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残念なことにシャラ氏は後者であり3年前(31カ月前)のある日を境に、人々の顔全体が歪んでみえるようになってしまい、現在でも症状は続いています。
ただ顔の歪み方のパターンは誰でも同じであるため、シャラ氏は個人を識別することはでき、表情も区別可能でした。
またシャラ氏の症状にはもう1つ興味深い特徴がありました。
シャラ氏の場合、顔が歪んでみえるのは人間の顔を直接目で見た場合のみであり、写真や映像など二次元的な媒体に映る顔は、相貌変形視を発症する前と同じ、歪みがないものだったのです。
今回、ダートマス大学の研究者たちは、このシャラ氏の特性に着目しました。
これまで相貌変形視にかんしていくつかの研究がなされてきましたが、患者視点で顔がどのように歪んでいるかを詳細に知ることは困難でした。
しかしシャラ氏の場合、二次元的な媒体に移った顔は正常に識別できるという特性があるため、同じ人を目の前にして写真と比較することで、顔のどの部分がどんな比率で歪むかを、シャラ氏視点から正確に知ることが可能になると考えたからです。
このアイディアは今回の研究にそのまま取り入れられました。
調査にあたってまず、男女の被験者の写真が撮影され、シャラ氏の目の前に被験者たちが写真と一緒に並べて提示されました。
そしてシャラ氏に顔のどの部分がどの程度歪んでいるかをリアルタイムで教えてもらい、得られた結果をコンピューターグラフィックスで表示しました。
結果、シャラ氏の視点からは上の図のように、被験者たちの顔が歪んでいることが示されました。
これまで相貌変形視の患者たちの多くが、顔の歪みの原因が、統合失調症にみられる幻覚と診断され、誤って統合失調症の薬が投与されていました。
また相貌変形視を患っている人は、顔の歪みが精神疾患のせいだと他人に思われるのを恐れた、医師に話さないことも珍しくありませでした。
研究者たちは今回の成果が知れ渡れば、症状の実態把握が進むだけでなく、相貌変形視の患者たちに適切な病気に関する知識やケアができるようになると述べています。
次のページでは「顔に限定する歪み」が起こる仕組みを、症例と共にみていきたいと思います。
脳のどこにどんな変化が起きたら「顔に限定した歪み」が現れるのでしょうか?
なぜ顔だけが歪んでみえるのか?
その仕組みを理解するには過去の症例が大きなヒントになります。
2009年に報告された24歳の女性(主婦)のケースでは、出産後に突然重度の片頭痛と右半分の視野がぼやけるようになり、それ以降、人間の顔の左半分のパーツが滅茶苦茶な位置に配置されてみえるようになってしまいました。
研究者たちが女性の脳を調べたところ、左脳に損傷があることが判明します。
このことから視野の左右が右脳と左脳で並行して行われており、最後に1つの視野として統合されていることがわかります。
2011年に発表された研究では、人間の顔がドラゴンのような顔に変化して見えると訴えた52歳の女性について報告されています。
彼女は実際の顔を知覚して認識することができましたが、数分後には長くとがった耳と突き出た鼻が生え、ドラゴンのような顔に変化してしまいます。
また彼女の場合は、顔のように見える3つの点や何もない真っ暗な空間にさえ、ドラゴンの顔が出現してしまうと報告されています。
研究者たちが彼女の脳をMRIで調べたところ、レンズ状核と半卵円中心に複数の白質異常があることが判明しました。
2023年に公開された論文では、2人の患者は鏡の前に立つと片方の目が眼窩から飛び出し、頬を滑り落ちているように見えたと報告しています。
また上唇に「歯と耳」が出現したと述べている患者や、顔を「ダリの絵画の中の時計のよう」または「万華鏡のように変化する」と述べている患者が報告されています。
また2023年に発表された別の研究では、相貌変形視を患う48人の脳スキャンをしたところ、44人で脳の視覚を処理する領域での病変が発見されました。
今回のシャラ氏のケースでも病歴が調べらたところ、シャラ氏は双極性障害および心的外傷後ストレス障害の病歴があり、43歳の時に頭部に重傷を負い入院することになりました。
また3年前の55歳のとき、相貌変形視が発症する4カ月前に、一酸化炭素中毒になった可能性がありました。
研究者たちがシャラ氏の脳をMRIで調べたところ左の海馬に1cmほどの円形の病変と軽度の脳委縮が確認されました。
以上の結果は、相貌変形視は何らかの脳への(特に顔認識や視覚領域への)損傷がキッカケになっている可能性を示します。
次ページでは相貌変形視の治療につながるヒントを紹介します。
今回の研究の中心となったシャラ氏について、症状を改善するヒントが見つかったとCNNが報じています。
シャラ氏の場合、実際の人間の顔を見たときのみ歪みが発生し、二次元的な媒体では普通にみることができます。
そこでシャラ氏の支援者であるキャサリン・モリス氏はある日、光の波長が相貌変形視の発生に関与しているのではないかと疑いました。
モリス氏は長年視覚障害者の学校で働いてきており、視覚障害者たちが感じる光によって、彼らの症状が微妙に変化することを知っていたからです。
モリス氏はさまざまな光の条件で、シャラ氏の症状を確認しました。
すると赤い光を使うとシャラ氏の相貌変形視の症状が激しくなり、逆に緑色の光では歪みが消滅することが明らかになりました。
緑の光のなかで症状が消え去ったことを知ると、シャラ氏は(感動のあまり)赤ん坊のように泣き叫びました。
その後モリス氏は実験結果を活用するために、シャラ氏に視界が緑色になる色付きメガネを送りました。
シャラ氏はそのメガネを使って孫たちと初めて対面すると、孫たちの顔には歪みがなく、普通に見えたと述べています。
シャラ氏は現在、研究者たちと一緒に、相貌変形視を矯正するメガネの開発を行っており、緑色のメガネがシャラ氏だけではなく、他の相貌変形視の患者にも同様の効果があることがわかりました。
なぜ赤色が悪化させ、緑色が治すかを理解できれば、相貌変形視の治療薬開発に大きな一歩となるでしょう。
参考文献
If Faces Appear Distorted, You Could Have This Condition
https://home.dartmouth.edu/news/2024/03/if-faces-appear-distorted-you-could-have-condition
元論文
Visualising facial distortions in prosopometamorphopsia
https://doi.org/10.1016/S0140-6736(24)00136-3
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。