米は日本の食文化の中心にあるものであり、日本食を語るうえでは絶対に外せない存在です。

そんな米ですが、縄文時代末期に日本にやってきてから今のように食べられるようにまでの間には、紆余曲折がありました。

現代では炊飯器のボタン1つで炊けるご飯。しかし、他の調理と異なり専用の家電が必要なほど、ご飯の炊き方というのは独特です。

果たして古代の人々はどうやってこの調理法を見つけたのでしょうか?

この記事では米の調理方法と食べ方の変遷について取り上げていきます。

なおこの研究は、比較日本学教育研究センター研究年報5巻p.63-73に詳細が書かれています。

目次

  • 米を蒸し、煮ていた古代日本人
  • 調理器具の発展を待たなければならなかった、現代のメシ

米を蒸し、煮ていた古代日本人

古代の人々が食べていたお米は、現代とは異なる方法で調理されたものであった / credit:pixabay

縄文時代の終わり頃、日本列島には稲作が伝わり、その後の2500年にわたり、日本人は様々な調理法で米を楽しんできました。

稲作が広まるにつれ、米の調理法も多様化していったのです。

その中でも古代日本で主流だったのが、「飯(いい)」「粥(かゆ)」の2つの調理法です。

「飯(いい)」は蒸した米を指します。

その中でも蒸した米の飯は強飯(こわいい)といい、食感はかなり硬かったです。

なお強飯は古墳時代からありました。

一方「粥(かゆ)」は煮た米のことを指しています。

現在お粥と言われている料理は弥生時代からあり、当時は「姫粥(ひめかゆ)」という名前でした。

また米は他にも様々な方法で調理されていきました。

奈良時代に入ると、強飯を乾燥させた乾飯(ほしいい)が作られ、携帯しやすい行動食として広まりました。

この乾飯はそのまま食べることもありましたが、基本的には水やお湯で戻して食べるのが一般的でした。

平安時代には、飯に水をかけた「水飯(すいはん)」が誕生し、これは現在のお茶漬けの原型とされています。

なお飯に水をかけるのは夏の間だけであり、冬は水飯の代わりに飯にお湯をかけた「湯漬け(ゆづけ)」が食べられていました

また同時期に強飯を握った「屯食(とんじき)」も生まれ、それは現在のおにぎりの原型でもあります。

さらに米に野菜などを混ぜた「かて飯」野菜を入れた粥の「味噌水(みそうず)」などもこの時代からあり、現在の混ぜご飯や雑炊に近いものはかなり古い時代からあったことが伺えます。

このように日本では米の調理に「蒸す」「煮る」などの方法を取っており、これらを実現するために甑(こしき)といった道具が使われていました。

甑、現在でも日本酒を作る際に使われる / credit:土佐酒造株式会社

特に甑は、穴のあいた蒸し器として使われ竈(かまど)の上で蒸し炊きを行うのが一般的であったのです。

この甑が古墳時代頃から普及し、炊飯具の一つとして古代日本の生活に深く根付いていました

万葉集においても甑が歌に詠まれており、「貧窮問答歌」では、甑に蜘蛛の巣が張るほど飯を炊いていない、という一節がありました。

この「炊く(かしく)」は、米を蒸すという意味も含んでおり、当時の食文化が窺えます

こうして、道具や技術の進化に伴い、米の食べ方も徐々に変わり、私たちが今日口にする「めし」に至るまで、長い歴史の過程を経てきたのです。

調理器具の発展を待たなければならなかった、現代のメシ

弥生土器、これまでの土器と比べて頑丈ではあったが陶器と比べればまだまだ脆かった / credit:wikipedia

このように古代の日本人は様々な方法で米を調理していましたが、現在のような方法での調理はいつ頃から行われていたのでしょうか?

たとえば「姫飯(ひめいい)」といったものは、今のごはんに近いものであり、その調理法には「炊き干し法」「湯取り法」が用いられていたといいます。

炊き干し法では、米に水を加えて煮、その水がすべて吸収されるまで火にかけるというものです。

湯取り法では、一度米を煮立てて水を捨て、さらに蒸し煮にするものです。

この技術は弥生時代の甕(かめ)や壺から見つかった吹きこぼれ痕などの遺跡の証拠からも示されており、弥生時代から現代と同じような米を調理する手法が行われていたと主張する人もいます。

これには反対意見もあり、「炊き出し法や湯取り法で米を炊いていた跡ではなく、粥を作ろうとして失敗した跡なのではないか」と指摘されています。弥生時代の人々が失敗作の粥として結果的に現在の私たちと同じような調理方法で作られた米を食べたことはあっても、意図して現代の私たちと同じような調理方法で作られた米を食べたことはないというのです。

しかしいずれにせよ弥生時代の土器は表面が弱く、一度焦げると二度と使えなくなるということもあったので、意図的に行った者がいたとしてもこの調理方法が主流になることはなかったようです。

やがて平安時代になると、貴族の間では姫飯も日常的に食べられるようになったものの、それ以外の人々が日常的に現代のような調理方法で米を食べるようになるのは、陶器で作られた丈夫な調理器具が普及する中世を待たなければなりませんでした

 

さて、日本には炊飯の心得を歌にした伝承があります。

「はじめチョロチョロ、中パッパ、ブツブツいう頃火をひいて…」という、誰もが一度は耳にしたことがあるこの歌は、実は科学的な炊飯のコツそのものなのです。

はじめの「チョロチョロ」とは、沸騰までの弱火を指し、米粒が外から内へ均等に水を吸うために必要な工程

そして「中パッパ」で沸騰後の強火は米に水を十分に行き渡らせるためのものです。

その後、「火をひいて」は、弱火でじっくりと米を蒸し上げるための指示で、最後に火を止めたあとも、蓋を開けないで蒸らすことが大切です

「赤子泣いてもフタ取るな」とは、蒸らし中に蓋を開けると熱が逃げ、米がうまく仕上がらないからだといいます。

このような炊飯法は、1955年に登場した自動炊飯器にも受け継がれており、今や世界中で珍しがられるほどの技術革新となります。日本の炊飯文化は、こうして昔から積み重ねられた知恵の結晶といえるでしょう

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参考文献

お茶の水女子大学教育・研究成果コレクション “TeaPot”
https://teapot.lib.ocha.ac.jp/records/41034

ライター

華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。

編集者

ナゾロジー 編集部

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 「おにぎり」「お茶漬け」のルーツは奈良時代!? 知られざる古代日本の米の調理法とは?