- 週間ランキング
この図は、古代ローマの建築家、マルクス・ウィトルウィウス・ポッリオ(紀元前80年/70年頃 〜紀元前15年以降)が「人間の身体には、よく設計された神殿のように、調和の取れた比率があり、人体は円と正方形の両方に完璧に収まる」と記した考えを参考にして、ダ・ヴィンチが描いたものでした。
しかし、ウィトルウィウス自身はその理論を“どうやって図にするか”についての数学的な方法は残していません。
つまり、ダ・ヴィンチがどうやってこの人体図を完成させたのかは、長年謎だったのです。
この問題に多くの研究者が挑戦し、「黄金比(1.618…)を使ったのではないか(※ 黄金比は約1.618:1の比率で、最も美しいとされる比率の一つ)」とする主張もなされましたが、決定打には至っていません。
そんな中、英国の歯科医、ロリー・マクスウィーニー氏が注目したのは、ダ・ヴィンチが残した手書きのメモでした。
そこにはこう書かれていたのです。
「脚を開いたとき、その空間は正三角形となる」
この「正三角形」こそが、ダ・ヴィンチの幾何学の秘密を解く鍵でした。
そしてマクスウィーニー氏は、この三角形が1864年に歯科医ボンウィルが提唱した「ボンウィルの三角形」とほぼ一致することを見出します。
ボンウィルの三角形とは、歯科解剖学のなかで知られ、下あごの左右の関節と前歯の中心を結ぶ三角形のことで、理想的な咬み合わせやあごの動きの設計に使われています。
驚くべきことに、この三角形を元に図を構成すると、ウィトルウィウス的人体図に見られる正方形の一辺と円の半径の比率が1.64〜1.65となったのです。
これは自然界で効率的な構造の設計に広く見られる特別な比率「1.633」に非常に近い数値でした。
では「1.633」は自然界においてどれほど重要な数値なのでしょうか?
この「1.633」という比率、実は単なる数字ではありません。
それは原子の結晶構造や球体を最も効率的に積み重ねる方法、さらには自然界における“最適な空間の使い方”に共通して現れる数値なのです。
歯科の世界では、あごの骨がこの比率に沿った構造を自然に形成しており、理想的な歯の噛み合わせや顎の運動に必要な構造を示した「モンソンの球」や「咬合理論」などの分野でもこの数字が登場します。
また現代の研究では、人間の最適な頭蓋骨の構造にもこの比率(1.64±0.04)が存在することが確認されており、これは人類に特有の現象だと考えられています。
さらにこの1.633という比率は、「テンセグリティ理論(張力と圧縮のバランス構造)」や「ベクトル平衡体(立方八面体)」とも関係しています。
テンセグリティは、「張力(引っ張る力)」と「圧縮(押す力)」がバランスよく組み合わさることで、最小の材料で最大の安定性を得る構造原理であり、この構造の中にも1.633という比率が現れます。
ベクトル平衡体は、完璧に均衡の取れた立体構造であり、すべてのエッジ(辺)の長さが等しく、中心からの距離も均等であり、力が全方向に等しく分散することができます。
この構造体にも1.633という比率が関わっています。
つまり、ダ・ヴィンチが描いた「人体図」は、ただの美しいデッサンではありません。
それは自然界に存在する“最適構造”の設計図であり、人間の体が自然の美しき原理に従ってできていることを示す、科学的にも正確な図だったのです。
そして驚くべきことに、彼はそれを16世紀にしてすでに理解していたのです。
ダ・ヴィンチが見ていたのは、単なる人体の形ではなく、「自然の数学」だったのかもしれません。
500年前の天才が直感した「人間の中に秘められた数学の美しさ」。
彼は絵筆ではなく、正三角形と円と正方形という幾何学の道具を使って、“人間とは何か”という謎に迫っていたのです。
参考文献
Dentist may have solved 500-year-old mystery in da Vinci’s iconic Vitruvian Man
https://phys.org/news/2025-07-dentist-year-mystery-da-vinci.html
Dentist solves centuries-old secret maths puzzle in famous Leonardo Da Vinci drawing
https://www.gbnews.com/news/leonardo-da-vinci-painting-puzzle-solved-drawing-dentist
元論文
Leonardo’s Vitruvian Man: modern craniofacial anatomical analysis reveals a possible solution to the 500-year-old mystery
https://doi.org/10.1080/17513472.2025.2507568
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部