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今回の研究チームはこの「行動に応じて、それに見合った結果が返ってくる」というカルマの非常に単純明快な概念が、人の道徳観を理解するのために利用できると考え調査を行いました。
実験では、アメリカ、インド、シンガポールに住む十代後半から中高年までのおよそ1,200人を対象に、「カルマが関係していると思う出来事」を1つ自由に思い出して書いてもらいました。
研究チームはこの参加者が書いた出来事を〈自分に起きたか他人に起きたか〉、そして〈良いことか悪いことか〉を分類して分析しました。すると、ここにはっきりした偏りが浮かび上がってきたのです。
参加者が自分のカルマが関連した体験として挙げた内容は、その約7割が昇進や恋人との出会いなどポジティブな話でした。
多くの人はそれらを「自分の日頃の善い行いが報われた」と結びつけて説明していました。
一方で、他人に起きたカルマに関連する出来事として語られたものの約8割は、失職や病気といったネガティブな話でした。
これらの多くは、「その人の日頃の行いが悪いから起きた」という文脈で語られていたのです。
また、自分に関する悪い出来事を「過去の悪行の報い」と認める記述はごくわずかで、ほとんど話題には上りませんでした。
この結果は、私たちが「自分には報酬としてのカルマを、他人には罰としてのカルマを当てはめる」傾向が強いことを示しています。
これはつまり多くの人が、他人の不幸を目にしたとき、「その原因はその人の日頃の行いにある」と考えやすいことを示しています。
研究チームは、実験結果に見られた極端な偏りの背景には、2つの心理的な傾向が関わっていると考えています。
1つ目は、「自己高揚動機(self-enhancement motives)」と呼ばれる心理です。
これは、人は自分を善良で価値ある人間だと思いたいという気持ちで、自信や誇りを保とうとする傾向のことです。
たとえば、自分に良いことが起きたとき、それを「たまたま運が良かったから」ではなく、「自分が努力したから」「人に優しくしてきたから」と説明したくなるのは、自己高揚動機によるものです。
2つ目は、「公正世界信念(just-world belief)」と呼ばれる心理です。
これは、この世界は基本的に公平で、善いことをすれば報われ、悪いことをすれば罰を受けると信じたいという心の働きです。
もし世界に理不尽な出来事ばかりが起きていたら、人は不安になります。
そこで、人は他人の不幸を見たときに「きっとその人が悪いからだろう」と解釈することで、「ちゃんと世界は公平に機能している」という安心感を得るのです。
このように、自分は善良で正しいという気持ち(自己高揚)と、世界は公平であってほしいという願い(公正世界信念)の2つが重なることで、人はカルマ的な考え方を、自分と他人で都合よく使い分けてしまうのです。
その結果、多くの人は無意識下で、自分がひどい目に遭うと理不尽だと感じる一方で、他人が不幸な目に遭うと、その人に問題があったからだと考えるようになります。
この構図は、SNSのリプなどの傾向からも見て取れるかもしれません。
誰かが不幸な目にあった投稿に対して、同情するよりも、「自業自得だ」という意見が多かったりする場合は、こうした要因が絡んでいる可能性があります。
最近のネットは過剰な道徳を求めすぎているという指摘が起きるのも、ここに原因があるかもしれません。
この研究は、そうした不幸な目に遭った他人に厳しく当たる要因が、特殊な人に限らず、誰の中にもある心理的バイアスによって生じる可能性を示唆しています。
だからこそ、誰かを責めたくなったとき、一度立ち止まって「自分の場合も同じように考えるだろうか」と問い直すことが、公平で穏やかな社会への第一歩になるのかもしれません。
参考文献
Most people believe they deserve good karma more than others
https://www.earth.com/news/most-people-believe-they-deserve-good-karma-more-than-others/
元論文
Karma Rewards Me and Punishes You: Self–Other Divergences in Karma Beliefs
Click to access rel-rel0000565.pdf
https://www.apa.org/pubs/journals/releases/rel-rel0000565.pdf
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部