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ハーバード成人発達研究(Harvard Study of Adult Development)は、1938年に始まり、研究者が3世代に渡って研究を引き継ぎながら、現在も続いている世界で最も長期にわたる縦断的研究の一つとされています。
その目的は「中年以降の健康や幸福感に影響を与える、人生の要因」を明らかにすることです。
研究の初期には、ハーバード大学の2年生268名(全員が男性)を対象とした「グラント研究(Grant Study)」(研究出資者の名前に由来)と、ボストンの貧困地区に住む456名の少年たちを対象とした「グルーク研究(Glueck Study)」(主導した研究者名に由来)という2つの調査が独立して存在していました。
その後、この2つの調査は統合され、研究は被験者の健康状態、結婚生活、仕事、友情、精神状態などあらゆる側面を何十年にもわたって追跡していくことになります。
先に述べたようにこの長期研究は、研究者たちが世代を超えて研究を引き継いでいる点も特徴的です。
初代の研究責任者は医学部のアーリー・ボック(Arlie Bock)博士で、1938年の研究立ち上げに関わりました。
次に研究を主導したのは、精神科医で精神分析家のジョージ・ヴァイアント(George Vaillant)博士です。彼は1970年代からおよそ30年以上にわたり調査をリードし、参加者の中年期から老年期に至る変化を詳細に記録しました。
そして2003年以降は、現ディレクターであるロバート・ウォルディンガー(Robert Waldinger)博士が研究を引き継ぎ、現在に至るまで研究を主導しています。
ウォルディンガー博士はハーバード・メディカル・スクール(Harvard Medical School)の精神科教授であり、心理学者マーク・シュルツ(Marc Schulz)博士とともに、被験者の次世代にも調査を広げています。
このように、3世代の研究者たちが80年以上にわたって人間の幸福の本質に迫り続けてきたのです。
そして研究の方法も時代とともに進化しました。紙のアンケートから始まり、現在では脳スキャンや血液検査、インタビュー映像解析まで導入されています。
また、時代とともに参加者にも配偶者や子どもができ、その家族にも調査の対象を広げることで、家族関係や世代間の影響も明らかになりつつあります。
こうした非常に長期にわたる調査から、研究者たちは人間の幸福にもっとも関連している要素を明らかにしたのです。
では、この長期にわたる調査から明らかになった「もっとも幸福に関連する人生の要素」とは何だったのでしょうか。
研究当初、幸福や健康を左右する主な要因として注目されていたのは、学歴や収入、知能指数(IQ)、遺伝的な体質などでした。
とりわけ、社会的に成功している人、経済的に恵まれた人ほど、より充実した人生を送るだろうと多くの研究者が予想していました。
また、身体の健康状態や生活習慣が中年期以降の幸福度に強く影響すると考えられていました。つまりどれだけ運動をしているか、どんな職業に就いているかといった「目に見える要素」が、幸福の鍵だと思われていたのです。
ところが、数十年にわたるデータの蓄積と分析の結果、最も強く幸福に関係していたのは「人間関係の質」だったのです。
研究チームは、被験者の50歳時点での人間関係の満足度を分析したところ、その後の30年間の健康状態や幸福感と強い相関があることを突き止めました。
良好な関係を築けていた人は、ストレスに対処する力が高く、記憶力や身体機能も維持されやすい傾向がありました。
そして主観的な幸福感——たとえば「人生に満足しているか」「気持ちが安定しているか」といった精神的な充実度も高い傾向が見られました。
一方で、人間関係に満足できていなかった人や、孤独を感じていた人は、身体的・精神的な健康を崩しやすく、医療面や生活面でも困難を抱える傾向がありました。そのような状態は、最終的に幸福感の低下や、人生全体への不満とも結びついていたのです。
こうした言い方をすると、友達が少ないと幸せじゃないのか…と勘違いしてしまう人もいるかもしれません。しかし、研究が発見したのは、「どれだけ人と多く関わっているか」ではなく、「その関係がどれだけ満足できるものであるか」が重要という点です。
つまり、「つながりの量」ではなく「つながりの質」が幸福を支える鍵だったのです。
たしかに財産がたくさんあっても孤独であったり、好きなことを仕事にできても仕事上の人間関係にストレスが多い場合、それは幸福とは言えないかもしれません。
逆に貧しくても信頼できる人たちに囲まれていたり、平凡な職業でもアットホームな職場にいる人の方が人生を幸福に感じる割合は高くなるようです。
また、研究者たちは、幸福な人生を送っている人々が共通して持っていた習慣として、「人との信頼関係を意識的に育てていた」ことを挙げています。
こうした人達は友情や家族関係、パートナーとの時間を大切にし、対話や共感を重ねていたのです。
ロバート・ウォルディンガー博士はこう述べています。
「良好な人間関係は、私たちの体を守り、心を守ります。そして、私たちの幸福をかたちづくるのです」
この研究が示した最大の教訓は、幸せな人生に必要なのは、地位や富ではなく、「良い人間関係」を育てることだという点です。
人間関係は自分一人で得られるものではなく、相手があって初めて成立するものです。周囲で良好な人間関係を築くことは言うほど簡単なことではないでしょう。
しかし、経済的に安定していて、好きな仕事に就けたのに、全然幸福感を感じないという場合、周囲の人間関係に目を向けてみると原因がわかるかもしれません。
ときには、好きな仕事に就くことより、良い人間関係を優先して職場を求めた方が幸福な人生が送れるかもしれません。
幸せは一人で勝ち取るものではないようです。80年を超える調査が導き出したのは、“人は人によって癒される”という事実です。
周囲の人たちとのつながりを大切にし、何気ない言葉でも耳を傾けたり、きちんと感謝の気持ちを伝えたり、一緒に食事に行く時間を作ったり、そうした些細なことが幸福への近道なのかもしれません。
参考文献
What Harvard’s Study of Adult Development Reveals about Happiness
https://www.robertwaldinger.com/post/what-harvard-s-study-of-adult-development-reveals-about-happiness
Harvard study, almost 80 years old, has proved that embracing community helps us live longer, and be happier
Good genes are nice, but joy is better
https://news.harvard.edu/gazette/story/2017/04/over-nearly-80-years-harvard-study-has-been-showing-how-to-live-a-healthy-and-happy-life/
Author Talks: The world’s longest study of adult development finds the key to happy living
https://www.mckinsey.com/featured-insights/mckinsey-on-books/author-talks-the-worlds-longest-study-of-adult-development-finds-the-key-to-happy-living
元論文
World Happiness Report 2023
https://worldhappiness.report/ed/2023/
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部