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これらは、最も簡単で現場で広く使われている痛み評価の方法です。
なぜなら、「自分の痛みは自分にしかわからない」という原則があるからです。
しかし、この手法には重大な問題があります。
人によって痛みの感じ方は異なり、「少しの痛みでも10」と言う人もいれば、「骨折でも4」と答える人もいます。
つまり、痛みの数字はあくまで主観の産物であり、医師側には正確な基準が存在しません。
そこで近年、複数の研究機関が「痛みの客観的測定技術」の開発に取り組んでいます。
カッサー氏によれば、世界中でいくつかの研究室が痛みの経験と相関する「バイオマーカー」を追跡するデバイスの開発に注力しているそうです。
バイオマーカーとは、痛みを感じるときに生じる生理的な変化のことで、例えば特定の神経線維の活動、瞳孔の拡大、血流の変化などが含まれます。
これらの生体データを膨大な痛みデータベースと照合し、人工知能や機械学習を使って「今この人はどのくらい痛がっているのか」を推測する技術が生まれつつあります。
例えば、2023年の研究では皮膚電気活動(EDA)を用いて痛みの強度を予測する機械学習モデルが発表されています。
このような技術が確立されれば、痛みの診断精度向上、新薬開発の効率化、医療費の削減など、医療現場にとって革命的な変化が期待できます。
痛みの評価が科学的・客観的なものに変わる未来が、すぐそこまで来ているようにも思えます。
しかし、こうした研究には大きな落とし穴があります。
カッサー氏は、「痛みを客観的に評価する技術」の矛盾点を鋭く指摘し、次のように語っています。
「果たして、研究者たちはどうやって自らの測定機器が『正しく痛みを測っている』と証明したのでしょうか?」
答えは驚くべきものです。
実は、これらの研究において、機器の精度を検証するために頼ったのは、まさに問題視してきた「患者の主観的な痛みスコア」だったのです。
つまり、「客観的指標を作るためには、従来の主観的評価に頼らざるを得ない」というパラドックスに陥っているのです。
研究者は「客観的な痛み測定」を目指しながらも、最終的には主観的評価を基準にせざるを得ませんでした。
なぜなら、他に痛みを直接知る手段が存在しないからです。
さらに、この問題は技術や資金、アルゴリズムの優劣では解決できません。
カッサー氏は、「痛みは本人にしかわからない究極の主観体験」だと指摘します。
バイオマーカーと痛みスコアを結び付けたところで、その痛みが本当に「公開可能な事実」になるわけではありません。
仮に将来、患者の主張する痛みスコアとは異なる数値を測定器が出した場合、どちらの評価を医師は信じるべきでしょうか?
派手な数値を示すAIの診断か、それとも患者自身の「痛い」というシンプルな言葉か。
この問いに対する正解は存在しないのかもしれません。
あなたは痛みを定量化できると思いますか?もしくは定量化すべきだと思いますか?
未来の医療がどちらの立場を取るのか、その答えを知る日が来るのはもう少し先のことかもしれません。
参考文献
Objective pain score? Here’s the problem with that
https://theconversation.com/objective-pain-score-heres-the-problem-with-that-255063
ライター
矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。
編集者
ナゾロジー 編集部