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ギャンブルをしたことがある人なら、誰でもこんな経験をしたことがあるのではないでしょうか。
「あと少し勝てそうだ」と思い込み、結果的に大きな損をして後悔したり、負けることへの恐怖心がなくなってつい大金を賭けてしまったり。
私たちがギャンブルでついついリスクを取ってしまう背景には、「損失回避」と呼ばれる心理のクセがあります。
これは、同じ金額であっても得をする喜びより損をする痛みを強く感じる人間の心理傾向のことです。
たとえば、100ドルもらったときに感じる嬉しさよりも、100ドル失ったときに感じるショックの方がはるかに大きいとされています。
この損失回避の心理が強いほど、私たちはリスクの少ない安全な選択を好むようになります。
逆に損失回避が弱まると、人はもっと大胆に、リスクの高い賭けに挑戦しやすくなるのです。
カジノやギャンブル施設は、このような人間の心理の仕組みを巧みに利用して設計されています。
例えば、スロットマシンで大当たりが出たときに鳴るベルやファンファーレは、プレイヤーに勝利を錯覚させ、もっとお金を賭けようと気分を高揚させます。
また、カジノ特有の派手な色使いや照明の演出も、プレイヤーを興奮させ、ついついお金を使いすぎてしまう要因となっています。
特に最近注目されているのが、照明に含まれる「青色の光」です。
青色が強い光を浴びると、人間の脳は活動的になり、注意力や判断力にも影響が出ることが知られています。
これは、目の中にある特殊な細胞が青色の光を感知して、その情報を直接脳に伝えるからです。
この特殊な細胞は視覚に関係する通常の細胞とは異なり、いわば「第二の目」として、光の情報を脳の奥深くにある「扁桃体」や「報酬系」といった感情や意思決定に関わる領域に送ります。
強い青い光を浴びると、脳の扁桃体が落ち着き、不安や恐怖心が和らぐという研究結果も報告されています。
つまり、青色の照明の下では、私たちの脳は「損失への恐怖感」を感じにくくなってしまう可能性があるということです。
もし、カジノの煌びやかな青色の照明が、本当に私たちの「損したくない」という感情を鈍らせ、気づかないうちに危険な賭けをさせているのだとしたら、それは一体どのような仕組みで起こっているのでしょうか?
研究チームは、この疑問に答えるため、ある興味深い実験を実施しました。
もし、カジノの煌びやかな青色の照明が本当に私たちの「損したくない」という感情を鈍らせ、知らず知らずのうちに危険な賭けをさせているのだとしたら、それはいったいどのような仕組みで起こるのでしょうか。
その謎を解明するため、研究者たちはまず参加者たちに異なる種類の照明を浴びせながらギャンブルのような意思決定をする実験を行いました。
用意されたのは2種類の照明です。
ひとつは青みが強く、カジノのような冷たい青白い光(色温度約6500K)で、もうひとつは青色を極力減らした暖かな黄白色の光(色温度約2700K)です。
ただし、明るさはどちらもオフィスの室内程度に統一されており、違いは色の成分だけでした。
参加者はそれぞれの日に別々の照明を浴びながら、パソコン画面でお金を賭けるゲームをしました。
ゲームのルールはシンプルで、例えば「50%の確率で24ドルもらえるが、50%の確率で18ドルを失う」というリスクのあるギャンブルに挑戦するか、もしくはリスクを避けて「必ず2ドルだけもらえる」という安全な選択肢を取るかを選ぶというものです。
この選択を何度も繰り返してもらい、参加者がどの程度リスクを恐れて安全策を選ぶか、または逆にどのくらいリスクを取るかを測定しました。
すると青い光をあまり照射していない場合、リスクがあるギャンブルを選んだ男性参加者は55.13%で、女性参加者36.05%となりました。
なぜ「儲けが少ない安定」を選ぶ人が多いのか?
冷静に考えれば「50%の確率で24ドルもらえるが、50%の確率で18ドルを失う」というギャンブルの1回あたりの期待値は3ドルであり、必ず2ドルもらえるほうの期待値は1回あたり(当然ながら)2ドルとなります。にもかかわらず、多くの人が「確実に2ドルを受け取る」という儲けが少ない安全な選択をするのはなぜでしょうか?
この理由を理解するカギは、先にも述べた人間の「損失回避」という心理的傾向にあります。私たちの心は、同じ金額を得たり失ったりしたときでも、その感じ方が非対称です。つまり、100ドルをもらった喜びよりも、100ドルを失った痛みの方がずっと強く感じられるということです。これは心理学では「プロスペクト理論」として知られています。
ギャンブルのような場面では、人間は損失の可能性があるというだけで強い不安を感じ、その不安を回避するために、利益は少なくても確実な方を選ぶ傾向があります。仮にリスクのある選択肢が長期的に有利でも、目の前の損失を恐れる気持ちの方が強く働いてしまうのです。
つまり人間は本質的にギャンブルに向かない性質を備えている訳です。
人間が持つこうした心理的なクセは、日常生活のさまざまな意思決定に影響を与えています。株式投資でも、長期的に利益が出ると分かっていても目先の損失を恐れてしまい、結果として利益を逃してしまうということは珍しくありません。
しかし豊富な青い光を照射すると様子が違ってきます。
青みが強い照明の下では、参加者たちは明らかにリスクのある選択を積極的に取るようになりました。
具体的にはリスクがあるギャンブルを選んだ男性参加者は60.27%で、女性参加者39.7%と両方ともかなり増加しました。
つまり、青白い光を浴びると人は損失をそれほど怖がらなくなり、「まあ負けても仕方ないか」と考えやすくなったのです。
この違いは統計的にもはっきりと確認され、特に損失を恐れる心理の程度を表す「損失回避係数(λ)」という数値が、青い光の環境では大きく低下したのです。
研究チームはこの結果を、「青色が少ない照明環境では、参加者は『100ドルを失う痛み』を『100ドルを得る喜び』よりずっと強く感じていました。しかし、青色の強い照明下ではその痛みが薄れ、人々は損することをそれほど悪いことと感じなくなったのです」と説明しています。
また、数値を比較してもわかるように、男女の違いも興味深い結果を示しました。
男性は特に青色の光の影響を受けやすく、普段よりずっと大胆にリスクを取るようになったのです。
女性も青い光の下では普段より少し大胆になりましたが、それでも男性ほどの積極性は示さず、全体的に慎重さを維持していました。
これは「男性は元々リスクを取りやすく、女性は損失への恐怖心が強い」という以前から知られていた傾向とも一致しています。
なぜ男性より女性は損失回避傾向が強いのか?
プロスペクト理論が示す「損失は同じ金額の利益よりも強く感じられる」という傾向は、人類共通の心のクセとしてよく知られています。しかし、さまざまな実験を通じて、この傾向が特に女性で強く表れることが明らかになってきました。その背景には、生物学的な要因、脳神経学的な要因、社会心理的な要因が複雑に絡み合っていると考えられています。
まず、生物学的には男女のホルモンの違いが影響しています。女性ホルモンの一つであるエストロゲンは脳の扁桃体の働きを高める傾向があり、危険や損失に対する恐怖や不安を感じやすくします。一方で男性ホルモンであるテストステロンは、脳の報酬系を刺激して楽観的な判断を促進し、リスクを積極的に取る方向へ働きます。
脳神経学的にも、男女間で異なる活性パターンが観察されています。リスクのある選択をする際、女性では損失や危険を感じる領域(扁桃体や島皮質)の活動がより強く表れるのに対して、男性では利益や報酬を感じる領域(線条体や外側前頭前野)の活動が活発になります。
さらに、社会的要因も重要です。一般に幼少期からの社会化の過程で、女性は「失敗を避けて慎重になること」や「協調的に安全な道を選ぶこと」を教えられることが多く、その結果として、損失や危険に対する感受性が自然と高まる傾向があります。また、心理学的な調査から、女性は男性よりも不安やネガティブな感情を強く感じる傾向があり、こうした感情の強さが「損をすることへの恐怖心」をさらに押し上げている可能性があります。
つまり、こうした生物学的・脳神経学的・社会心理的な要因が重なり合って作用するために、女性は損を避ける行動を取りやすくなり、結果として男性よりもプロスペクト理論の典型的な傾向(損失回避)に忠実に従いやすいのです。
今回の論文でも、男女間に明確な差が見られています:
女性の損失回避係数(λ)は約1.4〜2.0(損失回避が強い)
男性の損失回避係数(λ)は約0.8(損失回避が低く、むしろ利益を求める傾向がある)
損失回避係数(λ:ラムダ)とは、簡単に言うと、「人が利益よりも損失をどのくらい強く嫌がるか」を数字で表したものです。
λが0に近いときは損失を全く気にせず100円得る喜びは感じても100円失う痛みは感じない状態です。
- λが 1に近いとき は、「同じ金額の損失と利益をほぼ同じくらいの強さで感じる」ことを示しています。
たとえば、100円得る喜びと100円失う痛みが、ほぼ同じくらいの強さで感じられる状態です。λが 1より大きくなると、「損失を嫌う気持ちのほうが強くなる」ことを示しています。
たとえば、λが2ならば「100円を失う痛みは、100円を得る喜びのちょうど2倍くらいの強さで感じる」ということです。この場合、人は利益を追求するよりも、まずは損失を避けようとする傾向が強くなります。逆に λが 1より小さいとき は、「損失をそれほど気にせず、むしろ利益を追い求める」状態を示しています。
例えば、λが0.5の場合、「100円を失う痛みは、100円を得る喜びの半分くらいにしか感じられない」ということで、人は積極的にリスクを取って利益を求める傾向になります。
つまり、カジノやギャンブル施設にあふれる青白いLEDの照明が、人々の判断力に直接影響し、「負けてもまあいいか」と感じさせてしまうことで、普段以上に危険な賭けをさせることを実証したわけです。
それでは、なぜ青い光が私たちの判断をここまで変えてしまうのでしょうか?
この現象の背後にある脳のメカニズムについて、次のセクションで詳しく見ていきましょう。
今回の研究によって、「カジノやスマホから発せられる青い光は、『損したくない』という人間の心理を鈍らせ、気づかぬうちに危険な賭けへと導く可能性がある」ことが示されました。
研究者たちも論文中にて「現代のカジノで使われるスロットマシンをはじめとしたギャンブル機器のほぼすべてが、青色成分の強いLEDやLCDのディスプレイを使用している」と指摘し、このような青色照明が人々のリスク判断を変化させる可能性について注意を促しています。
ではなぜ、青い光が私たちの判断力にここまで影響を与えるのでしょうか。
研究者たちはその答えを、脳内にある「扁桃体」という小さな器官の働きに見つけています。
扁桃体は、不安や恐怖を感じると活発に働き、私たちが危険を避けるための警報装置のような役割をしています。
ところが、青色に特に敏感な目の奥にある特殊なセンサーが刺激されると、この扁桃体の働きが少し弱まってしまうというのです。
つまり青い光は、脳の「警報装置のスイッチ」を鈍くし、「負けるかもしれない」という恐怖や不安を感じにくくしてしまう可能性があるというわけです。
その結果、私たちは目先の利益に目が行き、「まあいいか」と楽観的にリスクを取るようになってしまうのです。
現代ではカジノやパチンコ店だけでなく、スマホやタブレット、オンラインゲームなど、青色が強いLED照明があらゆるところに使われています。
実際、私たちは知らず知らずのうちに、これらの照明に囲まれながら日々生活しています。
もしこの青色の光が私たちの判断を本当に狂わせるとしたら、カジノのようなギャンブル施設にとっては非常に都合の良い状況ですが、利用者にとっては決して望ましいことではありません。
今回の研究結果を受けて、研究チームは「照明の青色成分を減らすことで、ギャンブルをより安全に楽しめるようになる可能性がある」と指摘しています。
言い換えると、カジノやオンラインゲームの画面から青色の光を少し抑えるだけで、人々がリスクを過度に取りすぎず、もっと健全な意思決定ができるようになるかもしれない、ということです。
これは特にギャンブル依存症を防ぐためにも重要なヒントとなりそうです。
ただし、今回の実験は室内での小規模なものであり、実際のカジノの環境でも同じような効果があるかどうかは、今後さらに調査が必要でしょう。
とはいえ、身近な照明が私たちの感情や判断にここまで深く影響を及ぼすかもしれない、という可能性は驚きです。
私たちは普段あまり気づきませんが、実は環境の光ひとつで、自分自身が思っている以上に大きな影響を受けているのかもしれません。
「照明の色が変わるだけで、自分の『損したくない』気持ちが簡単に揺らぐなんて」、と思わず誰かに話したくなるような、興味深い発見です。
この研究がさらに進めば、ギャンブル施設だけでなく、私たちの暮らしの中での照明の使い方にも新しい視点が生まれることでしょう。
照明というごく身近な要素を工夫することで、人々がより落ち着いて安全な意思決定をする手助けができるかもしれません。
今後の研究成果にも期待が高まります。
元論文
Circadian photoreception influences loss aversion
https://doi.org/10.1038/s41598-025-97370-z
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部