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調査ではまず、患者さんが知っている有名人や場所の写真を大量に提示し、どのニューロンがどんな刺激に反応するかをスクリーニングしました。
その後、「人物A」「人物B」あるいは特定の「場所」に反応する細胞を対象に、4種類の短いストーリー(文脈)を作成し、被験者がそれらを覚えたり思い出したりする間の脳活動を記録しました。
すると、マウスやラットであれば環境が変わるとまったく別の活動パターンを示す海馬のニューロンが、ヒトでは驚くほど「文脈に左右されない」反応を示していることがわかったのです。
たとえば「人物Aに反応する細胞」は、その人物がクリスマスの話に登場しようと、誕生日パーティの文脈で出てこようと、ほとんど同じタイミング・強度で活動を示しました。
逆に「人物A × 場所X」にだけ特異的に反応する細胞は、ほとんど見られませんでした。
つまりマウスやラットでは、迷路や周囲の環境がわずかに変わるだけで海馬の単一ニューロンの発火パターンが大きく変わり、別の記憶として保存されるのが一般的です。
一方で、人間は、同じ人物や同じ場所に反応する細胞がストーリーや文脈が変わってもほぼ同じ発火を維持し、文脈が違っても一貫した概念としてまとめられるように見えます。
解析の結果、「誰の記憶か」はニューロンの活動から正確に識別できるのに対し、「どのストーリーなのか」という文脈情報は判別が難しいことも判明しました。
一見して些末な違いに思えますが、これは記憶システムの根幹にかかわる違いです。
これは、脳が人物や物体といった“コア情報”をまずは文脈と切り離して符号化し、状況によって大きく変わらない形で記憶を持っている可能性を示唆します。
動物モデルのように「文脈に合わせて活動パターンを切り替える」のではなく、人間の脳では同じ出来事でも“文脈”とは切り離された核となる情報があり、新たな情報が加わってもそれを既存の概念に統合しやすい仕組みになっているのかもしれません。
そうした「文脈依存度の低い記憶」を持つことで、ヒトはより抽象的な思考や推論、言語を駆使し、自己認識といった高度な認知機能を発達させられた可能性があります。
これは「その場の文脈に強く左右される」動物の意識とは大きく異なる、人間特有の意識のあり方を示す手がかりになりそうです。
今回の発見は、ヒトの海馬や扁桃体が「人物や場所」というコア情報をまずは固定的に捉え、後から“文脈”要素を柔軟に結びつけている構造を持つことを示唆します。
マウスやラットなどの動物では、同じ細胞が環境の変化に合わせて大きく活動を変えることが珍しくありません。
一方、ヒトではニューロンが「誰(または何)」に対して反応するかをほとんど変えずに保ち、その上に文脈の違いを重ね合わせる――いわば“安定した土台”をもつ形で記憶を形成している可能性があります。
例えるならば、人間の記憶は先端を交換できるマルチビットドライバーで、コアの部分を揺るがさず、後から多様な状況や文脈に対応できる設計と言えるでしょう。
逆に、マウスなどでは環境が違うとドライバーそのものを変えるように、別の神経細胞の活動パターンを使い分けているのかもしれません。
fMRIなど大規模な脳活動を調べる研究では、文脈が変わると海馬の反応が変化するように見える報告も多くあります。
この違いは「単一ニューロンのレベルでは文脈に動じなくても、複数のニューロンが同時に活動するときの組み合わせは変わる」ことで、最終的に文脈差が生まれるためと考えられます。
また、今回の実験は難治性てんかんの患者さんが対象で、提示したストーリーも簡単なものに限られました。
より複雑な文脈や長期にわたる学習を追跡すると、さらに精密な仕組みが見えてくるでしょう。
それでも今回の結果は、「ヒトがある意味“文脈から自由”な形で概念を捉えている」可能性を示す重要な一歩となりました。
こうした特性が、高度な言語や論理思考、自己認知などを支える基盤になっているのではないでしょうか。
今後の研究の進展が、私たちの意識や記憶の根本をさらに解き明かしてくれることが期待されます。
元論文
Lack of context modulation in human single neuron responses in the medial temporal lobe
https://doi.org/10.1016/j.celrep.2024.115218
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部