情報はエネルギーと不可分のようです。

オーストリアのウィーン工科大学で行われた研究により、量子の世界で情報を削除すると「情報を持っている部分」から必ずエネルギーが失われ、環境に逃げていくことを実験的に測定・実証されました。

この結果は、情報の消失が単なる抽象概念ではなく、エネルギー散逸と連動する物理現象として解釈できることを示しています。

さらに研究ではこの現象を『準粒子』という直感的なイメージを用いてわかりやすく説明できることも示されました。

情報とエネルギーという一見かけ離れた概念はどのように結びついていたのでしょうか?

研究内容の詳細は2025年6月5日に『Nature Physics』にて発表されました。

目次

  • なぜ「情報を消す」行為が物理学の重要課題なのか?
  • 「情報」を消すとエネルギーが逃げる
  • 情報はエネルギーである――量子コンピュータの未来を左右する新事実

なぜ「情報を消す」行為が物理学の重要課題なのか?

なぜ「情報を消す」行為が物理学の重要課題なのか? / Credit:clip studio . 川勝康弘

私たちは日頃、パソコンやスマートフォンに保存されたデータを気軽に消しています。

しかしこの「情報を消す」という行為を物理現象として考えた人は少ないでしょう。

多くの人にとって情報とは抽象的な重さも形もない概念であり、物体の融解や核分裂といった物理現象と関連しているとは別のものだとみなされているからです。

しかし物理学者ロルフ・ランダウアーは情報の記録や消去を物理現象としてとらえ1961年、「情報を消すということは必ずエネルギーの代償が必要になる」とするランダウアーの原理を提唱しました。

情報に物理性は存在するのか?

物理的な観点から見ると、情報を消すということは、物体の「状態」を一つに固定し再び情報が得られないようにすることです。たとえば何らかの音があることを示す突起だけで構成されている超簡単なレコードがあるとします。このレコードから「音の情報を完全に消す」にはレコードを削るなどして情報が読み取れない均一のツルツルの状態へとシフトしそのままで固定される必要があります。このような特定の状態を作ることは物理的には乱雑さ(エントロピー)を減らすという行いと解釈されます。情報が刻まれた状態はある種の複雑さを持っていますが、情報を消すことで複雑さを持たない状態に移行できるからです。そして熱力学の第二法則によれば、ある物体の乱雑さ(エントロピー)を減らす操作を行うと、必ず外部(環境)に熱エネルギーが放出されるとされます。実際問題、摩擦熱という熱の放出なくして、レコードを削ることは不可能です。これは摩擦にかんする常識に思えますが、熱力学の第二法則を最もわかりやすく反映した現象と言えるでしょう。より直感的に言えば、環境の中でこっち(レコード)で乱雑さを減らすという、ある意味で人工的な操作を達成するには、周囲の環境に乱雑さの元となるエネルギーをまき散らす必要があるわけです。つまり、情報を消去することは「必ず環境にエネルギーを放出する」ことを要求する、完全に物理的な現象であり、情報とエネルギーは切り離せない関係にあるわけです。

この原理に従えば、27℃の室温で1ビットの情報を消去するには、情報を記録している物体から最低でも2.87×10⁻²¹ Jのエネルギーが環境に放出されなければならない計算になります。

これは非常に小さいため、日常生活では意識することもありませんが、コンピュータ上であれ量子系であれ、情報の消去(忘却)は物理的なエネルギー変化を伴う過程であることを示しています。

しかし「情報を消去する」とは物理的に具体的にはどういう現象なのでしょうか?

従来、このランダウアーの原理は主に従来型の計算機や比較的単純な物理実験において検証されてきました。

たとえばナノサイズの磁気メモリや単一原子のレベルのメモリを使用した実験では、確かに、情報1ビットを消去する際に理論が予測する通りのエネルギーが熱として観測されることが示されてきました。

しかし、量子コンピュータのような複雑な量子多体系になると、単純な実験で確かめるのは容易ではありません。

複数の量子粒子が絡み合い、環境との相互作用も複雑化するため、「情報を消去する」という操作が具体的にどういう現象なのかを捉えること自体が難しくなります。

そこで研究チームは今回、この謎めいた量子世界に焦点を当て、量子多体系で情報を消去した時に起こる現象の正体を突き止めることを目指しました。

果たして、量子世界における「情報の消去」とは具体的にどのような物理現象なのでしょうか?

「情報」を消すとエネルギーが逃げる

「情報」を消すとエネルギーが逃げる / FIG 1は、研究チームが行った実験の一連の流れを視覚的に示した図です。図の(a)では、二本の細長い雲のようなものが描かれています。これは実際には非常に低温に冷却されたルビジウムという原子の集まり(原子の雲)を模式的に表しています。最初、二つの原子の雲は強いトンネル結合(トンネルカップリング)によって互いに強く結びついた状態にあり、原子が自由に行き来できるようになっています。この状態は「質量のあるクライン・ゴルドンモデル」と呼ばれる特殊な物理モデルに対応していて、原子同士が安定した状態で互いに影響し合っています。その後、実験では原子雲の間にあった「壁」(ポテンシャルバリア)を急激に高く引き上げ、二つの雲を完全に分離します。この突然の変化は「グローバル質量クエンチ」と呼ばれます。壁が急に高くなることで、二つの雲は互いに独立して進化を始め、それまで質量のある状態だった系が質量のない状態へと一気に変化し、時間とともにそれぞれ独立して進化を開始します。
図の(b)は、この分離操作を行った後、原子の雲を自由に膨張させて、その相互作用の結果生じる「干渉パターン」を観察した様子です。干渉パターンとは波が重なった時に現れる縞模様のことで、実際の実験では原子の密度が濃い部分と薄い部分が縞状に交互に現れるように観察されます。この模様を通じて二つの雲の間に存在する相対位相を詳細に計測し、その情報を後の解析に利用します。
図の(c)には、この干渉パターンを解析する方法が示されています。研究者は観察された模様を使って、原子の位置ごとの位相の関連性(相関)を計算し、「共分散行列」と呼ばれる数学的な図表を作成します。この行列は色で表現されており、各点の相関の強さを示しています。この共分散行列を利用することで、系(原子雲の一部)と環境(残りの部分)を明確に区別し、それらの間でどのように情報やエネルギーの交換が行われるのか、量子情報理論的な指標(相互情報量やエントロピー変化)を具体的に計算できるようになります。/Credit:Experimentally probing Landauer’s principle in the quantum many-body regime

量子の世界で「情報を消す」ということは具体的にどんな現象で、どのようにエネルギーが失われているのでしょうか?

この謎を解明するため研究者たちはまず、極低温に冷却したルビジウム原子の集団を閉じ込めて安定な「量子の雲」を作り上げました。

この原子の雲は、いわば目に見えない小さな粒子たちが互いに静かに調和を保っている状態です。

イメージ的には非常に静かで穏やかな湖の水面と言えるでしょう。

次に研究者たちは、雲の中で原子同士が交流しあう力を調整するために使われていたバリア(ポテンシャルバリア)を、ごく短時間のうちに一気に引き上げる操作を行いました。

この操作は専門用語で「グローバル質量クエンチ」と呼ばれ、原子同士がこれまで保っていた静かな均衡状態を意図的に大きく崩してしまう操作です。

たとえるなら、穏やかで静かな湖の水面に突然大きな石を投げ込んだようなものです。

この乱れが生じた後、研究者たちは系全体の一部を情報が存在する「量子システム」、それ以外を「環境」と定義し、それらの間で情報とエネルギーがどのようにやり取りされているかを詳細に調べました。

波立っている湖の枠で囲まれた部分を特別な場所として指定し、この領域の原子たちがもっていた情報やエネルギーがどう枠の外に出ていくかを観察したのです。

すると、驚くべき結果が観測されました。

量子システムが環境と接触し相互作用することで、それまでシステムが持っていた情報は徐々に環境へと移って失われ、同時にエネルギーが逃げていく現象が初めてはっきりと実験で捉えられたのです。

枠内の原子たちが持つ情報とは?

「原子が情報を持っている」というのは、日常生活の感覚からすると奇妙に思えるかもしれません。しかし、量子の世界では、「情報」というのは原子や粒子がどのように配置され、どのような動きをしているかという「状態の特徴」のことを指しています。例えば、枠で囲まれた小さな領域の中を飛び交う原子を考えてみましょう。もし、この原子たちが完全に規則正しく整列し、すべての粒子が同じように振動していたら、そこには非常に少ない情報しか含まれていません。なぜなら、どの原子を見ても、同じ配置・同じ動きをしているため、新たに得られる情報はほとんどないからです。ところが、ポテンシャルバリアの急激な変化(乱れ)が起こると、原子の動きや配置は不規則で複雑になり、各原子はそれぞれ独自の状態を持つようになります。つまり、この乱れた状態では、「どの原子がどの位置にいて、どのような速度で動いているか」という情報が増え、非常に多くの情報が系に存在する状態となるのです。実験で「情報が消える」というのは、こうして複雑で乱れた状態にあった原子たちが環境と相互作用するうちに、次第にその独自性や特徴を失っていき、最終的には環境側とほとんど区別できない状態に落ち着くことを意味します。このとき、もともと系が持っていた「どの原子がどう動いているか」といった詳細な情報が失われてしまうのです。

これは、「量子世界でも、情報を忘れるということはエネルギーの損失を意味する」というランダウアーの原理の予測を、複雑な量子多体系という状況でも確認できたことになります。

実験で計測したエネルギーの損失量や情報が失われるスピードは、理論的なシミュレーション結果とも非常に高い精度で一致していました。

さらに研究者たちは、この目に見えない現象を直感的に説明するために「準粒子」という概念を使ってわかりやすく解説しました。

準粒子とは、複雑な量子世界で起きる集団的な現象を、まるで「1個の粒子」であるかのようにイメージ化した概念で、例えば、電子の穴(正孔)や物質内部での振動(フォノン)などが有名です。

準粒子は物質の中で起きる複雑な現象やエネルギーの変化を、「粒子が実際に動いているかのように」わかりやすく理解するために物理学者が考え出した概念です。

今回の実験でも、量子系に強い乱れを与えると、多数の「準粒子」がペアとなって生まれ、それが四方八方に飛び出していくというモデルで情報の消失やエネルギーの流れを説明することができました。

簡単にいえば、情報を消すと量子の世界ではペアで「見えない粒子」が生まれ、一方がシステム外へ逃げることで、システムの持っていた情報とエネルギーが失われるという状況が描かれたのです。

なぜ「ペア」かというと、量子の世界では粒子が新たに現れる際には必ず対になって現れ、一方が持つ特徴ともう一方が持つ特徴が対照的になることでバランスをとる性質があるからです。

今回の実験では、量子系に急激な「乱れ」を加えることで、多くの「準粒子」と呼ばれる仮想的な粒子がペアとなって生成されました。

イメージとしては、ある特殊なカードが必ず2枚セットで現れるようなものです。

重要なのはここからです。

この「カード」のペアのうち、一方が系の外側へと飛び出していきます。

もう一方はもともとの量子システムに残りますが、問題は外へ飛び出した側の準粒子です。

外へ出た準粒子は、もともとの系の持っていた「情報とエネルギー」を、まるで外へ持ち去るように見えるのです。

そして準粒子が系から出て行くと、その粒子が本来保持していた配置やパターンは壊れてしまい、元々の配置が再現できなくなります。

言い換えると、カードの片方が失われると、元々どんなペアだったのか(つまり元の情報)はわからなくなります。

このようにして、情報は系から失われることになるのです。

準粒子が逃げ出した際には、同時に「エネルギー」も系の外へと運び出されます。このエネルギーの持ち去りが、系の中でのエネルギー損失として観測されます。

実験では、このエネルギーが失われる瞬間を実際に計測することで、情報の消失という現象をはっきりと捉えました。

つまり量子の世界で情報が消えるとは、「系が持っていた情報(粒子の配置)が、準粒子のペアの一方によって外へ持ち去られ、元に戻せない状態になる」と解釈できるのです。

こうして、長らく謎だった量子世界での「情報消去」という不可視の現象がついに実験的にもモデル的にも、その姿が明らかにされたのです。

情報はエネルギーである――量子コンピュータの未来を左右する新事実

情報はエネルギーである――量子コンピュータの未来を左右する新事実 / Credit:clip studio . 川勝康弘

本研究は、量子の世界でも情報を消去するという操作は明確にエネルギー散逸を伴うことを改めて示し、情報理論と熱力学、そして量子物理学の密接な関係を実証したものです。

一般に私たちは情報を単なるデジタルデータとして捉えがちですが、量子レベルでは、情報とは原子や粒子がどのような配置や動きをしているかを記録した「物理的な状態そのもの」です。

つまり、情報を消すという行為は、この物理的状態に込められた情報が消えることを意味し、それは必ず環境へとエネルギーが逃げ出していくことを伴います。

この結果は、「情報の消失」が単なる記録の消去にとどまらず、必然的に系からエネルギーが失われてしまう物理現象だということを示しています。

これにより情報がもはや抽象的な概念にとどまらず、「エネルギー」という実体と密接に結びついていることが改めて浮かび上がりました。(※情報=エネルギーという短絡的なものではなく情報とエネルギーの切り離せなさが確実になったということです。)

この発見は、将来的に量子コンピュータが発展し、より高密度で微細なシステムが作られていく際に重要な制約として考慮しなければならないポイントとなります。

なぜなら情報を消すたびに必ず発生するこの小さなエネルギーの積み重ねが、最終的にはシステム全体の性能やエネルギー効率に大きく影響する可能性があるからです。

さらに、この研究で用いられた実験手法や考え方は、これまで理論でしか議論できなかった量子世界の不思議さを準粒子という直感的モデルで説明可能であることも示しました。

これにより、量子もつれや熱の不可逆性といった難解な現象を視覚化しながら理解する道が開け、量子物理学をより深く理解する助けになると期待されます。

情報の物理的側面に光を当てた本研究は、量子情報科学と熱力学の融合という新たな学際領域の発展に大きく寄与する画期的な一歩と言えるでしょう。

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元論文

Experimentally probing Landauer’s principle in the quantum many-body regime
https://doi.org/10.1038/s41567-025-02930-9

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 情報は消すとエネルギーになって漏れていく――情報の物理性実証に成功