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なお4コマは負の群遅延という現象を概念的に説明したものであり「負の時間」や「入るよりも先に出る」といった表現も、観測データをもとにしたものです。より正確には入力パルス(入る光)のピークが出力パルス(出る光)のピークよりも早く現れるという現象です。このような入る光が出る光よりも早くピークが訪れることを本文では「入るより先に出る」と表現しています。
マンガのようにハッキリと巨大な光の球が出入りする様子が見れるわけではありません。
アインシュタインの相対性理論では「光の速度は不変」であるとされています。
ただこの不変というのはあくまで真空中での話に限ります。
音が空気や水によって伝達速度が変るように、光もまた伝達する環境によって影響を受けます。
光が液体や気体のような物体に入ると、光の粒子が周囲の原子との相互作用を起こします。
物体内に光が侵入すると、物体内部の原子との間で吸収と放出が起こり、そのぶん光の速度は低下していきます。
近年では他にもさまざまな手法を使ってこの光の速度低下を極限まで大きくする技術が開発されており、2000年に行われた研究では光の速度を時速1.6㎞と歩く速さよりも遅くすることに成功しました。
さらに進んだ研究では、媒体内部で光パルスを完全に停止させ、光パルスに刻んだ情報をそのままの形で媒体内部に留めることに成功しました。
光の遅延を無限に近く引き伸ばした例とも言えるでしょう。
SFなどでは「クリスタルの中に情報を光の形で閉じ込める」といった設定がよく使われますが、技術進歩によって実現可能になってきたのです。
一方、逆に光の速度を落とさずに通過させる媒体の開発も進んでいます。
例えば屈折率が1に近くなるように作られた媒体では、光の速度を真空とほぼ同じ速度に保つことが示されました。
このような媒体では光との相互作用を抑えたり、光と原子の周波数を調節するなどさまざまな手法を取り入れることで、光の吸収と放出という遅延を限りなくゼロに近づけています。
トロント大学で行われた研究では、この遅延をゼロを乗り越えてマイナスにできるかが試されました。
すると、とんでもなく奇妙な現象が起こりました。
新たな研究では、ほぼ絶対零度まで冷却されたルビジウム原子の雲に対して光子が発射されました。
ルビジウム原子雲には極低温に冷却すると、原子雲全体が日常世界の常識を脱し、量子世界の常識に従うようになることが知られています。
(※この状態になったルビジウム原始雲は多数の原子によって構成されているにもかかわらず、まるで1個の巨大な原子のように振る舞い始めます:この状態をボース=アインシュタイン凝縮体と言います)
またこれまでの研究により、この極低温ルビジウム原子雲に対してレーザーを照射することで、量子的な状態をかなり正確に制御できることが示されています。
わかりやすく言えば、人間の采配で量子世界の状態をある程度調節したわけです。
ある意味でルビジウム原子雲は量子の不思議を煮込む魔女の大釜のような役割を果たしていると言えるでしょう。
そこで研究者たちは、ルビジウム原子雲の状態をさまざまに制御しながら、原子雲の中に光を通過させる実験を繰り返しました。
量子世界の不思議が詰まった魔女の大釜の火力を調節するように、ルビジウム原子雲の量子的な性質を変化させ、通過する光に量子世界の不思議が発生するのを待ったわけです。
するとある条件において、ルビジウム原子雲で光子の遅延がマイナスになる状態が確認され、光子がルビジウム原子雲に入る前に、出てきてしまっている観測結果が得られました。
研究者たちは、1つ目の例を発見すると、さらに時間をかけて別の設定も試し現象のさらなる例をみつけだしました。
研究者たちは、この状態にあるときルビジウム原子雲における光の遅延はゼロを超えてマイナスになっていると述べています。
遅延がプラスの場合、原子雲を通る光は減速し、遅延がゼロの場合は原子雲に入っても光は全く減速しません。
ですが遅延がマイナスになると、光子にある意味で負の時間が流れ、光が入るよりも先に出ていくという観測結果が得られます。
観測されたデータでは一見すると、因果律に反しているかのような部分がみられます。
しかし今回の負の時間、あるいは群遅延と呼ばれる現象は、量子現象によって引き起こされたものであり、タイムトラベル現象によって引き起こされたものではありません。
また観測した光には因果を結ぶ情報が含まれていないため、因果律も保たれています。
量子現象の中にはタイムトラベルをしたかのように振る舞うものも存在しますが、実際に因果律を脅かすような事例はごく限られており、大方の量子現象は因果律に従っています。
(※因果律を打ち破る数少ない研究としては去年の12月に東京大学から発表された量子電池の充電方法があたります)
一方、量子現象という観点からは興味深い見方もあります。
この現象を量子力学の観点から考えた場合、光子が原子雲を通過する方法の重ね合わせが作用していると考えられます。
量子力学では1つの光子が原子雲を通り抜けるときに複数の状態が同時に存在しており、原子雲の中の光子は遅延を起こしてしまう状態、また全く遅延を起こさない状態、さらには遅延がマイナスになってしまう状態が重なって存在していると考えられています。
このとき、特定の条件を採用することで、この重ね合わせの中から「遅延がマイナス」になっている光子を観測することができると考えられます。
あえて多世界解釈的な見方をとれば、遅延が起きた世界線、遅延がゼロだった世界線、遅延がマイナスだった世界線の中で、研究者たちの観測は遅延がマイナスだった世界線だったと言えるでしょう。
一方研究者たちは「私たちの観測は、マイナスの遅延が単なる偶然によるものではなく、この世界において物理的に意味のある量であることを示している」と述べています。
量子力学の実験結果にはさまざまな解釈が存在しており、主流・非主流の区別があっても、どれが真実であるかは断言できません。
また多世界解釈など非主流派の解釈を研究することで、思いもよらない知見が得られることもあります。
もしかしたら未来の物理学では、より優れた解釈が出現して、量子世界のモヤモヤを上手く解決してくれるかもしれませんね。
元論文
Experimental evidence that a photon can spend a negative amount of time in an atom cloud
https://doi.org/10.48550/arXiv.2409.03680
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部