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サーフィンが歴史上初めて記録されたのは1778年のことであり、ジェームズ・クックが初めてハワイを訪れたときです。
発掘調査で見つけられた最古のサーフボートは300年前のものであり、少なくとも18世紀初頭からサーフィンが行われていたことは確実視されているのです。
しかしポリネシアの神話の中には勇者たちが決闘の手段としてサーフィンを行う話や、山岳地帯の部族のところに嫁いだためにサーフィンを行うことができずに悲しんでいる女性の話もあります。
そのことから波を楽しむ習慣は1000年以上前からあったのではないかと考えられており、サーフィンの歴史はかなり長いと言われているのです。
またサーフィンは一般的にはハワイ諸島にて生まれたといわれていますが、それ以外のポリネシア地域の島々でも似たような文化は見られており、ハワイだけでサーフィンが行われていたわけではありません。
そのことからサーフィンは、古のポリネシア人が島々を移動したときに使ったカヌーで海のうねりを利用し、波の力を使って岸に上がる知恵から始まったのではないかと言われています。
このようにサーフィンはポリネシア全体で見られましたが、その中でもハワイ諸島ではサーフィンがとりわけ社会全体に大きな影響を持っていました。
その理由としては諸説あるものの、深い箇所から到達したうねりが溶岩の形成したリーフにぶつかっていい波をつくること、太平洋のど真ん中に位置していることからありとあらゆる方向から波がやってくることなどが挙げられます。
サーフィンはハワイの人々にとって単なる遊びやスポーツではなく、信仰などに組み込まれていました。
例えばサーフボードを製作する際には材料となる木を切り取る際に神々への祈りを捧げ、また波が来ない時は波を呼び寄せる儀式を行ってさえいたのです。
祭りの際に使われていた祭壇の中にはサーフィンに捧げられているものさえありました。
さらに当時の様子を目撃した西洋人の記録によると、いい波がある日には集落の住民全員が作業をやめてサーフィンを行っていたとまであり、それに年齢や性別は関係なかったとのことです。
加えてハワイの貴族はリーダーシップのステータスとして体力とスタミナがあったことにより、サーフィンをすることによって自身の体力とスタミナを維持していました。
以上のことからも、いかにハワイにおいてサーフィンが生活に根付いたものであったのかが窺えます。
そんなサーフィンですが、18世紀末に本格的に洋人がハワイ諸島に押し寄せると、冬の時代を迎えます。
島にやってきた宣教師たちは、サーフィンを「野蛮なもの」であると禁止し、サーフボートを取り上げて焼き払ってしました。
またハワイの人々は西洋人の持ち込んだ新しい宗教によって原初的な信仰を失い、それと密接なつながりをもっていたサーフィンに対する関心を徐々に失っていったのです。
それでもレクリエーションとしてのサーフィンは残っており、サーフィンはハワイの人々の間で娯楽として細々と続けられていました。
しかし20世紀初頭になると風向きが変わります。
ハワイ諸島の観光開発が進んだことにより、サーフィンがアメリカ本土の人々に伝わったのです。
これによりサーフィンは様々な人の注目を引くようになり、スポーツとして再スタートすることになったのです。
しかし当時のサーフィンはサーフクラブに入会し、そこで保管されているサーフボードを貸し出して行うというスタイルでした。
そのようなこともあってサーフィン文化は非常に排他的になっており、サーファー人口はあまり増えなかったとのことです。
しかし水泳選手のデューク・カハナモクをはじめとするハワイの人々が、サーフィンの振興を行っていったこともあり、その努力もあってサーファー人口は徐々に増えていきました。
その後サーフィンは世界中に広がっていき、1960年代後半には世界中でサーフィンが行われるようになりました。
日本でも第二次世界大戦後に駐留していたアメリカ軍兵士が湘南海岸などでサーフィンをしており、それが日本によるサーフィンの発祥の一つであるといわれています。
そして2020年東京オリンピックではサーフィンが正式な競技の一つとして採用され、世界中から注目される大舞台で多くのサーファーが自身のテクニックを披露したのです。
サーフィンを行う際には、古代ポリネシアの人々に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
参考文献
東北福祉大学リポジトリ (nii.ac.jp)
https://tfulib.repo.nii.ac.jp/records/318
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。