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人類はおよそ20万年前にアフリカで誕生し、そこから世界各地へと移動をはじめました。
赤道付近の強い日射量の下で暮らしていたため、初期の現生人類は濃い肌色(dark to black)を持っていたと考えられています。
実際に今日でも、アフリカに暮らす多くの集団が高いメラニン色素を受け継ぎ、紫外線から身体を守るうえで大きな利点を得てきました。
その後、人々はヨーロッパや北アジアなど紫外線量の少ない地域へと進出します。
そこで長らく支持されてきたのが、ビタミンDの合成効率や気候適応の観点から「肌を白くする」遺伝的変異が急速に広がったという仮説です。
冬季に日照量が減少する高緯度地方では、メラニンが多すぎると十分な紫外線が皮膚に届かずビタミンD不足に陥る恐れがあるため、肌がより白いほうが生存上有利だったのではないか――この説は近年まで広く受け入れられていました。
ところが、約1万年前の英国に暮らした「チェダーマン」の骨から抽出されたDNAを解析したところ、非常に黒い肌と青緑色に近い淡い目を持っていた可能性が指摘され、ヨーロッパ人が“速やかに白くなった”とする定説に疑問が投げかけられました。
ただし、この推定には法医学的プロファイリングの限界や遺伝子変異の未解明部分もあり、追加の検証が望まれるとされています。
一方で、こうした事例をきっかけに、古代DNA解析技術が急速に発展し、法医学の分野で使われている身体的特徴の推定手法が古代DNAにも応用されるようになりました。
しかし、古代のDNAは断片化や汚染が進んでいることが多く、サンプル数そのものも限られるため、推定には不確実性が伴います。
そのため、より多くのサンプルを扱い、広範な地域・時代をカバーする研究が重要とされてきました。
今回の研究は、4万5000年前から1700年前にヨーロッパ各地で暮らしていた348人のゲノムを徹底解析し、肌・目・髪の色を総合的に推定する大規模な試みです。
その結果、想定以上に長い期間、ヨーロッパ人の大多数が濃い肌色を維持していた可能性が示唆され、「3000年ほど前(もしくは鉄器時代)になるまで多くの人が黒っぽい肌を保っていたのではないか」という見解が浮上してきたのです。
この新たな進化シナリオは、ビタミンDの合成効率を重視する従来説だけでなく、農耕の普及・移住・混血などの社会的・歴史的変化との関連についても再考を迫ります。
人類が長い年月を経てどのように姿を変え、なぜその変化が起こったのか――本研究の成果は、人類史そのものを根本から見直す新たな材料になるでしょう。
今回の研究で対象となったのは、4万5000年前から1700年前にかけてヨーロッパ各地で暮らしていた、合計348人分の古代DNAです。
旧石器時代から中石器時代、鉄器時代に至るまで、時代も地域も異なるさまざまな人骨・歯からDNAを抽出し、解析しています。
古代DNAは保存状態が悪かったり、外部汚染が生じていたりすることが多いため、研究チームは厳格な手順のもとDNAを取り扱いました。
また、法医学的プロファイリング(通常は犯罪捜査で犯人の身体的特徴を推定する手法)を応用することで、肌・目・髪色を推定しました。
ただし、カバレッジの不足や部分的な欠損もあるため、複数の方法で誤差を補正しながら結論を導いています。
その結果、分析対象となった348人のうち約63%が現在の分類でいう“dark to black”にあたる濃い肌色だったと推定されました。
これは当初の予想を上回る割合で、アフリカ起源の濃い肌色がヨーロッパに渡った後も長い期間にわたって維持されていたことを示唆します。
対照的に、“white”あるいは“pale”と推定されたのはわずか8%ほどで、残りは濃い色と薄い色の中間(intermediate)に分類されました。
つまり、一般にイメージされがちな「ヨーロッパ人は寒冷地に適応して早期に白くなった」という図式とは裏腹に、実際には黒っぽい肌を持つ人々が大勢を占めていたわけです。
さらに、年代別に肌の色の推定結果をたどると、およそ3000年前(銅器時代末~鉄器時代)にかけて白い肌や中間的な肌色の割合が徐々に増えていった可能性が示されました。
その背景には、狩猟採集民から農耕民へと移行する過程でのビタミンD摂取法の変化や、新石器時代以降に起こった大規模な人口移動や混血、さらには戦争や性淘汰などが複合的に関わっていると考えられます。
これらの要因が複合的に作用し、肌の明度を高める遺伝子変異がゆっくりと浸透していったのではないかというわけです。
なお、古代DNAの解析には不確実性が伴い、個々のサンプルが示す特徴には誤差が含まれる可能性があります。
しかし、この研究のようにさまざまな時代と地域から348人もの古代人データを集めることで、個々の誤差を統計的に平均化し、集団レベルでの大きな傾向を見出すことが可能となります。
「dark to black」が主流だったという結論や「3000年ほど前から白くなり始めた」という指摘は、ヨーロッパ人の肌色に関する従来説を見直す上で重要な材料となるでしょう。
今回の研究が示唆するのは、ヨーロッパにおける「肌の白化」が従来イメージされてきたような急激な進化ではなく、はるかに長い時間をかけて少しずつ進行した可能性があるという点です。
アフリカを出た初期の現生人類が黒い肌を持っていたのは自然なことですが、高緯度地域に移住すればすぐに白くなったはず――という定説は、この研究結果で大きく揺らぎました。
長い間、黒や褐色に近い肌色が維持されていた背景としては、狩猟採集民が野生動物の肉や魚介類などからビタミンDを十分に摂取できたことが考えられます。
紫外線を十分に取り込まなくても、食事からある程度のビタミンDを確保できるなら、肌を白く保つ淘汰圧はさほど強く働かなかったかもしれません。
一方、農耕が拡大し穀物中心の食生活が広がると、紫外線から合成されるビタミンDがより重要になり、肌を白くする遺伝子変異が優勢になったというシナリオも浮上します。
また、新石器時代以降にアナトリアやステップ地域からヨーロッパへと移住してきた人々との混血や大規模な人口移動も、肌色進化の流れを大きく左右したと考えられます。
今回の解析結果でも、地理的にも時代的にも「dark to black」の集団が長期間にわたり混在していた形跡が見られ、単純に「寒冷地だから肌がすぐ白くなった」という説明だけでは済まされない複雑さが浮かび上がりました。
さらに、古代の芸術作品や文献に描かれる人物像は、必ずしも実際の肌色を写実的に反映していない場合が多いとされています。
こうした歴史資料だけに頼らず、遺伝情報を直接解読することで、より確かな形で「当時の人々の外見」を推定できる意義は大きいと言えるでしょう。
今回の研究は、私たちが信じてきた人類史像――「アフリカから出た後、寒冷地に適応してすぐ白くなった」というシンプルな説を揺るがし、黒っぽい肌が何万年にもわたり主流だった可能性を提示します。
もちろん、個々のサンプル推定における誤差や未解明の遺伝子変異など、課題は残されています。
すべてを決定的に証明するには、今後さらに多くの発掘事例や高品質の古代DNA解析が必要となるでしょう。
しかし、今回のように数百人規模のサンプルから得られた知見は、ヨーロッパ人の肌の色に関する固定観念を再考させる上で非常に意義深い一歩となります。
今後の研究が進むにつれて、ヨーロッパのみならず世界各地の古代人がどのような肌色・髪色・眼色を持ち、どのような経緯で変化してきたのかが、ますます多面的に解き明かされていくことが期待されます。
元論文
Inference of human pigmentation from ancient DNA by genotype likelihood
https://doi.org/10.1101/2025.01.29.635495
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部