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さらに奇遇なことに、ハリソンさんの血液には極めて稀な「抗D抗体」が含まれていることが判明したのです。
抗D抗体は一体どんな役に立つのか?
通常、私たちの血液はA型・B型・AB型・O型に分類され、さらに「Rh(プラス・マイナス)」という要素で分かれています。
問題が生じるのは、Rhマイナスの母親がRhプラスの赤ちゃんを妊娠した場合です。
これを母親と胎児の血液型不適合といいます。
血液型不適合であると、不幸にも、母体の免疫システムが胎児の血液を異物とみなし、自身の抗体によって大切なわが子を攻撃してしまうのです。
これは「胎児・新生児溶血性疾患(HDFN)」と呼ばれる致命的な血液疾患で、胎児に重篤な貧血や心不全を引き起こし、最悪の場合は死に至らしめます。
しかし1960年代に、抗D抗体がHDFNを防ぐのに有効であることが明らかになりました。
ただ抗D抗体を持つ人は非常に少なく、オーストラリア赤十字社が抗D献血ができる人を探していた中で、ハリソンさんの血液がこの条件に合致することが判明したのです。
しかもハリソンさんの血液は、驚くほど高濃度で抗D抗体を生産していることがわかりました。
ハリソンさんから採取した抗D抗体は、HDFNの治療薬の製造に役立てられ、多くの赤ちゃんの命を救うことになりました。
ハリソンさんの血液は、年間だけでも約4万5000人の新生児を救っていたと見られています。
次第にハリソンさんは「黄金の腕を持つ男(man with the golden arm)」と呼ばれるようになりました。
ただハリソンさん自身は注射が非常に苦手で、針が腕に刺さるところは一度も見なかったといいます。
ハリソンさんは先月の2月17日に、豪州ニューサウスウェールズ州の老人ホームで静かに息を引き取りました。
享年88歳でした。
彼の娘であるトレーシー・メロウシップさんは取材に対し「父は、多くの命を何の見返りもなく救えたことをとても誇りに思っていました」と話しています。
またオーストラリア赤十字社の献血サービス「Lifeblood」のスティーブン・コーネリッセンCEOは、ハリソンさんの功績についてこう述べています。
「ハリソンさんは非常に並外れた忍耐強さと優しさを持つ寛大な人物でした。
彼は生涯を通じて献血に献身し、世界中の多くの人々の心をつかみました。
また彼自身は、自分の献血が他の献血者のものと変わらない重要性を持ち、誰もが彼と同じように特別な存在になれると信じていました。
彼は自分が決して会うことのない赤ちゃんたちを救うために、実に1173回も自らの腕を差し出し、見返りを求めることは一切なかったのです。
加えて、最愛の妻であり、献血者でもあったバーバラさんを亡くした後の最も辛い日々の中でも、彼は献血を続けました。
ハリソンさんは信じられないほど素晴らしい遺産を残してくれたのです。
Lifeblood、そしてオーストラリア全体を代表し、彼が生涯をかけて行った命を救う貢献、そして彼が救った数百万の命に対し、心からの感謝を捧げます」
Lifebloodは現在、ハリソンさんや他の献血者の血液や免疫細胞を複製することで、実験室で抗D抗体を増やす研究を進めているとのことです。
”黄金の腕を持つ男”、ジェームズ・ハリソンさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
参考文献
Man Whose Blood Saved 2.4 Million Babies Dies Aged 88
https://www.iflscience.com/man-whose-blood-saved-24-million-babies-dies-aged-88-78285
Australian whose blood saved 2.4 million babies dies
https://www.bbc.com/news/articles/c5y4xqe60gyo
ライター
千野 真吾: 生物学出身のWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部