睡眠の借金にリボ払いは通じません。

アメリカのジョンズ・ホプキンス大学(JHU)で行われたマウス研究によって、睡眠不足が続くと脳内の特定の神経回路が「寝不足分」をきちんと記録していて、あとで普段より長く深い眠りを作り出して負債を返済させる仕組みが発見されました。

夜更かしや徹夜で睡眠不足が続くと、次に訪れる眠りが普段より長く深くなることがあります。

いわゆる「睡眠負債」をまとめて返済するようなこの現象は昔から知られていましたが、脳はどのように「寝不足分」を計測して帳尻を合わせていたかは謎でした。

「睡眠不足のツケは必ず脳が覚えている」——この事実を知った今、私たちの眠り方はどう変わっていくのでしょうか?

研究内容の詳細は『Science』にて発表されました。

目次

  • あなたの寝不足を脳は覚えている――睡眠負債の謎に迫る
  • なぜ睡眠不足後は「寝だめ」をするのか?脳内にあった驚きの仕組み
  • 「睡眠不足のツケ」を脳が自動で記録していた――人間への応用可能性は?

あなたの寝不足を脳は覚えている――睡眠負債の謎に迫る

あなたの寝不足を脳は覚えている――睡眠負債の謎に迫る / Credit:Canva

夜遅くまでドラマを見たり、面白い本をついつい読み進めたりして、気づけばいつもの睡眠時間を過ぎてしまった――。

こんな経験は誰にでもあるのではないでしょうか。

そしてそんな日が続いたあと、私たちは強い「寝不足」を感じ、次の夜には長くぐっすりと眠ることがあります。

これは、体が睡眠不足を覚えていて、まるで借金を返すようにあとからまとめて睡眠を取ろうとしているからです。

これを専門的には「睡眠負債」と呼びます。

睡眠負債が溜まるとどうなる?

近年の科学研究では、この睡眠負債が体や脳の健康に深刻な影響を与えることが次々に明らかになってきました。

睡眠負債がたまると、脳の集中力や判断力が低下し、ケアレスミスや事故を引き起こす可能性が高まります。また、記憶力や学習能力にも悪影響が及ぶことが報告されています。これは、睡眠が脳の情報整理や記憶の定着に重要な役割を果たしているためで、睡眠不足が続けば認知症のリスクが高まる可能性も示されています。

さらに、睡眠不足は体の免疫力を低下させ、風邪やインフルエンザをはじめとした感染症への抵抗力を弱めます。また糖尿病や肥満、高血圧、心臓病などの生活習慣病リスクも上昇します。2024年の研究では、睡眠不足が続くと血糖値の調整が乱れることや、慢性的な炎症反応が高まることが明らかになっています。

さらに過去に行われた研究では慢性的な睡眠不足はIQスコアを5~10ポイント低下する可能性が示されています。

また別の研究では毎晩の睡眠時間が6時間以下の状態が2週間いたり2徹のような極端な睡眠カットはIQスコアを10~15ポイントも低下させる可能性が示されています。

睡眠負債とは、本来必要な睡眠時間に対して、実際の睡眠が足りない状態が積み重なっていくことです。

つまり眠りが足りないと、それがまるで借金のように体の中に貯まり、やがては返済しなければなりません。

私たちの体は、この「借りている睡眠」を埋め合わせるために、「寝だめ」をすることでバランスを保とうとしています。

徹夜明けや長期間の睡眠不足のあとに、いつもより長く深い眠りに入るのはそのためです。

しかし、こうした睡眠負債の仕組みがあることは昔から知られていましたが、具体的に体のどこがこの「借金」を数えているのかはよくわかっていませんでした。

脳は一体どのようにして、睡眠がどのくらい足りないかを記録し、「もっと寝なさい!」という命令を出すのでしょうか?

この問題は睡眠研究の世界で100年以上にわたり大きな謎として残されてきました。

睡眠負債はリボ払いできない

買い物をしたとき、すぐにお金を払わず少しずつ分割して返済する「リボ払い」という仕組みがあります。月々の負担が軽くなって、一見便利そうですが、実は長期間にわたり利息が膨らんでしまう危険もあります。

睡眠不足もこれと似ています。毎日少しずつ足りない睡眠時間が「負債」として蓄積し、体や脳に負担をかけ続けます。問題は、この睡眠負債を「リボ払い」のように少しずつ返済するのが非常に難しいという点です。

私たちの脳は、睡眠負債を細かく分割して返済するのではなく、たまった負債をまとめて返済しようとします。つまり、寝不足がたまればたまるほど、週末や休日に一気に長く深く眠り込んでしまうわけです。

近年、睡眠負債の仕組みを遺伝子や分子レベルで探る研究は進んできていますが、実際に脳のどの神経細胞が睡眠不足を感じ取って、「寝不足だよ!」という警報を出しているかまでは解明されていませんでした。

そこで、ジョンズ・ホプキンス大学のマーク・ウー教授らの研究チームは、この「睡眠負債」の記録場所を脳の中で探し出し、具体的な神経回路を見つけようとしました。

果たして彼らは、脳の中に隠された「睡眠の借金帳簿」を見つけることができたのでしょうか。

なぜ睡眠不足後は「寝だめ」をするのか?脳内にあった驚きの仕組み

なぜ睡眠不足後は「寝だめ」をするのか?脳内にあった驚きの仕組み / Credit:Canva

果たして彼らは、脳の中に隠された「睡眠の借金帳簿」を見つけることができたのでしょうか?

この謎を解明するために研究者たちはまず、マウスを使って脳の中をくまなく調べ始めました。

具体的には、睡眠に関係するさまざまな脳の領域を細かく調査し、どの場所が睡眠のスイッチを入れたり切ったりするのかを探ったのです。

その結果、視床という脳の中央部にある「リユニエンス核(nucleus reuniens)」という小さな神経細胞の集まりが、睡眠のコントロールに深く関わっている可能性が浮かび上がりました。

このリユニエンス核が実際に睡眠に影響を与えるかどうか調べるため、研究者たちは特別な薬を使ってそこの神経細胞をマウスの脳内で活発に動かしました。

すると、すぐに眠り始めるのかと思いきや、意外なことにマウスは眠る前の「準備行動」を始めたのです。

毛づくろいをしたり、自分の巣を整えたりと、まるで人間が寝る前に歯を磨き枕や布団を整えるのとそっくりな行動でした。

その後ようやく眠りに入ったマウスは、いつもよりも長く深いノンレム睡眠をとりました。

つまり、このリユニエンス核はただスイッチを押すようにすぐ眠らせるのではなく、「そろそろ寝る時間だよ」という眠気を引き起こし、寝る準備を促してからしっかりと睡眠負債を返すような眠りを作り出したのでした。

次に研究者たちは、このリユニエンス核が睡眠不足そのものを本当に感じ取っているかを調べました。

マウスを最長12時間、軽い刺激を与えて起こし続けて睡眠不足の状態にし、その間リユニエンス核がどのように活動するかを精密に観察しました。

その結果、睡眠不足が続いている間、この核の神経細胞はどんどん活発になり、眠れない時間が長くなるほど活動がさらに高まっていったのです。

そしてマウスが睡眠に入り、睡眠負債を返済するような深い眠りを取ると、この神経細胞の活動は再び静かになりました。

では、この神経細胞が睡眠不足を感知できないように阻害したらどうなるでしょうか。

研究者たちは睡眠不足のマウスでリユニエンス核を薬で一時的に沈黙させてみました。

すると、本来は寝不足後にたくさん眠って睡眠負債を返すはずのマウスたちが、その後に取る睡眠の長さも深さも大きく減ってしまったのです。

つまり、リユニエンス核が働かないと脳は睡眠負債をうまく計算できず、十分に返済するための深い眠りを作り出せなくなることがわかりました。

さらに興味深いことに、このリユニエンス核の神経細胞は視床のすぐ下にある「ゾナ・インセルタ(zona incerta)」と呼ばれる睡眠促進に関係する別の脳領域に信号を送っていることも判明しました。

通常は二つの領域の結びつきは弱いのですが、睡眠不足になると結合が強くなることも発見されました。

言い換えると、睡眠不足が続くと脳はリユニエンス核とゾナ・インセルタの回路を強化し、「睡眠の借金帳簿」をはっきりと記録して睡眠負債を返済するための深い眠りを促す準備をするわけです。

実際、この回路の結合が強いほどマウスが後に取る「寝だめ」の時間も質も高くなっていました。

このことから研究チームは、この回路が睡眠負債の量を測る「脳内の物差し」の役割を果たしている可能性があると考えています。

「睡眠不足のツケ」を脳が自動で記録していた――人間への応用可能性は?

「睡眠不足のツケ」を脳が自動で記録していた――人間への応用可能性は? / Credit:Canva

今回の研究によって、「睡眠不足が続くと、脳の中にある特定の神経回路が『睡眠負債』を記録し、あとでまとめて眠らせてくれる仕組みがある」ことが初めて示されました。

これまで漠然と「寝だめをする」と言われてきた現象が、実は脳内の具体的な神経回路によって正確に計算され、コントロールされていたということが明らかになったのです。

特に興味深いのは、視床の中心部にある小さな領域「リユニエンス核」がこの「睡眠負債」を計算している可能性が高いという点です。

私たちが寝不足になると、脳の中で「もっと寝なさい!」という命令を出す細胞が活発化し、その後に「寝だめ」をするための深い眠りを引き起こします。

しかも単に眠気を生じさせるだけではなく、寝る前に布団や枕を整えたり、歯磨きや洗顔をしたりする準備行動を促すこともわかりました。

マウスでさえ眠る前には顔を洗い、巣をふかふかに整えるというのですから驚きです。

さらに、この研究で注目すべきだったのは、この神経回路が寝不足状態が続くほどいっそう強化される点でした。

言ってみれば、睡眠不足になるほど「睡眠の借金帳簿」をつける脳内の回路が強化され、負債を返済するための準備を徹底的に整えるわけです。

この仕組みがあるおかげで、脳は自然に自分自身の健康を守るように働いていると言えます。

ただし現時点での結果はあくまでマウスのデータに限られます。

人間の脳でもまったく同じ仕組みが存在するかどうかはまだ分かりません。

スタンフォード大学の専門家ウィリアム・ジャルディーノ氏も「この仕組みがヒトにも当てはまるかはまだ確かめられていないし、慢性的な睡眠不足が長期にわたったときにどう影響するかも分からない」と慎重な姿勢を示しています。

それでも、もし人間にも同様の回路があるのなら、睡眠障害治療に大きな手がかりを与えるでしょう。

不眠症やナルコレプシーなど、睡眠の質や量をうまく調整できない病気を抱える人たちに対し、この神経回路を標的にして「眠気」や「睡眠の深さ」を人工的にコントロールできる可能性が出てきます。

寝不足で悩む多くの人にとって画期的な治療法が登場する未来も、決して夢ではありません。

私たちはつい睡眠不足を「忙しい毎日には仕方がないもの」と軽く考えてしまいがちです。

しかしこの研究は、睡眠が健康に欠かせないことを改めて示しています。

睡眠負債は放っておけば利子付きでどんどん溜まり続けます。

けれど脳には、この「借金」を自動で計算してきっちり返済する驚きのメカニズムが備わっていました。

「睡眠不足のツケは必ず脳が覚えている」という事実を知った今、私たちはもう少し睡眠を大切にする必要があるかもしれません。

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元論文

Sleep need–dependent plasticity of a thalamic circuit promotes homeostatic recovery sleep
https://doi.org/10.1126/science.adm8203

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 なぜ寝不足後に「より深く長く眠るのか」がついに科学的に解明!