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今でこそ氷は冷凍庫さえあれば簡単に手に入るものであり、そこまで貴重なものであるという印象はありません。
しかし電気のなかった時代は氷を簡単に貯蔵できるはずがなく、夏場に氷を使うなんてことは非常に難しかったはずです。
ところが、古い時代でも夏場に氷を使うことができなかったわけではありません。氷室と呼ばれる自然の力だけで氷や雪を貯蔵可能な施設があり、そこで冬場に集めた氷を保管して夏場に利用するという試みがされていました。
氷室は自然が豊かな場所の場合は洞窟や横穴に作られ、そうでない場所の場合は穴を掘って地下に作られました。
当然そういった施設は一般庶民が利用可能なものではありませんが、貴族は自身が住んでいる城や屋敷に穴を掘って氷室を作り、冬に切り出してきた大きな氷の塊をそこに貯蔵していたのです。
氷室の中は気化熱などによって外気よりも涼しいため、この方法で夏まで氷を保存することができました。
ではどれくらい昔から、氷室の利用はあったのでしょうか?
最古の氷利用の記録は、約4000年前に遡ります。
古代シュメール都市マリで発掘された楔形文字の粘土板には、マリを支配していた勢力によって都市の近くに氷室(ひむろ)が設置され、ワインの冷却に氷が利用されたことが記されています。
その後、中東やヨーロッパに、夏期に氷や雪を利用する文化が広がっていきました。
寒冷地では氷を採取し、氷室で貯蔵して夏期に利用する方法が取られました。
一方自然に氷が発生しない温暖な地域では、氷を運搬して利用する方法が取られていたのです。
中国でも、紀元前12世紀の周王朝の『周礼』に氷を司る役所が設けられ、冬に採取した氷が春に宮廷で利用されるシステムが確立されていきました。
秦の時代の宮殿跡からは巨大な氷室の遺構が見つかっており、当時から氷の利用が重要視されていたことが窺えます。
中国でも西洋諸国と同じように氷は酒を冷やすためなどに使われていましたが、遺体を冷やして腐らないようにするためにも使われていました。
このように氷の利用は、人類の生活や文化に深く根付いており、その歴史は技術革新や地域の気候条件に応じて変化してきたといえます。
それでは日本では、いつ頃から氷が利用されてきたのでしょうか?
考古学的な資料や文書からは、8世紀の平城京では朝廷が氷の調達を行っていたことが明らかになっています。
奈良・平安時代の大和朝廷における氷室運用と氷利用のシステムについては、平安時代中期の法典『延喜式』に詳細が記されており、畿内5カ国(現在の奈良県・大阪府と京都府南部)に10カ所の官営氷室が設けられ、役人によって管理されていたとされます。
このシステムでは、天皇や各部署への氷の供給量や期間が定められ、宮中での儀式や冷却、喪礼などに使用されていたのです。
この氷室は冬場に出来た天然の氷を洞窟や穴などに入れた上で、小屋を建てて覆って保存しました。
また日本ではヨーロッパや中国のような氷室だけではなく、氷雪の上に藁などのかぶせただけの雪室もありました。
雪室では雪を盛り上げて塩をまいて固めることによって雪山を作り、藁などを何重にも覆うことによって、雪室が夏まで持つようにしていました。
この雪室は冬に多く雪が降らないと作ることができないため、豪雪地帯でよく利用されたようです。
しかし様々な設備が必要な氷室と違って雪と藁さえあれば作ることができるということもあり、豪雪地帯に住んでいる庶民はしばしば雪室を作って魚などを保存していたのです。
それでも夏場の氷は貴重品であり、先述した豪雪地帯の庶民を除くと、近代になるまで夏場に氷を使うことができるのは朝廷や貴族をはじめとする権力者だけでした。
このような氷室は関東や九州北部地域でも見られ、地方の役所でも氷室の運用が行われていた可能性が示唆されています。
宮中での氷の行事的利用に関しては宮中の貴族や仕えていた役人たちに六月一日に氷が配られていたことが示されています。
また歌人たちの作品にも氷室や氷の描写が見られており、当時の貴族社会において氷が一般的なものとなっていたことが窺えます。
鎌倉時代に入ると、貴族だけでなく武家も氷を使うようになり、幕府も氷室を構えて夏期の冷却用途に利用したり、富士山から雪を取り寄せて儀式や行事に使用したりしていました。
しかし、室町時代になると国内の治安が悪化したこともあってか氷の供給は減少し、ついには戦国時代には官営氷室の運用が停止したのです。
そして朝廷では氷の代わりに氷餅(餅を水に浸して凍らせたものを寒風に晒して乾燥させたもの)などが提供されるようになりました。
室町後期から続いた戦国時代において、先述したように官営氷室による氷利用システムが機能不全となっていたこともあり、氷利用が衰微していました。
しかし、次の時代の覇者である徳川家康に対して公家が伊吹山からの氷を献上したことにより、氷利用が再び行われるようになったのです。
家康は先述した鎌倉時代の事例をまねて駿府城にて富士山の雪を家臣たちに配りました。
その後しばらくの間は氷を他の場所から運んでくるというスタイルが続きましたが、1657年の江戸大火後には江戸城内に氷室が設けられ、安定的な氷の供給が確保されました。
さらに、江戸時代には六月一日を「氷室の日」として、宮中や武家社会での氷餅や雪の献上が行われました。
例えば幕府は、先述した江戸城内の氷室で作られた氷を家臣たちに配っていたのです。
俳句にも氷室や氷餅を詠んだものがあり、17世紀後半以降には「氷室の氷」を食べることのできない庶民たちも真似して「かきもち(正月の鏡餅を砕き欠いてつくる餅)」を食べるという文化が生まれました。
このように、江戸時代には徳川将軍家を中心に、六月一日の氷室の日が重要な行事として行われ、広く認識されていきました。
現在でも6月1日は氷の日として知られており、その日にかき氷が食べられたりしています。
参考文献
北陸大学機関リポジトリ (nii.ac.jp)
https://hokuriku.repo.nii.ac.jp/records/683
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。