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「Desert Bus」のゲームシステムを簡単に説明すると、以下のようになる。
以上のようなゲームシステムなので、同ゲームをクリアするためには、8時間ひたすら単調なプレイをすることが求められるのだ。
同ゲームはリリース中止になったものも、あまりに理不尽なゲームシステムによりカルトゲームとなり、現在ではYouTubeにゲームプレイ動画がアップされるほどになった。もっとも、そのゲームプレイ動画を見ても、同ゲームの退屈さしか伝わってこないのだが。
以上のような「Desert Bus」が、何とVRゲームとして復活したのが「Desert Bus VR」 である。
VRゲームとしてリメイクされたと言っても、オリジナルのゲームシステムを愚直に踏襲しているので、退屈さは全く変わらない。海外メディアUploadVRは、その退屈なゲームプレイ動画を公開した。
確かに同ゲームは、オリジナルと比べるとグラフィックは格段に向上している。しかし、砂漠を高精細に描画されても何かが起こるわけではなく、バスの操作もアクセルとハンドルを動かすことができるだけだ。
もっとも、オリジナルにはなかった機能がふたつも追加された。ひとつはラジオが聞けるようになったこと、もうひとつはマルチプレイに対応したことだ。
マルチプレイといっても、バスを運転するのとは別のプレイヤーがバスの後部座席に座れるようになっただけだ。同ゲームのマルチプレイで可能なのは、退屈な時間を何人かで過ごす、その程度のことなのだ。
それにしても、なぜ1995年当時、「Desert Bus」のような常軌を逸したゲームが開発されたのか?それには深い理由がある。
1995年当時、ゲームも次第に性能が向上し、暴力的なゲームはプレイヤーを暴力的にするのではないか、という批判が繰り返されるようになった。そうしたゲームとして槍玉になったのが、VRゲームとして復活するオリジナルの「DOOM」だ。
ゲームへの批判が高まるなか、当時のグラフィック技術を駆使しながら暴力とは何ら関係のない、退屈とさえ感じられるゲームを制作することで、ゲームが暴力を誘発するという批判に対抗しようとして作られたのが「Desert Bus」だったのだ。
もしゲームが暴力を誘発するのであれば、その原因はゲーム自体にあるのでなく、ゲームの作り手が暴力を煽っているに過ぎない。翻って、「Desert Bus」をプレイしても、危険運転をしたくなることはないだろう。同ゲームは、暴力を煽らないし、大きな感動も引き起こさない言わば「透明な」ゲームだ。そして、この「透明さ」は意図されたものなのだ。
「Desert Bus VR」をプレイして退屈に感じるのならば、そのことはVRそれ自体にはヒトの暴力を煽るようなチカラがないことの証拠だ。VRそれ自体は、べつに悪ではない。
その一方で、VRがもたらす没入感はヒトの心を大きく動かす事例を本メディアでは数多く紹介してきた。その最たる例が「イマーシブ・ジャーナリズム」コンテンツだ。
メディアがもつヒトの心を動かすチカラを研究する分野として「メディア効果論」が知られている。今VRの発展に必要なのは、「VRメディア効果論」の体系的研究だろう。
ソース:Road to VR、UploadVR
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