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当時、ヒトラー率いるナチスドイツも核兵器の開発を進めており、アメリカやイギリスを中心とする連合国側はそれに非常な危機感を抱いていました。
莫大なエネルギーを放つ原子爆弾が完成してしまえば、自軍の負けが見えていたからです。
そこで連合国側は天才科学者たちを集めて、急ピッチで原子爆弾の開発を進めました。
これが「マンハッタン計画」と呼ばれる極秘プロジェクトです。
この計画は見事に成功し、1945年7月16日には世界初の核実験である「トリニティ実験」が行われています。
そして1945年8月6日、ウランを核材料とした原子爆弾「リトルボーイ」が広島へ、同年8月9日、プルトニウムを核材料とした原子爆弾「ファットマン」が長崎へ投下されました。
原爆による広島と長崎の死者数は合計で21万人を超えています。
このとき、アメリカは第3の原爆投下も計画していたのですが、8月15日の戦争終結により実施されることはありませんでした。
ここで使われなかった原爆の材料は直径89ミリのプルトニウムの球体です。
大きさはリンゴ程度ですが、重さは6.2キロもありました。
プルトニウムの球体は当初「ルーファス(Rufus)」という友達みたいなコードネームで呼ばれていたのですが、のちに「デーモン・コア(悪魔の核)」というイカつい名前に改称されるきっかけとなる惨事を引き起こすのです。
終戦後すぐの8月21日、マンハッタン計画の一環として原子爆弾の開発を進めていた「ロスアラモス国立研究所」に一人の研究者がいました。
彼の名はハリー・ダリアン(1921〜1945)、マンハッタン計画に参加していたアメリカ人物理学者の一人です。
ダリアンは戦争が終わったにも関わらず、プルトニウム球体「ルーファス」を使って危険な実験をしていました。
その実験のトンデモなさを理解するにはまず、ただの金属球に見えるルーファスがどれだけヤバい物体なのかを知っておく必要があります。
ルーファスは膨大な数の「プルトニウム239」という同位体でできており、これはウラン235と並んで非常に高い核分裂性を持っていました。
もっと噛み砕いて説明しましょう。
プルトニウム239の中心部には「原子核」があり、ここに外から飛んできた極めて小さな粒子である「中性子」がぶつかると、原子核が不安定な高エネルギー状態になります。
するとプルトニウム239の原子核は2つに分裂し、同時に中性子を飛ばします。
この中性子が近くにある別のプルトニウム239にぶつかると、また同じような核分裂反応がネズミ算式に広がります。
これが連鎖反応です(下図を参照)。
こうした核分裂の連鎖反応を瞬間的に引き起こして莫大なエネルギーを発する兵器が「原子爆弾」というわけ。
核分裂の際には「放射線」も放出されるので、実に危険です。
そして最も重要なこと、それはプルトニウム239が放っておいても勝手に核分裂を起こして中性子を放出することです。
「じゃあ、ルーファスを持っておくこと自体あぶねーじゃん」と思うかもしれませんが、心配いりません。
自然状態で核分裂したものは外部に逃げ去っていくので、先のような連鎖反応を起こさないからです。
ただし!ルーファスから発生した中性子が外に逃げられないような障壁を設ければ、他のプルトニウム239にぶつかって連鎖反応が起こります。
ここまでの前提を知っておけば、ダリアンの実験がいかに危険かがわかります。
では彼が何をしたのかというと、ルーファスの周りに中性子を反射できる重たいブロックを積み重ねて、それをルーファスに近づけたり離したりしたのです。
これがどれだけ危ないかわかるでしょうか?
ブロックをルーファスから離していれば、中性子も外に逃げる隙間があるので連鎖反応は起きません。
しかしブロックをルーファスに近づけると、中性子の逃げる隙間がなくなって連鎖反応が起きます。
ダリアンはブロックをルーファスに限界まで近づけて、連鎖反応が起きるギリギリのラインを調べようとしたのです。
しかも当時は手動でブロックを持ち上げたり、降ろしたりしていました。
そして悲劇は起こります。
ダリアンがブロックを動かそうとした際に、誤ってルーファスの上にブロックを勢いよく落っことしてしまったのです。
その瞬間、核分裂の連鎖反応が起こり、研究室には一瞬にして青白い閃光が走りました。
連鎖反応はおよそ2分続いたとされ、この間にダリアンは約5.1シーベルトの放射線を浴びています。これは2人に1人が死んでしまう被曝量です。
案の定、ダリアンは強い吐き気を催して嘔吐し、病院に救急搬送。
放射線が彼の生体機能を破壊して、事故から25日後には帰らぬ人となりました。
こうしてルーファスを使った核実験は終わった…かと思いきや、ほぼ同じ実験を始めた恐れ知らずの科学者がまた現れるのです。
次なる惨事を引き起こすのは、同じくマンハッタン計画に参加していたカナダの物理学者ルイス・スローティン(1910〜1946)です。
スローティンはダリアンが亡くなった翌1946年に、再びルーファスを使った危ない実験を行いました。
ダリアンの時と違うのは、ルーファスに近づけたり離したりするブロックを変えたことです。
スローティンは中性子を反射できる金属「ベリリウム」を用いて、球体のルーファスをすっぽりと包める上下の鉄腕を作りました。
イメージとしてはアボカドを半分に割ったものを想像してもらうとぴったりでしょう。
中心の種がプルトニウムの球体であり、それを挟む上下の鉄腕がアボカドの実です(※ ただし、上部の鉄腕は動かしやすいように下部より小さく作っていました)。
上側の鉄腕を完全に閉めずにおけば、中性子が外部に逃げられるので連鎖反応は起きずに済みます。
そこでスローティンが何をしたかというと、なんとベリリウムの鉄腕の間にマイナスドライバーを差し挟んだだけだったのです。
なんという原始的な方法でしょうか…
そしてスローティンはマイナスドライバーを動かして上部の鉄腕を上げ下げし、連鎖反応が起きるギリギリを攻めました。
しかもこの時、防護服などはまったく身につけていなかったといいます。
またもや、案の定です。
1946年5月21日、スローティンは手を滑らせてマイナスドライバーを落としてしまい、その瞬間にダリアンの時と同じく、青白い閃光が研究室を駆け抜けました。
研究室内にはスローティンの他に7人の研究者がいたといいます。
スローティンはすぐさま閉じてしまった上の鉄腕を外したので、連鎖反応が起きたのはわずか1秒ほどだったという。
ところがルーファスの真ん前にいたスローティンは大量の放射線を浴びてしまいました。
その被曝量はなんと致死量の10倍に相当する約21シーベルトです。
スローティンもダリアンと同じく、強烈な吐き気から勢いよく嘔吐し、即座に入院。
翌日には体調が回復したかに見えましたが、数日後には体内の白血球が死滅し、体調が急激に悪化します。
最終的には精神錯乱状態にまで陥って、事故発生から9日後に亡くなってしまいました。
また同じ場所にいた研究者の中にも放射線を浴びて後遺症に苦しむ者がいましたが、その他はルーファスから距離が離れていたためか、事故後も数十年単位で生きながらえています。
ただ、この二度の恐ろしい惨事をきっかけに「ルーファス」と呼ばれていたプルトニウム球体は「悪魔の核」すなわち「デーモンコア(Demon core)」と呼ばれるようになったのです。
デーモンコアはその後溶かされて、他のコアを作るために再利用されています。
参考文献
The Chilling Story of The ‘Demon Core’And The Scientists Who Became Its Victims
https://www.sciencealert.com/the-chilling-story-of-the-demon-core-and-the-scientists-who-became-its-victims
What Was The ‘Demon Core,’ And Why Does It Matter?
https://www.forbes.com/sites/jimclash/2024/06/05/what-was-the-demon-core-and-why-does-it-matter/
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
ナゾロジー 編集部