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生存には学習が不可欠です。
「過去の経験をもとに今の行動を変える」という学習能力を持たなければ、動物たちは無駄な動きで体力を浪費し続け、繰り返し自分の身を危険な状態に晒すことになります。
厳しい自然界において学習能力を持たない動物が生き残るのは極めて困難です。
実際これまでの研究で、人間や魚のような脊椎動物だけでなく、昆虫、節足動物、タコやイカなどの頭足類に至るまで、幅広い種において学習能力が確認されています。
パブロフの犬で知られる実験では、ベルの音がするとエサが出されると犬に学ばせれば、ベルの音を聞いただけで犬はよだれを垂らすようになります。
またミツバチを使った実験でも、赤いマークがついたエサ場に甘い砂糖水が置いてあると学習させれば、エサ場を移動したりエサの存在が確認できていない状況でも、赤いマークを目指して一直線に飛んでくるようになります。
このようにある条件と別の条件を結びつけることは学習の中でも「連想学習」と呼ばれるタイプとなっています。
連想学習を行うには2つの条件を「記憶」するだけでなく、その2つを1つのものとして結びつける「統合」と呼ばれる情報処理が必要です。
またこれまで、記憶や情報を統合処理するのは脳の専売特許であり、たとえばクラゲのように「そもそも脳を持たない動物」には不可能だと考えられていました。
(※ショウジョウバエやミツバチ、線虫、ナメクジ、プラナリアも脳を持っています)
クラゲにも泳ぐための筋肉があり、筋肉に指令を送る神経系が存在することは知られています。
ただクラゲの神経系は体全体にに分散しており、脳と呼べる部分は存在しません。
常識的な生物学者なら「脳がない生物に高度な学習能力があるはずがない」と言うでしょう。
しかし常識には2種類あります。
1つは多くの実証実験によって繰り返し確認されたもの。
もう1つは「当然そうなるだろう」と類推だけがされているものです。
そしてクラゲの学習能力は、後者の「当たり前」の概念に縛られていました。
そこで今回、コペンハーゲン大学の研究者たちはクラゲの学習能力を確かめる、常識破りの試みに挑みました。
白羽の矢が立てられたのはマングローブが茂る場所で生活するハコクラゲ(T.cystophora)と呼ばれる、小指の先ほどの小さなクラゲです。
実験ではまず、ハコクラゲが上の図のようにしま模様の壁を持つ円柱状の水槽に入れられました。
するとハコクラゲは壁に描かれたしま模様をマングローブの根と勘違いして、通り抜けようとします。
マングローブの根が密集している場所はハコクラゲの主食である小さな節足動物が多く生息しているからです。
(当然ながら)ハコクラゲの試みは、水槽の壁に激突して失敗に終わります。
しかし実験開始から7.5分後、ハコクラゲの動きに変化が現れはじめ、壁に激突する「無駄」な動きをしなくなり、水槽の中央付近で旋回し続けるようになりました。
ハコクラゲに「過去の経験をもとに今の行動を変える」という学習が起きたのです。
そしてハコクラゲの行った学習は「シマ模様が見える場所は通れない」という視覚情報を元に通行可能性を連想する、連想学習と呼ばれるタイプの学習でした。
またクラゲの7.5分という学習速度は、高度な脳を持つ動物とほぼ同等でした。
この結果は、脳がないクラゲのような動物でも高度な学習が、脳を持つ動物と同じ速度で可能なことを示しています。
では、いったいクラゲたちは連想学習を体のどこで行っていたのでしょうか?
研究者たちが目をつけたのは、クラゲの「目」でした。
クラゲは一見すると目や耳や鼻など感覚器官を持っていないように思えますが、実は体の各所に視覚情報を感知する「目」のような構造が存在します。
このクラゲの目は「ロパリア」と呼ばれており、クラゲが光や空間の上下を感知したり、遊泳方向の制御にもかかわっています。
ハコクラゲにはこのロパリアが6カ所に存在しており、マングローブの根をよけながら泳ぐことが可能になっています。
研究者たちはこのロパリアが学習を担っている可能性があると考え、摘出して調査しました。
クラゲの目とも言えるロパリアは、本当に学習機能を司っているのか?
謎を解明するため研究者たちはまず、ハコクラゲのロパリアを摘出して台の上に固定し、スクリーンに映るしま模様の変化を見てもらいました。
この実験では生きた状態のハコクラゲが体験した、しま模様の水槽を、摘出したロパリアに経験してもらうことを目的としています。
ロパリアが見ているスクリーンでは、しま模様をだんだん大きくしていく、つまり壁に近づいていくものの、途中で映像が変化しなくなって、通れなくなっている様子が再現されました。
SFでしばしば培養液に浮かぶ脳に視覚情報を提供して仮想空間を体験させる場面が描かれます。
実験ではそれに似た状態が作られ、クラゲのロパリアに壁に衝突する風景を何度も見させるのです。
するとわずか5分ほどの訓練で、スクリーンのしま模様が大きくなると、ロパリアから遊泳信号を強化する神経パルスが送られ、壁を回避するため旋回しようとすることが観察されました。
この結果はロパリアが「学習が行われる場所」であることを示します。
ロパリアは視覚や空間的位置を把握する感覚器官、筋肉の動きを制御する司令塔、そして学習が行われる場所という、複数の機能を併せ持っていたのです。
脳ではない神経系でも学習が起こる、という結果は非常に重要です。
私たちは脳ができて、その後学習がはじまったと考えていました。
しかし研究結果は、神経系そのものが学習機能を元々有していることを示しています。
またこの発見は、神経の進化と学習の本質について全く新しい洞察を提供します。
脳がなくても高度な学習が成り立つなら、高度な意思や高度な思考も同じようなことが言えるのでしょうか?
研究者たちは今後ロパリアの内部構造を調査し、学習がどのように成立するかを調べていく予定です。
参考文献
Jellyfish shown to learn from past experience for the first time https://www.eurekalert.org/news-releases/1001636?元論文
Associative learning in the box jellyfish Tripedalia cystophora https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(23)01136-3?_returnURL=https%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0960982223011363%3Fshowall%3Dtrue