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このウイルスは蚊が人間や馬を吸血することで感染し、過去1世紀の間に何度も大流行を起こしてました。
特に1930年代から1940年代にかけて人および馬でそれぞれ数千件の感染が報告されており、北米での人間の致死率は15%にも達しました。
しかし奇妙なことに、その後感染数は減少していきました。
米国では1987年に最後の流行が確認されたものの、それ以来、確認された症例はわずか5件となりました。
このようなウイルス感染が勝手に減少する現象は「ウイルスの沈没」として知られており、他のウイルス種でも確認されています。
新型コロナウイルスの場合でも、感染力や毒性の高い株が流行した次に低い株が流行し、再び高い株が優勢になるなど、奇妙な変動を起こしてたことを覚えている人も多いでしょう。
これまで、このようなウイルスの流行と沈没は漠然と「進化」が原因とされていました。
しかしウイルスの利益を考えれば、感染力は強ければ強いほうが有利なはずです。
なのになぜ結果的にウイルスたちは沈没を引き起こしたのでしょうか?
そこで今回、ハーバード大学の研究者たちは、西部馬脳炎ウイルス(WEEV)を分析することで「ウイルスの沈没」が起こる基礎メカニズムを解明することにしました。
どんな変化が西部馬脳炎ウイルス(WEEV)に衰退をもたらしたのか?
謎を解明するため研究者たちは、過去1世紀の間に採取された西部馬脳炎ウイルス(WEEV)のさまざまな株を分析し、遺伝子と毒性の変化を調べました。
西部馬脳炎ウイルス(WEEV)も新型コロナウイルスのように、宿主細胞の表面にある特定の構造(受容体)を認識し、感染をスタートさせます。
しかし新型コロナウイルスが細胞表面にあるACE2という構造のみをターゲットにするのに対し、西部馬脳炎ウイルス(WEEV)はターゲットにできる構造を3種類(PCDH10、VLDLR、ApoER2)も持っていることが明らかになりました。
これまでの常識ではウイルスが感染開始のターゲットにする構造はウイルスごとに1種類だけだと思われていたため、この発見は研究者にとっても大きな驚きとなりました。
さらに各時代で採取された西部馬脳炎ウイルス(WEEV)の感染方法を詳しく調べてみると意外な事実が判明します。
まず1930年代から1940年代に多くの人や馬を死に至らしめたウイルス株はさまざまな生物の細胞をターゲットにすることができたことがわかりました。
しかし2005年に採取された現代のウイルス株は手広さが失われており、鳥類や爬虫類の細胞をターゲットにできるものの、人間を含む哺乳類の細胞を認識する能力を失っていることが判明しました。
先にも述べたように、ウイルスの感染能力はターゲットの細胞を認識することから始まります。
そして哺乳類の細胞を認識できないウイルスは、哺乳類に感染できません。
この結果は、北米において西部馬脳炎ウイルス(WEEV)は今でも自然界に存在するものの、人間や馬などの哺乳類を、主な感染対象にするのを辞めてしまったことを示しています。
実際、研究者たちが2005年に採取された現代版ウイルス株をマウスに接種させても病原性を示さなかったことが確認されました。
現在の地球において哺乳類は最もありふれた種の1つとなっており、個体数も膨大です。
なのになぜ、北米の西部馬脳炎ウイルス(WEEV)は、哺乳類を主な感染源にするのを辞めてしまったのでしょうか?
研究者たちはその理由は複数あると述べています。
ですが第1の理由は、馬用ワクチンの普及であると言えるでしょう。
西部馬脳炎ウイルス(WEEV)が最も猛威を振るった時期、馬は今よりも遥かに重要な生物でした。
現代の道路は主に自動車のものですが、当時の移動手段は馬が頼りでした。
そのため人類は西部馬脳炎ウイルス(WEEV)に対して馬用ワクチンを開発し対抗しました。
(※一方2024年現在、FDAから承認を受けたヒト用の西部馬脳炎ウイルスワクチンは存在しません)
ワクチンが普及した環境はウイルスにとって好ましいものではなく、主な感染先を別の種に乗り換える圧力をうみだします。
第2の理由は、産業と農業の機械化です。
西部馬脳炎ウイルス(WEEV)が何度も流行した20世紀初頭では、産業や農業で馬が重要な役割を果たしており、どの農場にも馬小屋があって、多くの馬が密度が高い環境で飼われていました。
そして馬たちの傍には馬と密に接する人間がたくさんいました。
しかし産業や農業が機械化すると、馬そのものの需要が減り、馬と密に接する人間も減っていきました。
人間からすれば馬から機械への切り替えに過ぎませんが、ウイルスにしてみれば、北米のあらゆる地域で主な宿主たる馬が激減したことになります。
このような宿主の激減も、ウイルスにとっては宿主を別の種に乗り換える動機となります。
特に西部馬脳炎ウイルス(WEEV)は進化速度の速いウイルスであるため、環境の変化に敏感に反応できます。
そのため研究者たちは、西部馬脳炎ウイルス(WEEV)は認識する対象を変化させることで、人間や馬以外の種を宿主にしたと述べています。
では、人類はもう西部馬脳炎ウイルス(WEEV)に悩まなくてもいいのでしょうか?
哺乳類から手を引いた西部馬脳炎ウイルス(WEEV)は、もう安全なのか?
残念ながらそう簡単なわけではないようです。
今回の研究は、ウイルスの感染システムが常に揺れ動いており、大流行を起こせた宿主でさえも容易に見切りをつけれるほど、柔軟であることを示しています。
実際、西部馬脳炎ウイルス(WEEV)は今でも鳥類や蚊の体内にも存在し続けていると考えられます。
このことは、消えたと思っていた危険なウイルスたちが、実は宿主を変えて「潜伏」しているに過ぎないことを示しています。
ウイルスの早い進化速度を考えると、再び哺乳類での流行を引き起こすのは時間の問題と言えます。
一方、現在の標準的なウイルス学では、研究者たちは限られた宿主を対象にした限られたウイルス株しか調べません。
実際、今回の研究が行われている直前に、南米地域で西部馬脳炎ウイルス(WEEV)の新たな流行が発生したことが確認されました。
研究者たちによると、南米のウイルス集団は北米とは遺伝的に異なるとのこと。
人間に例えるなら、北米の西部馬脳炎ウイルス(WEEV)は辞表を出してしばらくおとなしくしていたものの、別人である南米のウイルスが突然入社して、感染を広げている状態と言えるでしょう。
新たに入社した南米ウイルスが、どのような経緯で強い感染力を手に入れたかを突き止められなければ、同じようなパンデミックを止めることはできません。
論文著者のアブラハム氏は「今回の結果は人類に対する警鐘です。起こり得る将来のパンデミックに備えるには、ウイルスの多様性を可能な限り追跡する必要があります」と述べています。
参考文献
Evolution Tamed Once-Deadly Western Equine Encephalitis. Should We Still Worry?
https://hms.harvard.edu/news/evolution-tamed-once-deadly-western-equine-encephalitis-should-we-still-worry
元論文
Shifts in receptors during submergence of an encephalitic arbovirus
https://doi.org/10.1038/s41586-024-07740-2
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部