洗練された弾き方と、澄み渡るような音色。当代の名手以上の優れた腕前に、源氏も思わず舌を巻きます。秋の夜、彼女の寂しさや悲しみがこもったその曲は、心にしみわたるようでした。
明るい灯のなかではっきりと見る彼女は、琴の音色のように気高く美しく、奥ゆかしい女性です。京の高貴な女性で期待はずれだったこともあっただけに、明石でこれだけの女性に出会えたのは本当にラッキー。「意外な所に想像以上の美人がいるのにグッとくる」、京にだってそうそういない逸材を見つけた源氏の誇らしげな気分も伝わってきます。
源氏はそう思っているし、傍目に見れば美男美女でお似合いのカップルですが、源氏がどんなに明石の君を褒め称えても(むしろそうされると余計に)彼女の方はコンプレックス故にどうしても引け目を感じてしまう。このジレンマは今後も彼女を苦しめます。
「私の琴は置いていくよ。この弦が緩まないうちに必ずまた逢おう」。妊娠中の彼女を一緒に京に連れていけないのは残念な限り。明石の君は源氏の言葉を心からのものだと信じますが、やはり今の別れが耐えがたいのでした。
いよいよ京へ帰る朝。源氏はギリギリまで明石の君とのやり取りに終始します。「あなたが去ったあと、ここはどんなに寂れるでしょう、いっそ海に身を投げてしまいたい」。彼女にしては率直なメッセージを見ると、源氏も愛おしくて仕方なく、涙がこぼれます。ラブラブです。
それを見ても、良清は面白くありません。(俺と釣り合う程度の、身分の低い女がそれほどお気に召すとは…)。本来は良清と結婚するのが相応の明石の君が、源氏にそれほど見込まれたというのは、周囲としてもかなり意外だったのでしょう。彼が頑張ったところで結婚はできなさそうでしたが、それでもどうにも悔しい。本当に、源氏の前で魅力的な女性の話は厳禁ですね…。
入道が新しい衣を持ってきたので、「私の来ていたものは彼女に」と交換します。相手の匂いがする衣は愛の証。紫の上も源氏の衣を出しっぱなしにして、不吉がられるほど恋しがっていたのが思い出されます。
「今日の別れの悲しみは、京を発った日に勝るとも劣りません」源氏が言うと、入道は柄にもなく大泣きし「娘を思う親心で…出過ぎた話ですが、どうか時々お便りを下さいませ」。ついでに大量のお土産ももたせたので、一行は荷物が増える有様でした。作者は「源氏は入道が気の毒で慰めたが、泣きじゃくる年寄りの入道の姿は、若い人には何とも滑稽なものだったろう」と書いています。
源氏が行ってしまったあと、明石の君はただただ泣くばかりでした。源氏が本気で約束してくれたことも、京に帰るのが仕方がないこともわかっている。でも自分を置いていった男の面影が、憎いどころか恋しいと思ってしまうのもまた辛いところ。
入道の妻は「かわいそうに…どうしてこんな悲しい結婚をさせたのかしら、この頑固なオジサンに従った私が間違っていましたわ」。ブーブー言いながら身重の娘を慰めています。「うるさいな。必ず京へ呼ぶと仰っているのだから、これきりではあるまい。まあちょっと薬湯でも飲んで気を静めなさい」。
入道の捨て台詞に、明石の君の乳母も「お嬢様にはぜひ幸せなご結婚を、と願ってきましたのに、実現したと思えばこのような目に遭われて…最初のご結婚ですのにねえ」。妻と乳母は、頑固オヤジをやり玉に挙げてうっぷんを晴らします。ああ、なんともオバサン的。ここも現代と全然かわりませんね。
強がっている入道も、源氏ロスは相当にこたえたらしく、ぼんやりすることが増えて昼夜逆転。「数珠はどこにやったかな…」と手を合わせては呆然とし、ヨロヨロ歩いて夜の池に落ちる。これには弟子たちも呆れ果てます。
挙句の果てに、自慢の庭の岩に腰をぶつけてケガをし、寝込んでしまいました。「あたた、あたた」と痛みに唸っている間は、寂しさや娘の将来の不安も多少は紛れた、というオチで終わっています。お大事に!
簡単なあらすじや相関図はこちらのサイトが参考になります。
3分で読む源氏物語 http://genji.choice8989.info/index.html
源氏物語の世界 再編集版 http://www.genji-monogatari.net/
(画像は筆者作成)
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(執筆者: 相澤マイコ) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか