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中国やロシアといった権威主義国家が、ソーシャルメディアや自国メディアを通じて海外世論を直接動かそうとする試みが近年ますます盛んです。
2016年のアメリカ大統領選挙でロシアが世論工作を行ったという疑惑や、新型コロナウイルスをめぐる中国政府の世界向け広報が、その一例として注目されました。
これらは「シャープパワー」と総称され、従来のハードパワーやソフトパワーと異なり、“情報操作”を介してターゲット国の内部に影響を及ぼすのが特徴です。
さらに、ユーザー同士がSNSで自発的に拡散する「参加型プロパガンダ」へと移行している点も見逃せません。
権威主義国家が発信する物語(ナラティブ)は、自国の優位性を称賛したり、民主主義の制度的な欠陥を批判したりする内容が多く、感情に強く訴えかけるため、論理的データ以上に説得力を発揮しやすいと言われています。
欧米では、こうしたナラティブの効果を検証する研究がすでにいくつか行われています。
たとえばドイツを対象にした研究(Maderら, 2022)では、権威主義的傾向や陰謀論への親和性が高い人がロシアの発信するプロパガンダに影響されやすい可能性が示唆されました。
しかし、中国やロシアに地理的・文化的に近い東アジア、とくに日本に注目した研究はまだ多くありません。
経済的にも外交的にも結びつきの強い日本が、こうした“非リベラル・ナラティブ”をどの程度受け入れやすいのかは、大きな謎として残っていたのです。
そこで今回、研究者たちは2回にわたるオンライン調査実験(Study 1とStudy 2)を実施し、日本人が「権威主義を擁護するストーリー」と「リベラルな視点のストーリー」のどちらにより説得されるのかを比較することにしました。
日本人は他国からの権威主義的なストーリーやプロパガンダに弱いのか?
それとも強い免疫力を備えているのか?
疑問を解明すべく研究者たちは調査を行うことにしました。
調査対象は日本全国の幅広い年齢層で、合計約2,500人が参加しており、男女比や地域分布も国勢データに近づくように工夫されています。
最初の実験(Study 1)では、研究者たちは一度に12のトピックを扱うという大胆なアプローチを取りました。
中国やロシアが関連する政治・外交問題はもちろん、アメリカ国内の社会問題や日本の政治課題など、多岐にわたるテーマです。
そのうえで、それぞれのトピックに対して「権威主義的な主張を押し出すストーリー」と「リベラルな視点に基づくストーリー」を用意し、参加者をランダムにグループ分けして提示しました。
ここで注目されるのは、ストーリーの出所を明示するかどうかが条件によって異なる点です。
たとえば「これは中国政府の公式見解です」と示す場合と、あえてソースをぼかす場合とで、説得力がどう変わるかも同時に検証されています。
結果として、「権威主義を擁護するストーリー」を提示されたグループは、民主主義を批判的に見る方向に意見が動く傾向が強まりました。
一方、「リベラルな視点のストーリー」を読んだグループは、予想どおり民主主義的な立場を支持するようになりました。
ただし、ストーリーの出所が権威主義国家だと明言されても、説得効果が大きく下がらないことが示された点は意外といえます。
続く追加実験(Study 2)では、リベラルなストーリーと権威主義的なストーリーを同時に提示して、現実のネット環境に近い複雑な状況を再現しました。
さらに「どちらのストーリーを先に見せるか」といった提示順もランダムに変化させ、参加者がどの程度どちらの主張を受け入れるかを観察しています。
結果として、二つのストーリーを同時に見せられると全体としては互いの効果が相殺される傾向が見られました。
しかし、後から提示された権威主義的ストーリーが強く残るパターンも確認されています。
リベラルな主張で「免疫」がついているはずの人でも、あとから現れた権威主義的な物語に意外と揺さぶられるのです。
また、政治リテラシーが高い層や、陰謀論への親和性が低い層でさえ、その影響から完全に免れられるわけではありませんでした。
なぜこの研究が革新的なのか?
まず、一度の研究で多彩なトピックを扱ったり、ストーリーの出所や提示順を細かく変えたりといった手法により、SNS時代さながらの複雑な情報環境をできるだけ再現した点が大きな特徴です。
また、日本という、中国やロシアに比較的近く、しかも戦後の民主化を経て「民主主義が当たり前」という社会意識が根づいた国で検証したことで、欧米だけでは見えなかった「権威主義的な情報の説得力の正体」に迫れたといえます。
さらに興味深いのは、政治知識が豊富な人ほどプロパガンダには強いという従来の想定を揺るがす結果が示されたことです。
むしろ知識量が多い人ほど、既存メディアや主流の主張に対する批判的視点は持ち合わせている一方、新たな視点で提示されたストーリーを“裏の裏”まで吟味しきれずに取り込んでしまう可能性があるのかもしれません。
こうした複数要因の分析を通じて、「誰がどんな情報に弱いのか」をより立体的にとらえたという点こそ、本研究の革新的な部分といえるでしょう。
今回の一連の実験でわかったのは、権威主義的なストーリーが私たちの意見を動かす力を予想以上に持ちうるということです。
しかも、「政治に詳しい人なら安全」「陰謀論を信じがちな人だけが影響される」という単純な図式には収まりません。
日本では特定のグループだけが危険なのではなく、誰もが一定のリスクを抱えている可能性を示しているのです。
また、最初にリベラルな言説に触れていても、その後にやってくる権威主義的な主張のほうを強く信じてしまう現象も看過できません。
これは、民主主義的なメッセージが必ずしも“予防接種”のように機能しないことを意味します。
新鮮な視点や意外性のある内容を目にするとき、人間は批判的検証を十分行わずに「なるほど」と取り込んでしまうからかもしれません。
だからといって、日本の民主主義がすぐに崩壊するという極論を導く必要はありません。
むしろ、本研究をきっかけに「なぜ自分はリベラルな価値観を当然だと思っているのか」を再確認することこそ、自由主義社会を守るうえで大事ではないでしょうか。
シャープパワーがもたらす情報戦が激化する時代だからこそ、どんなストーリーを信じ、どんな形でそれを広めるのか──私たち一人ひとりがその問いを問い直すきっかけとして、今回の研究は有意義な示唆をもたらしているように思えます。
元論文
Autocracies win the minds of the democratic public: how Japanese citizens are persuaded by illiberal narratives propagated by authoritarian regimes
https://doi.org/10.1080/13510347.2025.2475472
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部