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この影は「人影の石」や「死の人影」と呼ばれています。
また40代以降の方々のなかには平和教育を通して、原爆の激しい熱によって「体が一瞬で蒸発してしまい影だけが張り付いてしまった」といった表現を記憶している方もいるでしょう。
広島市が作成した原爆にかんする資料にも「爆心地の半径500m以内の地域では人々は蒸発的即死」と記載されています。
広島と長崎に点在する人影の石が原爆の悲劇を伝える貴重な資料であることは間違いありません。
しかし人間が一瞬で蒸発したり、背後の石に炭化した人間の残骸が張り付いたと考えるのは、物理学的には正しい解釈ではありません。
では、これらの影はどうして生まれたのでしょうか?
目次
核爆発の熱線を浴びた物体や人々の影が、歩道や建物の表面に残されているという事実は、多くの人々にとって衝撃的であり、広島と長崎に起きた悲劇を今に伝える歴史的資料となっています。
ただこの現象がどのようにして起こったのかを理解するためには、核爆発の時に放出される強烈な光や熱、そしてその影響を受けた物質の化学的変化を考慮に入れる必要があります。
原子爆弾は核分裂によって発生するエネルギーを兵器化したものです。
また爆発のエネルギーが非常に大きくなるのは、連鎖的な核反応が起こっているからです。
ドミノの一つ一つを同位体ウラン235やプルトニウム239のような重原子の核とみなすと、あるドミノ(原子核)を指でつつく(中性子で衝突させる)と、それが倒れて隣のドミノに当たり、その次のドミノもまた倒れて…という連鎖的な反応が始まるのです。
そして核分裂では、この1つ1つのドミノが倒れる瞬間に、驚くほどのエネルギーがに放出されるのです。
核爆発の瞬間に放出される放射線や熱は非常に強烈であり、これに晒されると生物組織や物質は即座にダメージを受けることが知られています。
しかし、物体や人間の身体は、ある程度、これらの放射線や熱を吸収または遮蔽する能力があります。
このため、人間が直接放射線や熱の進行を遮る場所にいると、その背後の物質は放射線や熱の直撃を受けにくくなります。
一方、人間による遮蔽がなかった場所では核爆発の放射線や熱に直接さらされ、塗装剤などの化合物が熱分解による「漂白効果」を受けることになります。
つまり「人の影」となった部分は核爆発の放射線や熱からある程度守られた部分であり、影の色は当時の塗装などの色を残した場所であると言えます。
実際、2000年に奈良国立文化財研究所によって行われた調査では、影の部分は炭化した人間が染みついたものではなく、塗装剤のような付着物であったことが示されました。
「人の影」にまつわるもう1つの問題は「人間の蒸発」です。
現在になっても多くの人々が「人の影」を残した人々は、原子爆弾の強烈な熱線によって一瞬で蒸発してしまったと考えています。
同様の認識は日本だけでなく、海外の人々も「原爆の閃光とともに人間が影と煙だけを残して蒸発してしまう」というイメージを持っているようです。
確かに核実験の様子を記録したビデオでは、バスの塗料が溶けて一瞬で黒い煙になる様子が映っています。
また核戦争を描いた映像作品などでも、人間が一瞬で蒸発してしまう様子が描かれることが何度かありました(※「ヒロシマ:BBC第二次世界大戦の歴史」など)
しかし人間の場合、放射線や高熱により体の一部が燃えたとしても、数十キロの生体組織が全て一瞬で「気化」することはありません。
というのも原爆で発生する熱の持続時間は瞬間的なものだからです。
動物の肉を一瞬だけ高温にさらしても内部が生焼けであるように、いくら高温でも一瞬で全身を気化させるのは困難です。
爆発の衝撃波は熱線よりも遅れて届きます。
そのため「人の影」を作った人間の姿が見当たらないのは、熱線が影を作ったあと爆風によって吹き飛ばされたか、遺体収容時に運びだされたためと考えられます。
とはいえ被害者が生存できたわけではないでしょう。原爆が生み出した凄惨な被害の現実は変わりません。
しかし科学的な視点で見ると、原爆が残した人影は少し違った解釈で見えてくるかもしれません。
参考文献
Why did the atomic bomb dropped on Hiroshima leave shadows of people etched on sidewalks?