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これまでも、悲劇的な作品は鑑賞者に「感動」や「共感」をもたらすとされてきましたが、その感情がどのような心理的効果を生むのかは具体的によくわかっていませんでした。
また、ポジティブな感情を求める現代社会において、あえて辛い作品に触れようとする行動は、合理的に説明しにくい側面もあります。
研究チームはこうした疑問に対し、「人は感情的に困難な芸術体験を通じて、むしろ心理的に充足感を得ることがあるのではないか」との仮説を立て、実験的に検証することにしました。
研究主任のジェニファー・E・ドレイク(Jennifer E. Drake)氏はこう説明しています。
「最も偉大な芸術作品の多くは、人間の痛みや苦しみを描いています。
私たちは日常生活で悲劇を避けようとする一方で、なぜかそうした悲劇的な芸術作品には惹かれてしまいます。
今回の研究では、なぜ私たちはこうした作品に惹かれるのか、そしてそれを鑑賞することで予期せぬ恩恵があるのかを検証しました」
研究は2つの段階で行われました。
第1の実験では、アメリカ在住の成人150名がオンラインで参加し、彫刻家スーザン・クリナード(Susan Clinard)氏による難民の苦しみを描いた彫刻作品のビデオを視聴してもらいました。
視聴後、参加者は「どれほど心が動かされたか」「どれほど意味のある体験だったか」について評価し、ポジティブおよびネガティブな感情の強さも記録しました。
結果として、多くの参加者は辛い感情を抱くと同時に、「心が動かされた」「意味のある体験だった」といったポジティブな感情を同時に経験していることがわかりました。
また第2の研究では、保守的傾向のある米国成人150名を対象に、同様の実験を行い、ビデオ視聴の前後で「難民に対する感情がどれだけ変化したか」を測定しました。
すると、視聴後には難民に対する態度が明確により同情的に変化しており、この変化は視聴中に抱いた強い感情と密接に関係していました。
驚くべきことに、感情的反応が強い人ほど、ポジティブ・ネガティブの区別なく、より共感的な態度に変化していたのです。
つまり、「悲しい芸術」は必ずしもネガティブな体験にのみ繋がるのではなく、むしろ社会的共感を育むポジティブな可能性を持っていることが示されたのです。
これは人々が悲劇的な作品に惹かれる理由を、単なる感傷ではなく、深い人間的な動機に基づく行動として捉え直す視点を与えてくれます。
今後は、実際の美術館や他のメディア(映画、文学など)における悲劇的な芸術の体験が同様の効果を持つかどうか、またその効果が長期的に持続するかを探る研究が期待されます。
人は悲しみを通じて他者への優しさを学び、そして、それこそが私たちがアートを必要とする最大の理由のひとつなのかもしれません。
参考文献
New psychology research reveals the paradoxical benefits of viewing tragic art
https://www.psypost.org/new-psychology-research-reveals-the-paradoxical-benefits-of-viewing-tragic-art/
元論文
The paradoxical benefits of viewing tragic art
https://doi.org/10.1080/17439760.2025.2481053
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部