渡り鳥はいかにして地図も持たずに数千キロ先の目的地へ迷うことなく飛んでいけるのでしょうか。

この長年の謎を解く鍵として注目されてきたのが、生物が地球の磁場を感じ取る「磁気感覚(マグネトレセプション)」です。

近年の研究により、この不思議な“第六感”が想像を遥かに超える精度を持つ可能性が浮上しています。

そこで今回ギリシャのクレタ大学の研究チームは、鳥類などが利用する磁気感覚メカニズムをエネルギー分解能限界(ERL)の視点から評価し、その性能が量子限界に驚くほど近いレベルにあるとの解析結果を発表しました。

「量子限界」とは、私たちがどれほど精密な装置を使っても測定には必ず残る“揺らぎ”の限界点のようなもので、量子力学の原理が示す理論上の壁を指します。

つまり、どんなに感度を高めても、その“壁”を越えることはできないとされています。

もし自然界の生物センサーが、先端技術で作り上げた精密な磁気センサーに匹敵する感度を発揮しているとすれば、私たちの科学観や未来のセンサー技術に大きな変革をもたらす可能性があります。

鳥がどのようにして“見えない地図”を読み解いているのか、その謎に迫る成果です。

研究内容の詳細は2025年1月16日に『PRX Life 3』にて発表されました。

目次

  • 鳥類の磁気感覚は磁気センサーの理想値に近い
  • 鳥類の磁気感覚は量子限界に達している

鳥類の磁気感覚は磁気センサーの理想値に近い

動物の磁気感覚は量子限界に驚くほど近い性能を持つ / Credit:Canva

鳥類をはじめとする多くの動物が、わずかな地球磁場の変化を感じ取り、長距離移動や方向選択に活かしている現象は「磁気感覚(マグネトレセプション)」と呼ばれ、数十年来、大きな謎として研究者たちを魅了してきました。

動物行動学の視点からは、渡り鳥がいかにして地図も方位磁針もない状態で数千キロを正確に移動できるのかという問題があり、また生物物理学の立場からは、微弱な磁場信号をどのように高感度で検知しているのかという根源的な疑問が浮上します。

この「不思議な第六感」を解明しようとする試みは、化学や分子生物学、物理学など多方面の学術分野を巻き込みながら発展してきました。

一方、人類は近年、量子物理学の進歩を背景に超高感度な「量子マグネトメーター」を続々と開発しています。

量子センサーの世界では、磁気を測定する精度には「量子限界」という理論的な壁が存在することが広く知られています。

先にも述べたように、量子限界はどんなに精密に測定しても残ってしまう“揺らぎ”に起因するため、それを超えるセンサーは開発できません。

そのためもし鳥類の磁気感覚が量子的な効果を利用する生体量子センサーとして機能している場合、鳥類の磁気を検知する能力は量子限界で行き詰まりになるはずです。

そこで今回、クレタ大学の研究者たちは鳥類の磁気感覚を新たな手法で評価することにしました。

鳥類の磁気感覚は量子限界に達している

動物の磁気感覚は量子限界に驚くほど近い性能を持つ / Credit:Canva

鳥類の磁気感覚は量子限界に達するほどの性能なのか。

謎を解明するため研究者たちは、「エネルギー分解能限界(ERL: energy resolution limit)」という指標を用いました。

ERLは、センサーが磁場を測定するときの基本的なパラメータであり、理論的にどの程度の精度が実現可能かを示す概念です。

ここでいう「センサー」とは人工の機械だけでなく、動物の体内にある分子や組織も含まれます。

そして研究者たちは、鳥類の磁場を感じ取るために使用すると考えられている、いくつかのメカニズムに対して、エネルギー分解能限界を用いた評価を行いました。

まず1番目に注目されたのが、ラジカル対機構(Radical-pair)です。

これは、網膜などに存在するクリプトクロム(タンパク質)の中で生じる「ラジカル対」という特別な電子状態が、地球磁場によって化学反応の割合をわずかに変化させる仕組みです。

鳥の目の中で、この変化があたかも“視覚情報”のように捉えられるのではないかと考えられています。

2番目に着目されたのはマグネタイト機構(Magnetite)です。

マグネタイト機構は、くちばしや頭部などに微量に含まれる磁性鉱物が関わる仕組みと考えられており、磁石と同じ性質をもつ物質が地球磁場の力を受けることで、わずかに動くような感覚が神経へ伝わり、方角を感じ取るのではないかという考え方です。

これは、いわば体内に小さなコンパスの針があるイメージに近いといえます。

3番目に近年注目されているのが、MagR機構です。

これは、鉄を含むタンパク質「MagR」とクリプトクロムが複合体を作って協力し合うことで、磁場を感知する仕組みとされています。

この機構もラジカル対機構と同様に網膜に存在すると考えられています。

ラジカル対機構とマグネタイト機構の両方の要素を兼ね備えた“ハイブリッド”として位置付ける研究者もおり、実験的な検証が進められています。

4番目に検討されたのが、誘導(Induction)機構です。

これは磁場の変化を直接電気信号として読み取る方法として知られており、魚の仲間やハトなどは、磁場変化による微弱な電気的な変化が神経インパルスとして脳に伝わる可能性があります。

(※今回の研究は「特定の1種類の鳥」ではなく、鳥類全般に関わる理論的な分析が中心です。論文内では、ヨーロッパコマドリ(European robin)など磁気覚研究の代表的なモデル生物のデータや、これまでに報告されている複数の鳥類の実験結果を引用・参照してはいますが、「○○という1種類の鳥を詳しく調べた」というわけではありません。むしろ、渡り鳥全般やピジョン(ハト)など多様な鳥類に関する研究結果を総合的に扱い、“鳥類に共通する磁気受容メカニズム”としてラジカル対機構やマグネタイト機構、MagR機構などを評価した、理論・モデルベースの解析と考えるとよいでしょう。)

結果、ラジカル対機構とMagR機構はいずれも量子限界に迫る機能を持っている可能性が示されました。

これらの2つの機構がともに網膜にあると考えられることから、鳥たちは網膜を使って方向を決めていると考えられます。

もし人間に同様の仕組みがあった場合、渡りの季節になると目が特定の方向に向いてしまうような症状が起こるかもしれません。

一方、誘導機構は理論的にみても量子限界から遠く、マグネタイト機構は中間的な位置付けといえます。

研究チームはこれを指して「自然界は私たちの想像以上に巧妙なセンサー設計を行なっている可能性がある」とコメントしています。

今回の分析は主に理論的な手法に基づくものですが、「もし自然界でこうした高感度が実現しているとすれば、どのくらいの分子数・どんな配置が必要か」という具体的な目安を与える点で大きな意味を持ちます。

今後、実際の鳥類や他の動物の体内でこれらのメカニズムがどのように働いているのか、さらなる実験的検証が期待されます。

こうした理解が進めば、将来的には生物がもつ高感度センサーをヒントにした革新的な人工マグネトメーターの開発につながるかもしれません。

科学技術だけでなく、動物の行動や進化の謎にも光を当てる重要なステップとなるでしょう。

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元論文

Approaching the Quantum Limit of Energy Resolution in Animal Magnetoreception
https://doi.org/10.1103/PRXLife.3.013004?_gl=1*1lyqyqw*_ga*NDc0MDg5NTkwLjE3MjAzOTI3NTM.*_ga_ZS5V2B2DR1*MTczODcyMDUwNS43Ni4wLjE3Mzg3MjA1MDUuMC4wLjI0MzE2Mjc4Mg..

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 動物の磁気感覚は量子限界に驚くほど近い性能を持つ