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オオバロニアという名前を聞いたことがあるでしょうか?
この緑藻は、その大きさとは裏腹に、単細胞生物の一つです。
普通1~数センチメートルの範囲で成長するこの生物は、時には5cmを超える大きさにもなります。
その色彩は草のような緑から濃い緑に変わり、中には黒っぽい色を示すものもあり、その見た目は光合成を行う葉緑体の含有量や種類によって異なります。
ツルツルして見えるのは、全体がセルロース性の細胞壁で覆われているためです。
またオオバロニアのセルロースは陸上植物とは異なる三列の直線的な配置を取っています。
これにより、太くて丈夫な繊維が形成され、海での物理的保護と構造的安定性を保っています。
その細胞壁は非常に堅く、高い反射率を持ち、ときには水中で真珠色や銀色がかった青色を示すこともあります。
そのためオオバロニアは古くから「船乗りの目玉」と呼ばれていました。
しかし、この藻類の真の魅力はその内部構造にあります。
バロニア属の中心部には、しばしば細胞の大部分を占める大きな中央液胞が存在します。
この液胞は細胞内の水分や栄養素を保持し、細胞の体積を拡大させることができます。
液胞が大きくなることで、細胞全体のサイズが拡大し、それによって巨大なサイズを維持することが可能になるのです。
他にもこの液胞は細胞内の圧力調節や物質輸送に不可欠な役割を果たしていると考えられています。
中心部の周りの細胞質層は、多数の細胞質からなる区域に分かれており、それぞれの区域内部には多数の核と葉緑体が含まれています。
オオバロニアを国に例えるならば、各細胞質区域は都道府県に相当していると言えるでしょう。
都道府県(細胞質区画)には領域があるものの、それをスッポリ覆う壁(細胞壁)は存在しません。
またこれらの区域は微小管に支えられた細胞質の橋によって相互接続され、複数の核を持つこの巨大な単細胞生物の効率的な機能を支えています。
こちらは都道府県を結ぶ物流のための高速道路と言えるでしょう。
オオバロニアは体内を複数の細胞質区域に分割し、それぞれに複数の核を内包すると同時に互いに連絡し合うことで、巨大な体の生命活動を支えているのです。
しかしそうなると気になる点が浮かびます。
単細胞生物は細胞分裂によって増殖します。
通常の細胞分裂では、細胞内部の繊維(アクチンなど)によって締め付けられて「くびれ」が発生し、分割されていきます。
しかしこの方法は細胞が柔らかく、小さいからこそ可能なのです。
オオバロニアほどのサイズ(数十グラム)となると、通常の方法で「くびれ」を作って分裂するのは困難です。
オオバロニアはどのようにして自己増殖を行っているのでしょうか?
オオバロニアは、その巨大なサイズと単細胞の特性から、細胞分裂の方法について特異な戦略を採用しています。
先に述べたように、通常の細胞分裂では、細胞が「くびれ」を作って二つに分かれるのが一般的ですが、バロニアの場合、その巨大なサイズと複雑な内部構造により、このようなプロセスは実質的に不可能です。
そのためオオバロニアでは、細胞分裂は細胞の表面付近でのみ起こります。
細胞質区画から最低限、1個の核と6個の葉緑体を含んだものが分離して、遊走能力をもった個体が形成されます。
この遊走能力をもった(チビ)バロニアは、最外殻に存在する細胞壁の穴から放出されて旅立っていきます。
ただ現時点で、この(チビ)バロニアがそのまま大人のバロニアになるのか、配偶子として他の(チビ)バロニアと合体するのかは不明です。
もし(チビ)バロニアが他の(チビ)バロニアと合体する生殖を行う場合、単細胞生物でありながら有性生殖するという、極めて興味深い事例の1つとなるでしょう。
一方、これまでの研究によりオオバロニアには別の増え方が存在することが知られています。
バロニアが発見されてから100年ほどがたちますが、興味を惹かれた多くの科学者たちによって「解剖」が行われてきました。
するとバロニアが破裂した場合、内部の細胞質区域が水中に放出され、それが次第に球形に変化し、やがて大人のオオバロニアと同じように細胞壁で覆われていくことが判明しました。
つまりオオバロニア内部にある細胞質区画の1つ1つが、オオバロニア本体へと成長できる能力があるわけです。
そのためもしオオバロニアを駆除しようとするなら、指ですり潰すのはやめたほうがいいでしょう。
そんなことをすれば、内部に無数に存在する細胞質区画がぶちまけられ、やがて水槽内部はオオバロニアだらけになってしまいます。
(※なお余談ですが、ホウキボシなどのヒトデは全ての足をもいで海に捨てても、バラした足の数+1(中央部)だけ新たな個体として再生できることが知られています。なのでもし再生力に富んだ種を駆除したいなら中途半端に分解せず水から引き揚げて乾燥させ粉みじんにすべきです)
現在、細胞サイズが大きく独特の機能があるオオバロニアは、細胞生物学者や電気生理学者によって、イオン輸送、セルロースの結晶化、膜形成などを理解する研究材料として用いられています。
そのためオオバロニアを含むバロニアたちに関する論文はここ100年の間に2000本以上が発表されています。
しかしバロニアには未だ解明されていない謎が多く存在します。
たとえば「オオバロニアを食べる」ことが知られている海洋生物も、知られていません。
人間の食用として適したバロニア属があるのかも不明です。
またオオバロニアはサンゴなどの隙間に生息していることが知られていますが、なぜそこを選んでいるのか、また周囲の生物にどんな影響を与えているのかも不明となっています。
もし生物学者を目指そうとしている人がいるなら、オオバロニアについての論文作成を狙ってみるといいでしょう。
参考文献
This Eyeball-Looking Thing Is One of The Biggest Single-Celled Organisms
https://www.sciencealert.com/this-ball-of-algae-is-one-of-the-biggest-single-celled-organisms
元論文
When is a cell not a cell? A theory relating coenocytic structure to the unusual electrophysiology of Ventricaria ventricosa (Valonia ventricosa)
https://link.springer.com/article/10.1007/s00709-003-0032-4
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
海沼 賢: 以前はKAIN名義で記事投稿をしていましたが、現在はナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。