1月25~29日は「沢水腹堅める(さわみずこおりつめる)」。沢の水さえ凍ってしまうような、まさに絶頂の寒さを迎える時季です。
ところで、1月25日は「初天神」の日。学問の神様・菅原道真公を祀る、全国の天満宮の縁日です。道真公は6月25日に生まれ、2月25日に亡くなられたことから、毎月25日は「天神さんの日」と呼ばれています。
なかでも1月は新年最初の天神さんの縁日ということで、受験生をはじめ、多くの参拝客が訪れるんですよ。年明けから3月までの受験シーズン、受験生にとってはまさに凍りつくような緊張の時季かも知れませんが、天満宮の御利益は学問だけではありません!
今回は、天満宮のもうひとつのすばらしいご利益をご紹介しましょう。
七十二候とは?
時間に追われて生きることに疲れたら、ひと休みしませんか? 流れゆく季節の「気配」や「きざし」を感じて、自然とつながりましょう。自然はすべての人に贈られた「宝物」。季節を感じる暮らしは、あなたの心を癒し、元気にしてくれるでしょう。
季節は「春夏秋冬」の4つだけではありません。日本には旧暦で72もの豊かな季節があります。およそ15日ごとに「立夏(りっか)」「小満(しょうまん)」と、季節の名前がつけられた「二十四節気」。それをさらに5日ごとに区切ったのが「七十二候」です。
「蛙始めて鳴く(かえるはじめてなく)」「蚯蚓出ずる(みみずいずる)」……七十二候の呼び名は、まるでひと言で書かれた日記のよう。そこに込められた思いに耳を澄ませてみると、聴こえてくるさまざまな声がありますよ。
菅原道真公ってどんな人?
まずは、人間から神様となられた菅原道真公の人生をご紹介しましょう。
学問の名家に生まれた道真公は、幼少の頃より文章・詩歌に優れ、"平安朝きっての秀才"と謳われていました。宇多天皇の代にはその才を見込まれ、右大臣(今でいう副総理)にまで出世。
ですがその才能を恐れた他の公家たちにより、無実の罪に問われ、都から遠く離れた九州太宰府に左遷されたのです。道真公は太宰府の地で身の潔白を訴えながら、59歳で亡くなりました。
ところが道真公の死後、敵対関係にあった公家や、それに加担した者たちが次々と怪死。さらには御所が落雷に見舞われるなどの大事件もあり、祟りを恐れた朝廷は、道真公の位階を右大臣に戻し、全国に道真公を祀る天満宮を創建しました。
こうして、道真公は畏(おそ)れと敬意を込めて「御霊(ごりょう)」と呼ばれ、神様として祀られるようになったのです。
誠の道を貫いた「まごころの神様」
菅原道真公といえば、やはり「学問の神様」と思っている方が圧倒的に多いでしょう。でも、道真公は「至誠の神」「正直の神」ともいわれているんですよ。
京都・北野天満宮の門柱には、道真公が詠まれた歌が飾られています。
心だに 誠の道に かなひなば 祈らずとても 神や守らん
(心にまごころをもち、誠の道を生きれば、ことさらに祈らなくとも、神は守ってくださるだろう)
幼い子どもたちと共に、太宰府の地へ追われた道真公。食べるものにも事欠き、我が子をも喪うという絶望の日々を送ります。しかし、いつかは自分のまごころが伝わり、罪が晴れると信じ、誠の道を貫いたのです。
他にも、自分を取り立ててくれた帝への感謝の歌などが数多く残されており、道真公の誠実なお人柄が偲ばれますね。道真公はその生き様から、「冤罪(えんざい)を晴らす神様」とも呼ばれています。
日々の生活のなかで、「ひどい」と感じる理不尽な扱いを受けたり、腹立たしいと感じたりすることも、ときにはあるもの。
そんなとき、天満宮でお祈りをすれば、逆境に負けず、どんなときもまごころをもって、自分が信じる道をしっかりと生きる力を与えていただけるかもしれません。
いかがでしたか? どんなときでも、まごころは大切にしたいもの。至誠の神様、菅原道真公の人生に思いを馳せながら、天満宮へ出かけてみませんか?
【参考】『くらしを楽しむ七十二候』広田千悦子/泰文堂、『神社のいろは』/扶桑社
情報提供元: ANGIE