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ラクスは2009年3月に初めて発見された個体で、1980年代後半に生まれて、今では30代半ばに達していると推定されています。
研究主任のイザベル・ローマー(Isabelle Laumer)氏によると、ラクスの傷は「近所のオスとの喧嘩で負った可能性が高い」といいます。
チームがそのままラクスの観察を続けていると、3日後に予想外の行動を取り始めました。
なんとラクスはツヅラフジ科の植物の一種(学名:Fibraurea tinctoria)を選択的にちぎり取り、葉っぱを数分間噛み続けて、その汁を傷口に繰り返し塗り始めたのです。
また最終的には噛んだ葉っぱで傷口を完全に覆うという絆創膏のような使い方もしていました。
そしてこれを何日も繰り返しています。
この植物は抗炎症作用や抗菌作用、鎮痛および解熱効果を持つことが知られており、東南アジアでは昔から創傷や赤痢、マラリア、糖尿病の伝統的な治療に使われたきたものです。
そんな情報をどこで仕入れたのかはわかりませんが、ラクスはすり潰した葉っぱの汁をピンポイントで傷口に塗り込んでいました。
傷口以外には一切塗らなかったことから、これが意図的な創傷治療であることを示しています。
そして感染症の兆候もなく、治療から数週間後には完全に傷口が修復された様子が確認できたのです。
また興味深いことに、ラクスは平常時よりも多く休息の時間を取るようになっていました。
特に睡眠中は細胞の修復が促進されるため、ラクスは睡眠の効能を本能的に知っていたのかもしれません。
とはいえ、ラクスはこうした薬草による治療法をどうやって学んだのでしょうか?
同チームのキャロライン・シュプリ(Caroline Schuppli)氏によると、現地に住む他のスマトラオランウータンがこの植物を食べる姿は基本的に見られないといいます。
またラクスのように、植物の汁を傷口に塗ったり、食用以外に使った事例も確認されていません。
これを踏まえると、植物を使った治療法はラクスが三十数年の人生の中で独自に編み出した可能性があります。
その一方で、ラクスは他の成人したオスと同様に、現在住んでいる場所で生まれ育ったわけではありません。
「オランウータンのオスは一般に、思春期以降になると生まれた地域を離れて長距離移動し、別の地域で新たなコロニーの仲間入りをする習性がある」とシュプリ氏は説明します。
そのため、ラクスが行った薬草治療は彼が生まれ育った故郷の集団から伝授されたとも考えられるのです。
ただラクスの出自は今のところ不明であるため、その真相を知ることはできていません。
いずれにせよ、こうした革新的な治療法は、いつも決まって誰かが偶然に発見することで誕生するものです。
例えば、ある個体がたまたま口にした植物の汁が傷口に触れて、痛みが緩和したり、治りが早くなったりすることに気づくと、それが習慣化され、のちに治療法として確立されます。
今回のケースでは、ラクスがまさにその第一人者だったのかもしれませんし、あるいは彼が幼少期に家族から教わったものかもしれません。
しかしラクスの一連の行動は、薬草を使った創傷治療がヒトの生まれる遥か以前の類人猿の時代に発明されたことを物語るものです。
参考文献
Orangutan treats wound with pain-relieving plant
https://www.mpg.de/21886982/0429-ornr-first-evidence-for-medical-wound-treatment-in-a-wild-animal-987453-x
Wild Animal Seen Treating Wound With Medicinal Plant in First Documented Case
https://www.sciencealert.com/wild-animal-seen-treating-wound-with-medicinal-plant-in-first-documented-case
元論文
Active self-treatment of a facial wound with a biologically active plant by a male Sumatran orangutan
https://doi.org/10.1038/s41598-024-58988-7
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。