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私たちが普段目にするあらゆる物体――金属、ガラス、プラスチックなど――は、温度が上がれば少しずつ膨らみ(膨張)、温度が下がれば縮む性質をもっています。
これを「熱膨張(ねつぼうちょう)」と呼びます。
熱膨張はとても身近な現象であり、実はエッフェル塔などの巨大建造物でもはっきりと確認できます。
フランス・パリにあるエッフェル塔は、夏の暑い時期には冬より10〜15センチメートルほど高くなるという報告がありますが、これは塔の鉄骨が熱膨張してほんのわずかに“伸びる”ためです。
では、なぜ温度が上がると物質は膨張するのでしょうか。
物質を構成しているのは、目に見えないほど小さな原子や分子ですが、これらは温度が高くなるほど活発に振動し始めます。
振動が激しくなると、原子と原子が一定の距離を保つのが難しくなり、互いに少しずつ離れようとします。
結果として、物質の体積や長さが増える――つまり膨張するわけです。
ただし、この熱膨張が「ほんの少し」でも問題になる分野があります。
たとえば、工場で製造されるハイテク部品の組み立てでは、ミクロン(1mmの1/1000)単位の誤差が許されないことも珍しくありません。
わずかな熱膨張が生じると、部品同士のかみ合いが狂い、性能や品質に影響が出てしまう可能性があります。
また、温度上昇に弱い電子部品では、基板や金属端子が膨張して接合部分にストレスが加わり、故障や誤作動の原因になることがあります。
さらに航空宇宙産業の分野において、急激な温度変化(たとえば夜間の宇宙空間と日中の直射日光下での温度差)にさらされても、ミッションを続けなければならない人工衛星などでは、構造部材のわずかな伸縮が非常に重要な問題になります。
このように、日常生活ではそれほど意識しない熱膨張ですが、高精度の装置や極限環境で使う機器では、寸法の変化が大きな障害となり得ます。
したがって、「熱膨張がほとんど起きない材料」を発見または開発することが、昔から大きな研究テーマでした。
実際に「インバー合金」のように、鉄とニッケルを混ぜることで熱膨張が非常に小さくなる材料が知られていますが、その限界やメカニズムにはまだ未解明な部分も多く、新しい視点や技術が必要とされてきました。
こうした背景の中で、新しいタイプの合金が登場し、熱膨張を事実上ゼロに近いレベルに抑えることが可能になると、精密機械や宇宙開発、電子機器などさまざまな分野で革命的な応用が期待できます。
そこで今回、ウィーン工科大学(TU Wien)の理論研究チームと北京科技大学(USTB)の実験研究チームが協力し、熱に晒されても厄介な熱膨張を起こしにくい新合金の開発に成功しました。
これまでインバー合金(主成分は鉄とニッケル)のように、「熱膨張をかなり抑えられる材料」は知られていましたが、その温度範囲や製造条件には限界がありました。
そこで注目を集めているのが、ウィーン工科大学(TU Wien)の理論研究チームと北京科技大学(USTB)の実験研究チームによる協力で開発されたパイロクロア磁石と呼ばれる新しいタイプの合金です。
特に、鉄(Fe)やニオブ(Nb)、ジルコニウム(Zr)、コバルト(Co)といった4つの元素を組み合わせ、従来のインバーよりも広い温度範囲でほとんど膨張しない特性を実現しています。
具体的には、3K程度の極低温(摂氏-270℃付近)から約440K(およそ167℃)に至るまで、ほぼ「ゼロ膨張」といえるほど小さな変化量しか示さないという報告があります。
この画期的な合金は、従来のようにきれいに揃った結晶構造ではなく、局所的な不均一(局所組成のゆらぎ)をあえて含むことがポイントです。
たとえば、素材内部では「わずかにコバルトが多い箇所」と「少ない箇所」が混在し、押し出されたFeがZr/Nbサイトに入り込むといった局所組成の乱れが生じます。
これらが温度変化に対して異なる磁気的挙動を示すため、通常の「熱で膨張しようとする力」が、一部で起こる「磁気の乱れによる収縮傾向」と絶妙に釣り合い、最終的に全体としてほぼ形状が変わらない状態を実現できるのです。
実験によって証明されたこの成果は、航空・宇宙分野や精密機器産業など、極めて高い寸法安定性が求められる分野にとって大きな転機となる可能性があります。
しかし、いったいどんな原理で熱膨張を打ち消す収縮が起きたのでしょうか?
私たちは日常的に「温度が上がると物質は膨張する」という現象を当然のように受け止めています。
しかし、一部の磁性材料では、温度上昇によってむしろ収縮に近い挙動が起こり、最終的な膨張をほぼゼロにできる場合があります。
なぜ「縮む」のかを簡単に言うと、温度上昇によって原子が振動し始める一方で、材料中の磁気秩序が崩れる際に生まれる“格子を詰める”力が働くためです。
ふつう、温度が上がると原子や分子の振動が激しくなり、互いの平均距離が広がって膨張を起こします。
一方、磁性材料の場合、原子のスピン(磁極の向き)がある程度揃って(秩序をもって)配列されているときと、秩序が崩れ始めたときとで、結晶格子の“つめ方”が変化することがあります。
とりわけ、温度上昇によるスピン秩序の乱れが、原子同士を引きつけるようなエネルギー状態をつくり出すことがあり、結果的に収縮を引き起こすのです。
今回話題となっているパイロクロア構造は、立体的に入り組んだ結晶構造の中にカゴメプレーンと呼ばれる六角形の網目が存在し、そこに微妙な磁気バランスが宿っています。
さらに、コバルト含有量にばらつきがある(局所的に不均質な)ことで、複数の“磁気サブシステム”が生まれ、それぞれが異なる温度帯で異なる力を及ぼすため、「温度上昇による通常の膨張」と「スピン秩序の乱れによる収縮」が絶妙に釣り合うのです。
イメージするなら、二本のバネが綱引きしているようなものだと考えるとわかりやすいでしょう。
一方のバネは“熱膨張”という伸びる力を、もう一方のバネは“磁気的収縮”という縮む力を担当しており、それぞれの強さやタイミングが変化しながら拮抗を保つ結果、素材全体としてはほとんど長さが変化しない状態が実現されます。
このように、磁気と熱力学が見事にバランスすることで、数ケルビンの超低温から400K以上の高温に至るまで、膨張がごくわずかに抑えられる合金がつくられるのです。
熱膨張しない金属は、温度変化による寸法変化がほとんどないため、信頼性が求められる多くの分野で革新的な応用が期待されます。
例えば、宇宙や航空分野では、極端な温度差が部品の歪みを招くリスクを大幅に低減し、人工衛星や探査機の高精度な運用が可能になります。
さらに、精密機器や計測装置では、わずかな膨張が測定精度に影響を与えるため、温度変化に左右されない部品を使用することで、より正確な動作が実現されます。
また、電子デバイスや半導体製造の工程においても、極微の寸法管理が求められるため、熱膨張が抑えられた素材は製品の歩留まりや信頼性の向上に直結します。
今後は、理論と実験の融合により、さらなる新素材の開発や応用範囲の拡大が進み、省エネルギー、軽量化、長寿命化などの持続可能な技術の実現にも寄与すると期待されます。
実際の論文やプレスリリースでは、ほかの元素との組み合わせを探ることで、広範囲な温度帯や厳しい環境下でもゼロ膨張を維持できる可能性が示唆されています。
研究がさらに進めば、私たちの身の回りでこの“熱膨張しない金属”を見かける日がくるかもしれません。
元論文
Local chemical heterogeneity enabled superior zero thermal expansion in nonstoichiometric pyrochlore magnets
https://doi.org/10.1093/nsr/nwae462
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部