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現代社会にて恐れられている感染症は数多くありますが、近代以前においては天然痘が最も恐れられていた感染症でした。
天然痘は強い感染力をもち、感染したら20~50%の人が命を落とします。
また運よく回復したとしても顔などにあばたを残すことになり、それゆえ多くの人から恐れられていました。
そのようなこともあって人類と感染症の歴史において、天然痘との戦いは非常に大きな比重を占めていたのです。
天然痘を防ぐための方法には古今東西様々なものがありましたが、現代のワクチンに似た手法は古代にもあり、例えばエジプトでは天然痘から回復した人に看護を担当させて、これ以上の天然痘の拡散を防いでいました。
またインドでは天然痘の患者の着物で子供を包んで抗体を付けようとしていました。
中国ではかさぶたの粉末を吸引したり、乾燥末を注射したりしていたのです。
この手法はやがてヨーロッパへと伝わり、1710年にはウェールズの王子が東方の手法でかさぶたの粉末を受け、これが種痘と呼ばれました。
これらは明確に理解されていなくとも、古くから人類が免疫の概念について意識していたことを示しており、こうした歴史的な実践が病気の予防法を模索するヒントになり、ワクチンの基礎となったのです。
やがて18世紀末になると、エドワード・ジェンナーによってこれらの手法を科学的に明らかにしようという試みが起こりました。
彼が住んでいた地方では牛飼いや乳搾りする女性は日常の仕事の中で牛痘(牛痘ウイルス感染を原因とする感染症、人間にも感染するが軽症で済む)にかかっているので天然痘に罹患しないことが知られており、彼はこれに着目したのです。
彼は実験にて牛痘の接種が天然痘の予防に有効であることを発見し、1800年に結果を論文にまとめました。
先述したようにジェンナーの研究以前もワクチンに似た概念はありましたが、それらの方法はリスクが高く、接種の後に命を落とす人も決して少なくはなかったのです。
しかしジェンナーの牛痘接種法は死亡例がほとんど見られず、それ故世界中に広まりました。
ジェンナーの種痘法は感染症に積極的に介入して疾患の発症を抑えた初めての偉業とされ、医学の歴史において特に偉大な発見とされています。
しかしジェンナーの開発したワクチンがすぐに世の中に受け入れられたわけではありません。
ジェンナーは自ら開発した種痘に関する論文を当時のロンドン王立協会に提出しましたが、「種痘は危険」として却下され、自費で論文を発表しなければなりませんでした。
同時に、多くのロンドンの医師たちは、ジェンナーの天然痘ワクチンの安全性に疑念を抱いたのです。
またワクチンの元が牛の天然痘ウイルスであることから、「ワクチンを打った子供は牛になる」との非難が広まり、ワクチンへの反対が強まりました。
さらに風刺画家のジェイムズ・ギルレイは1802年に「新しい予防接種法の素晴らしい効果」と題する風刺画を描き、種痘を受けると牛になるという誤ったイメージを広めました。
なお、当然ながらワクチンを打って牛になるという現象は一切起こらなかったことは確認されています。
これらの反対意見や風刺は、当時の医学界においてジェンナーの種痘法が受け入れられるまでに多くの誤解と困難を生んでいたことを示しています。
その後ある程度ワクチン接種が進んだことによって天然痘が激減すると、今度は天然痘ワクチンの副反応が問題になっていきました。
天然痘ワクチンは10万人から50万人に1人の割合で脳炎が発症し、うち40%が命を落とすことになりました。
反ワクチン論者はこのことを理由にして天然痘ワクチンに反対する運動を行い、それにより再び天然痘の感染者が増えるということもあったのです。
なお天然痘ワクチンは様々な反ワクチン運動の影響を受けながらも世界中で接種が進められていきました。
そして1980年にはWHOが「地球上からの天然痘根絶宣言」を発し、天然痘は人類がはじめて根絶に成功した病気となったのです。
先述したような反ワクチン運動は現代の私たちからすればバカバカしく、信ぴょう性に欠けるものに見えるかもしれません。
しかし医療が高度に発展した現代ですら、ワクチンに関する荒唐無稽なデマや流言が飛び交っていることを考えると、人類史上初めてのワクチンに対してこのようなデマや流言が飛び交ったことはある種の必然なのかもしれません。
参考文献
2016|定期刊行物|帝京短期大学 (teikyo-jc.ac.jp)
https://www.teikyo-jc.ac.jp/periodicals_category/2016#content-fill
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。