アメリカのイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(UIUC)を中心とする研究チームは、最新の電子顕微鏡を用いて、これまでにない最高水準の精度で1つの原子像を撮影することに成功しました。

研究では原子1個の像の“わずかなぼやけ”から、熱で生じる揺れが直接とらえられており、原子レベルでの熱の動きを解明する手掛かりになると期待されています。

目に見えない原子の小さな「震え」をとらえることが、いったいどんな新しいテクノロジーを生み出すのでしょうか?

研究内容の詳細は2023年7月24日に『Science』にて発表されました。

目次

  • 『原子の震え』を追う
  • 原子の『震える姿』を捉えた新技術
  • 『熱の指紋』で材料が進化する

『原子の震え』を追う

『原子の震え』を追う / Credit:Canva

「寒いと人は震える」とよく言われますが、実は物質を構成する「原子」も揺れています。

人間の場合は寒いと筋肉が震えて体温を作り出しますが、原子は逆に熱を持つほど活発に震え、動き回ります。

これは、物質を形作るすべての原子が、それぞれの位置で絶えず小さく振動し続けているためです。

実は、このように原子が振動することこそが、私たちが「熱」と呼んでいるものの正体です。

例えば「二硒化タングステン(WSe₂)」という物質の場合、私たちにとって快適な室温(約20℃)の状態でも、原子たちは1秒間に途方もなく速く何兆回もの小さな揺れを繰り返しています。

その揺れ幅は「5〜6ピコメートル」という極めて小さなサイズです。

「ピコメートル」というのは聞きなれない単位ですが、1メートルを1兆分の1にしたのが1ピコメートルで、原子はそのさらに数倍程度の幅で震えているわけです。

人間の目はもちろん、普通の顕微鏡でさえ全く見ることができないほど小さいため、私たちが普段の生活でその存在を意識することはありません。

それでも私たちが物に触れて「あたたかい」「冷たい」と感じるのは、この目に見えない原子たちが活発に動いているか、それとも静かで落ち着いているかの違いなのです。

物質の性質を理解するとき、この「原子の振動」を抜きにして考えることはできません。

科学の世界では、この原子が規則正しく振動することを「格子振動」と呼んでいます。

格子とは原子がきれいに並んでいる様子を表す言葉で、まるで格子模様のように規則正しく並んだ原子が揺れていることからそう呼ばれています。

この振動がどのようなパターンを持ち、どのように広がっていくかが、熱や電気など物質の性質を左右します。

例えば、特定の振動パターンがあると熱がスムーズに伝わったり、逆に振動が邪魔をして電子がうまく動けずに電気抵抗が高くなったりします。

つまり、目には見えない微小な振動こそが、私たちが使う物質の性能や機能を大きく変えてしまうのです。

近年、この「原子の振動」をうまく利用する新たな材料として、「二次元材料」という非常に薄い素材が注目されています。

「二次元材料」とは、原子が平面的にシートのように広がり、その厚さがわずか原子数個分という極薄の材料のことを指します。

このような超薄型の材料では、シート同士の並び方をわずかに変えるだけで、これまでになかった特別な電子的性質が現れることが知られています。

たとえば、電気抵抗がゼロになる「超伝導」という不思議な性質が現れることもあり、エネルギー問題を解決する鍵として期待されています。

特に注目されているのは、二枚の原子シートをほんのわずかにずらして重ねるときに現れる「モアレ構造」というパターンです。

「モアレ」とは、二つの規則的な模様を少しだけずらして重ねたときに現れる新しい模様のことを指します。

これと同じことが原子シート同士でも起こり、原子が並ぶ模様が複雑に入り組んで独特な構造が現れます。

すると、この新しい構造の中には普通の結晶には見られない、非常にゆっくりした特殊な振動モード(揺れ方)が生まれることが理論的に予測されています。

その特殊な揺れの中でも、特に低いエネルギーでシート同士が横方向にゆっくりずれて揺れる特殊なモードが「ファゾン(モアレ・ファゾン)」と名付けられました。

ファゾンはまさに、二次元材料特有の不思議な性質(熱の伝わり方や超伝導の起き方)を解明するための重要なカギだと理論的に考えられています。

しかし、この「ファゾン」と呼ばれる揺れ方には大きな問題がありました。

これまでファゾンは「理論的には存在する」と予測されていましたが、実際に実験で見た人は誰もいませんでした。

その理由は、この振動をとらえるためには非常に高い性能を持つ顕微鏡が必要だからです。

つまり、原子1つ1つがどのように動いているかを見分けられるほどの高い空間分解能(細かいところまで見える能力)と、非常に低いエネルギーでゆっくりとした振動を感知する能力の両方が必要でした。

残念ながらこれまでの顕微鏡技術では、この二つの条件を同時に満たすことが難しかったため、ファゾンを直接観測することができなかったのです。

こうした状況の中で、研究チームは未だ誰も見たことがない「ファゾンの直接観測」に挑むことにしました。

目指したのは、「原子の世界の揺れをそのまま映像に収める」という、これまで誰も到達していない新たな研究領域です。

そのために、研究者たちは近年新しく開発された最先端の電子顕微鏡技術に注目しました。

原子の『震える姿』を捉えた新技術

原子の『震える姿』を捉えた新技術 / Credit:Canva

では、研究チームはどのようにして、これまで誰も見ることができなかった原子の「震え」を捉えることに成功したのでしょうか?

これには、まず「原子を観察する」とはどういうことなのか、少し説明する必要があります。

私たちが普段使う光学顕微鏡(学校の理科の実験などでよく使われるもの)は、光をレンズで集めて拡大することで物を見る道具ですが、残念ながら原子のような極めて小さいものを見ることはできません。

なぜなら、原子は光よりもずっと小さいため、光の波長では細かな形が捉えられないからです。

そこで登場するのが「電子顕微鏡」という特別な顕微鏡です。

この顕微鏡は、光の代わりに電子という非常に小さな粒子を高速で試料にぶつけ、その電子が試料を通り抜けるときに作る独特の模様(回折パターン)を記録します。

電子は原子よりも小さいため、原子の細かな形状を映し出すことが可能です。

しかし、原子の細かい揺れを捉えるためには、さらに工夫が必要になります。

研究チームは今回、電子顕微鏡をさらに進化させた「電子ピトグラフィー」という最新技術を用いました。

電子ピトグラフィーとは、試料に電子を当てて生まれた回折パターン(電子が散らばって作る波の模様)をたくさん集め、それらをコンピューターで一枚の精密な像に組み立て直すという高度な手法です。

少し難しく感じるかもしれませんが、例えばスマホでピントのぼけた写真を何枚も撮り、それらを重ねて画像処理することで、非常に鮮明な一枚の写真を作るイメージに似ています。

この方法を使って研究チームが観察したのは、「二硒化タングステン(WSe₂)」という特別な材料です。

この材料は、二枚の非常に薄い原子シートを約1.7度だけわずかにずらして重ね合わせたものです。

わずかな角度で重ねたことで、原子同士の並び方が複雑に変化し、独特の模様(モアレ構造)が現れています。

研究チームは、この材料を使えば「ファゾン」のような特殊な振動を見つけることができると考えたのです。

結果、これまでの電子顕微鏡では0.96オングストローム(原子が並ぶ距離を測るための小さな単位)までしか見分けられなかった精度が、一気に0.32オングストロームへと向上しました。

さらに特殊な処理を施すことで、最終的には0.29オングストローム未満という驚異的な細かさで原子を観察することに成功しました。

また、原子同士のわずか14.7ピコメートル(1メートルの1兆分の1の、さらに100分の1という極小の距離)ほどの間隔も、はっきり区別して見ることができました。

こうした非常に細かいレベルでの観察が可能になったことで、熱によって原子が小さく震える様子まで「像のにじみ」として映し出されるようになったのです。

実際に研究チームが得た画像では、本来は点のようにはっきり映るはずの原子が、丸くぼやけたり、楕円形に伸びて映っていることが分かりました。

ここで重要なのは、原子自体の形やサイズが変化しているわけではないということです。

この「にじみ」や「伸び」は、撮影中に原子が熱のエネルギーで小刻みに動き、その動きが映像として記録される際にブレてしまうために起きている現象です。

たとえば、暗い場所でカメラのシャッタースピードを遅くして人の動きを撮影すると、動いている人は写真の中でぼんやりとブレて見えますよね? それと同じことが原子の世界でも起きているのです。

研究チームは、このにじみや伸びの具合を詳しく分析することで、「原子一つ一つがどのくらい揺れているのか」「どの方向に揺れているのか」を正確に割り出しました。

さらに分析を進めると、材料の中でも特定の場所によって原子の揺れ方が違うことが分かってきました。

特に「ソリトン」と呼ばれる原子が並ぶ境界線では、原子の揺れが同じ方向にそろって楕円形に伸びる傾向があり、「AA」と呼ばれる原子同士がぴったりと重なった場所では揺れの大きさが最も大きくなることがはっきりしました。

これらの揺れの特徴こそ、研究者が長年理論的に予測してきた「ファゾン」の特徴そのものでした。

言い換えると、今回の実験により、二枚の原子シートをほんのわずかにずらした「モアレ構造」では、これまで目で見ることができなかった特別な低エネルギーの揺れ(ファゾン)が、材料の熱の動きを特に支配していることを初めて映像として証明したのです。

この成功は、長い間「理論上の予測」にとどまっていた原子の微小な振動を、現実に存在する現象として実際に見ることができた歴史的な瞬間だったのです。

『熱の指紋』で材料が進化する

今回の研究の最大の成果は、理論だけで予測されてきた「ファゾン」という特別な原子の揺れを、世界で初めて原子一つひとつの動きとして捉えることができた点にあります。

科学の世界では、理論で予測された現象を実験で直接見ることができると、その現象が本当に存在することを示す決定的な証拠になります。

これまでは、ファゾンという現象は「理論上は起こるはず」と考えられていましたが、実際に原子レベルでの証拠を誰も持っていませんでした。

今回、原子が振動する様子を明確に捉えたことで、科学者たちは「ファゾン」という新しいタイプの振動が間違いなく存在すると確信できたわけです。

この研究成果のすごさを例えるならば、「熱の指紋」を読み取る技術が生まれたようなものです。

もちろん、ここで言う「指紋」は比喩的な表現ですが、私たち一人ひとりが持つ指紋がその人を特定する手がかりになるように、原子の揺れ方にもそれぞれの物質や構造に特有のパターンがあります。

今回の新技術によって、その微細で特別な揺れのパターンをはっきりと描き出すことが可能になりました。

言い換えると、これまでは目に見えなかった原子の小さな揺れを「地図」のようにはっきりと示すことで、熱や電気の性質を決める非常に重要な情報を得られるようになったのです。

なぜ、この「熱の指紋」を知ることが重要なのでしょうか。

物質の性能は、原子がどのように配置されているか(構造)だけでなく、その原子がどう揺れているかという「振動の性質」にも大きく左右されます。

原子が小さく揺れる動き方が変われば、物質の熱の伝わり方や電子が動くスピードも変化します。

これまでの材料開発では、「どの原子をどこに並べるか」が中心でしたが、これからは「原子をどのように振動させるか」という視点も重要になるのです。

研究チームは今後、この新たに得た技術を使って、材料の中に存在する「欠陥」や「境界部分」が原子の振動にどのような影響を与えるのかを詳しく調べようとしています。

物質には必ずと言っていいほど、何らかの小さな欠陥や境界部分が存在します。

これまではこうした欠陥や境界が、熱や電気をうまく伝える妨げになることは知られていましたが、実際に原子がどのようにそこで揺れ、どのように悪影響を及ぼしているのかを直接見ることは困難でした。

しかし今回の技術を使えば、「なぜ特定の場所だけ熱や電気が流れにくいのか」を原子レベルで詳しく調べることが可能になります。

このようにして得られる情報を活用すれば、電子の流れや光の性質を細かく制御して、これまでにはなかった性能を持つデバイスを作り出すことができるかもしれません。

具体的には、コンピューターの処理速度を飛躍的に高める可能性を秘めた「量子コンピューター」や、現在よりもはるかに少ないエネルギーで動作する電子機器(省エネルギー型エレクトロニクス)、非常に小さなサイズでわずかな変化を精密に感知するナノセンサーなど、さまざまな最先端技術への応用が考えられます。

このように「原子の振動を操る」という新しいアイデアは、まさに材料科学や技術開発の新時代を切り開く重要な鍵になるでしょう。

今回の研究は、これまで理論的な予測にとどまっていた微小な世界の振動現象を実際に目に見える形で確認し、その重要性を示したという意味で、科学史に残る大きな出来事です。

研究者たちは「震える原子」の姿をはじめて明確な「映像」としてとらえることで、私たちがまだ見ぬ未来のテクノロジーへの新しい扉を開いたのです。

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元論文

Atom-by-atom imaging of moiré phasons with electron ptychography
https://doi.org/10.1126/science.adw7751

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 これまでで最も高解像度の単一原子画像