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無性愛(アセクシュアル)とは、一般的に「性的欲求を感じない、あるいはほとんど感じない」という状態を指し、近年になってようやく認知度が高まってきた性のあり方の一つです。
(※LGBTQIAの「A」は基本的にこの無性愛者(アセクシュアル:Asexual)を表しており、性的指向のひとつとして認識されています。)
たとえば、恋愛関係を望むことはあっても、その延長としての性的な親密行為に魅力を感じない人もいれば、そもそも他者を性的対象として見ること自体がほとんどない人も存在します。
しかし、無性愛という性的指向がどのように形成されるのかについては、まだ定説があるわけではありません。
そこで注目されるのが「家族構成」や「出生時の順番(バース・オーダー)」といった要因です。
実は、男性の同性愛(ゲイ)と「兄の数」に関連があるという説は以前から知られており、これを“フラテナル・バース・オーダー効果”と呼びます。
兄弟が多ければ多いほど、後に生まれた男児が同性愛になる確率が上がる可能性があるというのが、その主張です。
同性愛の特徴が形成されるプロセスの一例:子宮内ホルモンの影響
たとえば同性愛(ゲイやレズビアン)は、子宮内でのホルモン分泌量や分泌時期の違い、あるいは母体の免疫システムとの相互作用によってある程度形づくられるのではないかという仮説があります。具体的には、胎児期に分泌されるアンドロゲン(テストステロンなどの男性ホルモン)が脳の性分化に影響を与え、結果として将来の性的指向が変化する可能性が指摘されてきました。この現象を説明する一つの仮説として、「母親が男児を妊娠するたびに免疫反応が強まり、後に続く男児の脳内の性分化に影響を及ぼす」という“母体免疫仮説”が提案されています。こうした研究の流れでは、胎児期に分泌されるホルモンや母体との免疫相互作用が、「子どもの性別に合わせた脳の発達」に微妙な違いをもたらす可能性があると考えられています。また、女性においては姉の数が影響を及ぼす場合があるなど、同性愛や両性愛といった「非異性愛」の人々を対象とした研究の多くが、生物学的要因や家庭環境を複雑に絡めながら、兄弟姉妹数や出生順序との関連を示唆してきました。なかには「女性の高い生殖力(female fecundity)仮説」のように、家族全体の兄弟姉妹の多さが遺伝的に男性の非異性愛とつながるとする議論もあり、古くから話題に上ってきています。
ところが、こうした研究の焦点は、同性に惹かれる人や両性愛の人に向けられることがほとんどで、無性愛者にまで目を向けた研究は非常に限られていました。
生物学的要因と社会的要因が複雑に結びつく“性的指向の仕組み”において、無性愛はどこに位置づけられるのか。
そもそも兄弟姉妹の数やその性別、あるいは生まれた順番などが、無性愛者の割合とどの程度関わっているのか。
これらの疑問は、無性愛というトピックが学界で比較的新しいテーマだったこともあって、これまでは十分に検証されてこなかったのです。
本研究の狙いは、まさにそうした「無性愛と家族構成との関係」を明らかにすることにありました。
本研究では、まず世界各国から1,634名という比較的大規模なサンプルを集め、参加者一人ひとりにオンラインで詳細なアンケートを実施しました。
このうち、無性愛者が366名、ゲイ・レズビアンが276名、バイセクシュアルが267名、異性愛者が725名という内訳です。
アンケートの内容は、「自身がどのような性的指向を自覚しているか」「兄弟姉妹は何人いて、年上・年下どちらが多いのか」「どのような家庭環境で育ってきたのか」など多岐にわたります。
ここでユニークなのは、ただ単に「兄弟姉妹が多いか少ないか」を調べるだけでなく、たとえば「姉が何人、兄が何人いるのか」「自分が何番目に生まれたのか」まで細かく区別したうえで統計的に分析を行った点です。
しかも、その分析には最新の手法が2種類(Ablaza らの方法と Khovanova の方法)使われました。
一般的な分析では、兄が多いのか、姉が多いのか、あるいは家族の総人数が多いのかなどがごちゃ混ぜになってしまい、どの要因が本当に性的指向に影響を与えているのか判別が難しくなります。
ところが今回の研究では、こうした背景要因を細かく分けて見られるような工夫がなされたため、「兄弟姉妹の数の影響」と「性別や出生順(兄か姉か、何番目か)の影響」をある程度切り分けて判断できるようになったのです。
なお、フラテナル・バース・オーダー効果に関しては、Ablaza らの手法では有意な結果が得られなかったものの、Khovanova の手法ではゲイ男性においてのみ有意に確認されるなど、分析方法の違いによるばらつきも見られました。
結果として最も注目を集めたのは、“男性の無性愛者”に関するデータでした。
調べてみると、兄弟姉妹の総数が多い男性ほど「無性愛である可能性が高まる」という傾向がはっきりと浮かび上がったのです。
たとえば、兄が多いか姉が多いかにかかわらず、とにかく家族の人数が多い男性は、無性愛を自認する割合が高いというわけです。
一方、女性の場合は、「姉が少ない」「一人っ子である」といった条件が、無性愛である傾向と関連していたという興味深い結果が得られました。
また、バイセクシュアルの男性では兄弟姉妹の総数が多いほどその傾向が高まったり、バイセクシュアルの女性では姉が少ないほどその可能性が上がるなど、指向ごとに異なるパターンも見られました。
既存の研究でしばしば話題になる“フラテナル・バース・オーダー効果”や“ソロラル・バース・オーダー効果”に新たな視点を加える形になったという意味で、非常に興味深い結果といえるでしょう。
なぜこの研究が革新的といえるのか?
最大の理由は、まだまだ手探りだった「無性愛と家族構成の関係」を、ここまで大規模かつ精密なアプローチで取り上げた点にあります。
これまでは、たとえば男性同性愛と兄の数の関連が盛んに議論されてきた一方で、無性愛にまで踏み込んだ研究は非常に限られていました。
しかも、今回の研究では同じ人々を「無性愛」「同性愛」「両性愛」「異性愛」に分け、さらにその兄弟姉妹構成を徹底して分析しているため、さまざまな性的指向を横並びで比較できるデザインになっているのです。
こうした包括的な視点は、性的指向に関する研究ではまだ珍しく、得られたデータが今後の議論や追加調査に役立つことが期待されています。
端的に言えば、本研究は「無性愛にも出生順や兄弟姉妹の多さが関係する可能性がある」という仮説を、より確かなエビデンスで示した初めての試みといえるでしょう。
その意味で非常に画期的であり、性的指向の形成要因をさらに深く探る次のステップとして、大きなインパクトを与える結果となっています。
今回の研究は、無性愛も含めたさまざまな性的指向と「兄弟姉妹の構成」が、思った以上に深く結びついている可能性を示唆しています。
なかでも、男性の無性愛者には「家族の人数が多い」という背景が見られる傾向があったり、女性では「姉が少ない(一人っ子の場合も含む)」ほど無性愛になりやすいかもしれないという点は、とくに目を引く発見です。
しかし、だからといって、「兄弟姉妹が多いと必ず無性愛になる」「姉がいない女性はみな無性愛になる」といった単純な結論が導けるわけではありません。
実際、同じ大家族のなかでも、ある兄弟は異性愛者、別の兄弟は無性愛者というケースはいくらでも考えられます。
それでも、こうした統計上のパターンが浮かび上がったことには大きな意義があります。
これまでは、男性同性愛と「兄が多い」ことのつながり(フラテナル・バース・オーダー効果)が注目されてきましたが、それだけでは説明しきれない部分がたくさん残されていたからです。
たとえば、「女性の高い生殖力(female fecundity)仮説」のように、母親やその家系が多産である場合に、非異性愛の男性が生まれやすくなる可能性があるという考え方も、無性愛者の存在を踏まえると、さらに複雑で面白いテーマへと展開していくかもしれません。
無性愛にも関係する可能性:胎児期のホルモンや生理学的要因
では、同性愛以外の非異性愛、たとえば無性愛に関しても同じような胎児期ホルモンの影響があるのでしょうか。実はまだ結論を出せるほどのデータは少ないものの、近年の研究では「あらゆる性的指向は、生物学的な要因と社会・心理的な要因が掛け合わさって成立する」という考え方が一般的になりつつあります。無性愛に関しても、胎児期のホルモン分泌や母体免疫の影響を受けて、脳の“性欲や性的興奮”をつかさどる仕組みが変化する可能性があるという仮説は否定できません。
一部の研究では、無性愛者のホルモンレベル(テストステロンやエストロゲンなど)を測定して、異性愛者・同性愛者と比べて統計的に明確な差があるかどうかを調べようと試みています。しかし、現在までのところ「ホルモン値が常に一般的な基準と異なる」といった決定的な結果は報告されていません。むしろ、無性愛者でもホルモン値は一般的な範囲に収まるというケースがほとんどで、「脳が性的刺激をどのように処理するか」や「性欲を生じさせる神経経路の感受性」といった、より微細なレベルでの違いが関与している可能性が考えられています。たとえば、性的刺激に対する脳活動を計測する研究などでは、無性愛者の脳が性刺激に対して他の人よりも低い反応を示すケースが見られる一方、まったく変わらない人もいて、まだまだ研究者を悩ませている状況です。
もちろん、ホルモンや遺伝といった生物学的な要因も無視できず、今後は多角的な視点で研究を進める必要があるでしょう。
研究者たちは、こうしたパターンがどのような仕組みで生まれるのかを解き明かすには、まだまだ多くのデータが必要だと考えています。
たとえば「なぜ姉や兄が増えると、ある性的指向が生まれやすくなるのか」という疑問に対しては、胎児期のホルモンや母体免疫だけでは説明できないかもしれません。
家族の中での役割分担や、兄弟姉妹間の力関係、コミュニケーションの取り方など、社会的な影響も大きい可能性があります。
今回の研究に参加したのは主にシスジェンダー男女であり、ノンバイナリーやトランスジェンダーなど、多様なジェンダーの人々は分析対象外になっている点も今後の課題でしょう。
さらに、人種的に白人が中心のサンプルであるという点も含め、文化的背景の違いによる影響を検証する必要があります。
研究者たちが今後さらに多様なサンプルを集め、文化的背景やジェンダーの違いも含めた検証を進めていけば、無性愛やその他のセクシュアル・マイノリティが生まれるプロセスがより鮮明になっていくはずです。
元論文
Asexuality: Its Relationship to Sibling Sex Composition and Birth Order
https://doi.org/10.1007/s10508-024-03043-9
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部