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初めて発見された毒鳥。博士は『サイエンス』誌(1992年10月30日号)で報告。その号の表紙はズグロモリモズと、ズグロモリモズに擬態した鳥のイラストで飾られたのです。
これは驚くべき発表でしたが、当時、インターネットで「羽に毒を持つ鳥が見つかる」と小さなニュースになり、鳥や生物が好きな人、毒に興味を持っている人には刺さりました。
この時、「これって鴆では」とピンときた人々がいたことも事実です。しかしまだSNSがなかったこととマニアックな内容だったことで人々の話題には上らず、大ニュースとはならないまま終わりました。
鴆毒は中国伝説の猛毒で、毒殺に用いられたものとして知られます。
そして伝説となった時代でもレアな毒で、実際に知る人が当時から少ないものでした。毒殺とはイコール暗殺のこと。「毒を飲んで死ぬことを命ずる」というような、裁判による公然とした刑罰では使われませんでした。
そのため鴆毒には恐ろしい、陰惨なイメージがつきまとうこととなったのです。
「鴆毒は鴆という鳥の羽を1枚、酒に浸したもの」で、羽を浸した酒は無味無臭の毒が溶け出し「猛毒となる」ということ以外の情報がほとんどありませんでした。
また、明らかに入手しにくそうな毒でもありました。鴆という鳥の存在もよくわかっていないうえ、鴆や鴆毒を揚子江の北側地域に持ちこんではならないという法律があったからです。
鴆は中国の南方、現代だとベトナムや広東、広西チワン族自治区あたりに棲息していた鳥だったようです。あまりに危険過ぎるため、鴆毒は帝の毒物倉庫で厳重に管理されているだけのようでした。
宗の帝も鴆の駆除には熱心だったようで、当時、毒殺がどれほど恐れられたかを伺い知ることができます。駆除の結果、鴆はいなくなったようで、鴆毒も使われなくなったことにより、文献にも登場しなくなりました。
「だったようだ」が多すぎたんですね。情報はほぼ伝聞でした。
もうひとつ、中国では毒も薬になるものは『神農本草経』に掲載され、その後も改定で見直されていました。
そんな中で4大毒ともいえる「鴆毒・冶葛(やかつ)・烏頭(うず)・附子(ぶす)」の中で、鴆毒だけは蛇除け効果があるだけで薬にはなっていないため「有名無用」とされています。
毒にしかならないものは薬の本には載りません。ちょっと意外な感じも受けますが、「薬効があるなら毒でも薬として載る」んですね。鴆毒は毒にしかならなかった。そのため、中国では余計にリアリティを失っていった可能性はあります。
中国に伝わる仙人のためのガイドブックとも言われる『山海経』は、各地の土地の特徴や奇妙な生物が満載の書です。この中に鴆の絵が一枚出てきますが、様々な生物がすべて空想上の生き物風なため、鴆も尚更「作り話感」が溢れるものになっていったのでしょう。
そうして伝聞に伝聞を重ねた結果、単に「猛毒」のことを鴆毒と呼ぶようになっていきました。本家中国でも、鴆毒はファンタジーということになっていったのです。
そんな中で、鴆をつかまえたという話が『晋書』に伝わります。
石崇という人が官僚として南中に派遣されたとき、鴆の雛を手に入れた。これを後軍将軍の王愷に与えたが、鴆を揚子江の北側地域に持ちこんではならないという法律があったため摘発され、鴆は街中で焼かれた、という話。
もうひとつあります。飛督の王饒という人が穆帝に鴆を献上したが、帝は怒り、王饒を二百のむち打ち刑にし、殿中御史に命じて鴆を四つ角で焼かせた、という話です。
どちらも鴆を揚子江以北へ持ち込んだことで法に触れ、帝の怒りを買っているのですが、妙にリアリティがありますよね。法に触れたことで帝が激怒するというのは担当官僚の頭を飛び越えていて、鴆の存在感があり、作り話感も薄いと感じます。
しかも1羽の鳥を破棄するのではなく「街中や四つ角で焼いた」というのは見せしめ感満載です。鴆はそれほど危険視されていたということでしょう。
帝に献上するということは、かなり珍しく貴重な鳥だっただろうということが伺えるだけでなく、鴆は実在したと信じたくなるエピソード。
ちなみに、中国の古い文献から浮彫りになってくる鴆の特徴には「毒を作るために使われた」「棲息するのは中国南方で、ベトナムから広東、広西チワン族自治区あたり」「二音節に聞こえる特徴のある鳴き声」「皮膚や羽に毒がある」「肉は生臭くて美味しくない」「羽の毒は酒によく溶ける」「蛇は鴆を襲わない」
その鴆のような羽に毒を持つ鳥がニューギニアにいることがわかったのです。シカゴ大学でこれを見つけたのが中国人研究者だったら、すぐさま「これは鴆では」とピンと来たのかもしれません。
1990年、羽に猛毒をもつとわかった鳥、ズグロモリモズ。
この鳥は羽にバトラコトキシンという猛毒を持っていることがわかりました。この毒は先住民が毒矢に使うモウドクヤドクガエルの毒と同じです。
中国4000年の歴史もびっくり!羽に毒のある鳥は実在したのです。
ズグロモリモズが棲息するのは南方のジャングル、二音節に聞こえる特徴のある鳴き声、皮膚や羽に毒がある、肉は美味しくないので先住民は食べない、羽の毒は酒によく溶ける、蛇や猛禽類はこの鳥を襲わない。
鴆とズグロモリモズの特徴は驚くほど一致します。
バトラコトキシンは1mgで人間20人、ゾウなら2頭、ハツカネズミなら1万匹を殺す神経毒で、羽を酒に浸せば暗殺用の毒酒が造れるような猛毒です。
さすがに羽1枚というわけにはいきませんが、まさに鴆毒。
1mgはモウドクフキヤガエル1匹分の毒です。皮膚ににじみ出る液体を使えばいいので、モウドクヤドクガエルを使うほうが先住民にとっては簡単です。そのため鳥は重要視されてこなかった。それで羽に猛毒のある鳥がいるという話は現地からは浮かび上がってこなかったということでしょう。
同じく猛毒を持つトラフグはさばいた後の皮や内臓が厳しく管理の元におかれますが、バトラコトキシンはフグ毒テトロドトキシンの5倍の強さを持っています。
フグは好んで食べる餌によって毒を持つようになり、とりわけ産卵前のメスの毒は強くなることが知られています。孵化する稚魚が毒を持つことで捕食者に食べられにくくするためと考えられています。
中国伝説上の鴆も、毒のある蛇を食べることで猛毒を持つようになると言われていました。
これはあながち間違ってはいませんでした。
ズグロモリモズを解剖したところ、好んで食べる昆虫がバトラコトキシンを持っていることがわかったからです。ズグロモリモズ自体はバトラコトキシンに耐性を持つよう進化していました。
それでは、ズグロモリモズを飼育下で無毒の餌を与えて育てたらどうなるでしょうか。
そう、ご想像の通り、ズグロモリモズの羽は無毒になりました。食べたもので毒を持つようになっていたのです。
日本でも産学連携の研究で無毒のトラフグを養殖している水産会社があり、同様に餌が問題であるとしています。
フグ毒のテトロドトキシンには解毒剤がありません。しかし中国伝説の鴆毒は「サイの角が解毒剤になる」という伝説があります。
あくまでも伝説です。しかし猛毒を解毒してくれる薬。これは歴代皇帝や高級官僚たちは喉から手が出るほど欲しかったことでしょう。
伝説の中でも、皇帝の代わりに鴆毒と知って毒酒を飲んだ忠臣のために解毒剤を持ってこさせたが間に合わず死亡したという話があります。解毒剤は常に手元にあったのでしょう。でも、きっとそれを飲ませても効かなかったことでしょう。
ズグロモリモズが見つかったのはニューギニアです。しかし、古代、中国の南方にもズグロモリモズ、もしくは別の羽に猛毒を持つ鳥が棲息していたのかもしれません。
伝説通り、皇帝の命令で駆除されて現在は中国にはいないのかもしれませんし、鴆を駆除しようとした時に、餌となる猛毒の昆虫のほうがひっそりと絶滅したのかもしれません。
中国はとても広いので、人間の入り込めないようなどこかで、ひっそりと鴆が生き続けているかもしれないと考えるのはちょっと楽しいですね。
参考文献
鴆鳥-実在から伝説へ(1994年)
https://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper01/chincho.html
医薬品情報21 鴆(チン)の毒性
http://www.drugsinfo.jp/2007/12/05-174745
元論文
ニューギニアの鳥類よりバトラコトキシン類の有毒アルカロイド発見 : 鴆(ちん)毒も実在した?(1993年)
https://doi.org/10.14894/faruawpsj.29.10_1144
ライター
百田昌代: 女子美術大学芸術学部絵画科卒。日本画を専攻、伝統素材と現代素材の比較とミクストメディアの実践を行う。芸術以外の興味は科学的視点に基づいた食材・食品の考察、生物、地質、宇宙。日本食肉科学会、日本フードアナリスト協会、スパイスコーディネーター協会会員。
編集者
海沼 賢: 大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。