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Toyota City, Japan, Jun 24, 2019 - (JCN Newswire) - TOYOTA GAZOO Racing(以下、TGR)は、22日(土)から23日(日)にかけてドイツ・ニュルブルクリンクで開催された第47回ニュルブルクリンク24時間耐久レースにGRスープラとLEXUS LCの2台で出場しました。GRスープラは総合41位(クラス3位)、LCは総合54位(クラス1位)で完走しました。
20日(木)、21日(金)の両日にわたって行われた予選。今年は1回目で突然の雷雨に見舞われたものの、その後は快晴が続き、高い気温によりクルマとドライバーにとっては厳しい環境となりました。LCは昨年及ばなかったTOP Qualifying進出を、ほぼ市販車の状態で出場したGRスープラは、ライバル勢と競うことでさらなる熟成を進めるべく挑み、LCは一歩及ばず35位、GRスープラは99位となりました。
158台がグリッドに並んだ本戦は、22日(土)午後3時半にスタート。LCは蒲生選手、GRスープラはモリゾウ選手(トヨタ自動車社長の豊田 章男)がスタートドライバーを務めました。
3つのグループに分かれ、トップグループからのスタートとなったLCは快調に走行を重ね、総合30番手以内のポジションをキープ。同グループの最後尾スタートとなったモリゾウ選手のGRスープラも順調なスタートを切り、じわじわと順位を上げていきました。しかし、高い気温はドライバーの集中力を奪うと同時にクルマを容赦なく痛めつけ、コースのあちこちでクラッシュが続出。クラッシュがさらなるクラッシュを呼び、レースはサバイバル戦の様相となっていきました。
厳しいコンディションはTGRにも襲い掛かります。スタートから約8時間が経過したころ、LCのトランスミッションからオイルが漏れるトラブルが発生。大事をとってトランスミッションを交換する作業を選択した結果、2時間超のピットインを強いられました。同じころ、快調に走行していたGRスープラも当時トップを走行していた車両と接触。幸いにもそのまま走行を続けられましたが、不安を抱えながらの走行となりました。
夜が明けた23日(日)。実はこの日は、TGRにとって決して忘れることのできない日でした。モリゾウ選手の運転の師匠であり、TGRの原点となった「GAZOO Racing」をともに立ち上げたトヨタ自動車のマスタードライバー、故・成瀬 弘氏がニュルブルクリンク近郊で急逝した日が、9年前の6月23日でした。
今年のニュル24時間耐久レース、そして23日は豊田にとって、そしてチームにとっても特別な日となりました。また、新型スープラで走ることは、社長の豊田の悲願でもありました。
「もっといいクルマづくり」を追い求め、「GAZOO Racing」を立ち上げた豊田(当時は副社長)がニュルブルクリンクでの走行トレーニングを始めたのが2001年。その翌年、スープラは生産終了となります。その後しばらくトヨタからスポーツカーが発売されることはなく、多くのカーメーカーが発売前のプロトタイプを走らせるニュルブルクリンクにおいて、豊田をはじめとしたトヨタ自動車のテストドライバーたちは、既に生産を終えた“中古の”スープラで走らざるを得ない日々が続きました。「他社は数年後に世に出すクルマを鍛えている場で、自分たちには中古のスープラしかない」。このことが本当に悔しく、いつの日かスープラを復活させ、ニュルブルクリンクの厳しい道で鍛えて世に出したいと豊田は想い続けてきました。
そんな想いを乗せたGRスープラは、夜が明けてからもまるで接触がなかったように快調に走行を続けます。LCもトランスミッション交換後は順調に走行を重ね、午後3時半、GRスープラは総合41位(クラス3位)、LCは総合54位(クラス1位)でチェッカーを迎えました。
TGRにとって13回目となったニュル24時間耐久レース。“もっといいクルマづくり”に向けた人とクルマを鍛える活動は、これからも変わることなく続けていきます。
関谷 利之 LEXUS LC チーフメカニック
昨年はクルマを止めてしまい、今年は対策してきた中で、原因は違えど今年も止めることになってしまったことが何より悔しく思います。レースに向けて7,000km走っても出ないような問題が出てしまうのが、このレースの難しさ。ニュルの厳しさというものを今年も思い知らされました。ただ、若いメカニックと多くの時間を過ごす中で、みんなで成長することができたと思います。ありがとうございました。
田中 英幸 GRスープラ チーフメカニック
これまでのレースで最長4時間ほどしか走っていなかったGRスープラが24時間を走り切ることができたのは、ドライバーのチームワークと、多くの方々のサポートのおかげです。「やり切ったな」という思いで、最後には涙が出てしまいました。皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
豊田 章男 チーム総代表のレース後のコメント
まず最初に皆さん、ありがとうございました。今日は、成瀬さんの命日でありました。
私が午前中、10時から乗るということを聞きまして、実は予定では9時でした。それが10時になったという意味を自分なりに考えますと、ちょうど6月23日の現地時間10時くらいに事故が起きて、亡くなった時間だったんですね。それで私が成瀬さんの事故の時間にハンドルを握ることになるんだということで、非常に緊張をいたしました。このスープラのカムバック、そして、ニュル13年目の挑戦。いろんな思いが、その3回目のスティントで頭に入って、正直運転どころではなかったというのが正直な感想でありました。
ただ、今日、皆さんが話してくれたことを成瀬さんは聞いてます。成瀬さんが亡くなった時、葬儀に行きました。そこでやりたいと思うやつだけでいい、ついてきてくれということで続いてきたGR活動です。これが多くの方に応援され、もっといいクルマづくり、クルマづくりの人材育成のど真ん中に、この活動が入ってきたというふうに思います。
本当にここまで支えてくれた皆さんに感謝申し上げると共に、私は、この話になると涙ぐむんですね。なぜかとクルマの中で考えてみました。多分、悔しさです。
13年前、トヨタも名乗れず、このニュルで、成瀬さんとほぼ2人でプライベーターよりもプライベーターらしい、本当に手づくりのチームでここに来ました。その時の誰からも応援されない悔しさ、何をやってもまともに見てくれない悔しさ、何をやっても、ハスに構えて見られてしまう悔しさ。そして生産中止になったスープラで練習をしてる悔しさ。全ての悔しさが、私自身その成瀬さんが亡くなった6月23日に社長に就任した時からの、ずっと私のブレない軸でもあります。
ですから、私がもっといいクルマをつくろうよということだけしか、社長になって言わないのは全てその悔しさであります。そして今日も、悔し涙を流した。その悔しさは絶対に自分を強くするし、この活動の目的である「良い仲間」をつくるし、そしてもっといいクルマをつくると思います。そんな思いを持って、冒頭「ありがとうございました」と皆さんに申し上げました。
本来はこのレース、(ずっとスープラの開発を担当してきた)矢吹が出るレースだったと思います。それをスタート、フィニッシュ含めた4スティントを担当させていただきましたが、こういう日でなければ、「矢吹お前乗れよ」と言ってたと思います。私自身も、この日、スープラ、ニュルというもので成瀬さんから、「いやいやお前乗れ、俺と一緒に乗ろう」と言ってくれたんだと思います。
今日の話は間違いなく、成瀬さんは聞いてくれているし、この天気も、成瀬さんだったんだと思います。ドライバーとしては足を引っ張りましたが、他のプロたちがカバーしてくれました。ありがとうございました。
本リリースの詳細は下記URLをご参照ください。
https://global.toyota/jp/newsroom/lexus/28658444.html
概要:トヨタ自動車株式会社
詳細は http://toyota.jp/ をご覧ください。