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山の行楽地に出掛けるとよく見かけるローラー形式の滑り台。
この遊具を大人になってから滑ったとき、子供の頃より速度が出て怖いと感じたことは無いでしょうか?
もしくは子供を先に滑らせて、後から自分が滑ったとき、子供に追いついてぶつかってしまったという経験を持つ人もいるかもしれません。
実際、今回の研究者である村田教授がそうした経験をしたといいます。
確かに筆者も甥と滑り台で遊んでいて、同じ経験をしました。
こうした現象についてほとんどの人は、体重が重くなれば速く滑るのは直感的になにも不思議なことではないと思うかもしれません。
しかし、先にも述べた通り、実際には丸めたティッシュとスマホをベッドに落とせば同時に布団に着地します。
中学校の理科でも「重いものと軽いもの、どちらも落下する速度は変わらない」と教わったはずです。
重いものと軽いものの落下速度が同じという問題は、ガリレオ・ガリレイのピサの斜塔の実験としても有名です。
だとすると、私たちが滑り台で遊んでいて感じた重い方が早く滑るという感覚はなんなのでしょうか?
これは物理学の常識と矛盾しているように思えます。どちらかの主張が間違っているのでしょうか?
こうした疑問から、今回の研究チームはローラ式滑り台を滑る物体の速度を精密に比較するという実験を行ったのです。
しかしまず、具体的な実験の話に入る前に、「なぜ重いモノと軽いモノで、落下速度が同じになるのか」という事実がそもそも納得行かないという人のために、なぜそんなことが起きるのかおさらいしておきましょう。
この問題について考えるには「重さ」と「質量」の言葉の違いはっきりさせておく必要があります。
どちらも同じ意味のようのに感じますが、物理的に表している性質は全く異なります。
「質量」とは、モノの動きにくさを示した値です。
例えば何十キロもある重い鉄球と、軽いバスケットボールを移動させようとした場合、鉄球の方がはるかに移動させることが大変だということは理解できると思います。
多くの人はこれが地球の重力のせいだと考えるかもしれませんが、実際は重力のない宇宙空間へ行っても、バスケットボールの方が簡単に移動できて、鉄球を移動させるのは大変なのです。
これは質量の大きい物体は重力の作用に関係なく、空間から動きにくいという性質があることを示しています。
「重さ」とは、ある質量に働く重力(力)の大きさを示す値です。質量の大きいモノほど重力は強く作用します。これは説明するまでもなく重いものが地球に強く引っ張られるということから誰もが感覚的に理解していることでしょう。
ではこの情報を踏まえて丸めたティッシュとスマホを同時に落としたときのことを考えてみましょう。
丸めたティッシュは軽いため、地球から引っ張られる力は当然弱くなります。しかし質量も少ないため小さな力だけで簡単に大きく移動してしまいます。
一方スマホは重いので、地球から強く引っ張られます。しかし、質量も大きいため、空間から動きにくくなり移動させるにはより強い力が必要になります。
つまり、質量が大きい程、「動きにくさ」も大きいですが、その分、重力も全く同じだけ強くなるため、動きにくさと重力の作用が相殺して、重たいものでも、軽いものでも、落としたときの速度(加速度)が一定になるのです。
では滑り台の場合はどうなるでしょか?
モノが滑るときに働く力に着目してみましょう。下の図はモノが何かの面と接触していて、一方向に押す力を加えているイメージです。
モノを押す力を増やしていっても、モノが静止している間は、押す力と釣り合う力でモノには常に摩擦力が働いている状態です。静止しているとき発生する摩擦力を静止摩擦力と言います。
物体を押して移動させる際はある程度力を込めないと動き出しませんが、これは押す力が静止摩擦力を上回らないと物体が滑らないためです。
また物体は動き出した後も、も接触面から摩擦力(動摩擦力)を受け続けます。
椅子をある一定以上の力で引っ張らないと、椅子は引けませんよね。
この摩擦力は質量によって変化し、速度に依らず一定です。
重いモノは軽いものよりも大きな力で摩擦力を受けますが、重い分、重力も大きく受けます。
そうなると結局、質量でも摩擦でも動きにくさは重さに応じた引力に相殺され、重いモノと軽いモノで「速度(加速度)」は変わらない結果になるはずです。
滑る台の角度を徐々に大きくしていくと、最終的にはピサの斜塔の実験と同じ、垂直の自由落下運動とみなせてしまうからです。
ここまでの物理学の基礎を聞く限り、重いものと軽いもので滑り台を滑る速度は変わらないと予想されます。
しかし立教大学の村田次郎教授と塩田将基さんが行った研究では、重い人ほど滑り台を速く滑る事が確認されたのです。
実験では同じ大きさの物体を滑り台で滑らせ、画像処理型変位計測技術を使用して物体の運動を詳細に観測しました。
画像処理型変位計測技術とは、画像内で物体を画素(ピクセル)単位で追跡し、動画のフレーム(撮影の時間間隔)毎に物体の移動距離を算出し、速度、加速度を求めることができる技術です。
以下の表は全て同じ段ボール(19.4 cm × 33.5 cm × 31.2 cm)で、中に入れた重りと、段ボールの滑る進行方向面の面積の組み合わせを示しています。番号Gは極端に重い場合として学生さんが滑った場合を示しています。
下の図は横軸に時間、縦軸に滑り降りた距離を表したグラフで、上の表の条件でローラー式滑り台を滑らせた結果を示しています。
図の線の傾きは「時間に対する変位の割合」=「速度」を表しています。
この図の左側が、様々な重さの物体を滑らせた結果です。これを見ると、質量が大きいほど傾きが大きくなっているのがわかります。
これはつまり、重いものほど速く滑り台を滑っていたということです。これを見るとやはり滑り台で重い人ほど速く滑る体感は間違っていなかったようですね。
右の図は、滑らせる物体の質量は統一して、それ以外の条件を変えた場合にどうなるか比較した実験結果です。
これは表のC、E、Fを比較しています。
この結果を見ると、空気抵抗、底面積(摩擦抵抗を受ける面)が変わったとしても、質量が変わらなければ滑る速度は変わらない事が確認できます。
つまり純粋に重さのみの影響で滑り台を滑る物体の速度は決まっているようです。
物体は、落ちる場合も滑る場合も徐々に加速していきますが、最終的にある速さ以上は加速せず、一定の速さで移動するようになります。これを終端速度といいます。
興味深いことに、滑り台では重い物体ほどその終端速度が大きくなることが明らかになりました。
この研究結果は、通常は「速度や質量に依らず一定値を取る」と習う動摩擦係数が、実際には「速度や質量に依存している」可能性を示唆しています。
重い人ほど滑り台を速く滑るのは気のせいなどではないことは明らかとなり、その理由はどうやら「摩擦係数が速度や質量に依存しているから」と考えられるのです。
しかし、この現象が確認できるのは、ローラー式滑り台に限定されている可能性があります。
以下の図3は公園でよく目にする一般的な金属板の滑り台を対象に、図1で示した実験と同じ計測を試みた結果です。
この結果を見ると、実験した範囲内の重さでは、特に物体の滑る速度に大きな差は確認できませんでした。これは動摩擦係数が一定である事と矛盾しません。
この結果は私たちを混乱させます。結局のところ動摩擦係数は速度や質量に依存しているのでしょうか? していないのでしょうか?
少なくとも、ローラー式では動摩擦係数が速度や質量によって変化する可能性がある事は確かなようです。
しかし、ローラー式の滑り台は単純な摩擦の話では済まないことに注意が必要です。
本来はローラーの回転運動のエネルギーを考慮したり、回転運動に伴い発散される熱や音といったエネルギーのロスも考慮する必要があります。
金属板式滑り台の実験に関しても、長い距離を滑れるものや、石材製など違うタイプの滑り台で試せば興味深い結果が得られる可能性が考えられそうです。
滑り台を滑る速度と聞くと、かなり単純な物理実験のように感じますが、今回の実験は実際には非常に複雑な物理現象の問題のようです。
この研究成果は日本物理教育学会の学会誌である『物理教育』誌に掲載されました。
今回の村田教授と塩田氏の研究は、物理で習う直感との差異を実験的に検証する、実践教育的な価値が高いものだと言えます。
この研究を応用できれば、滑り台の他にも「スキーやスノーボード」、「車や自転車のブレーキ」など、身近に溢れる摩擦と関わりのある現象に対して、さらに深い洞察を与えてくれるかもしれません。
例えば、スキーをしていても体重が重い人の方が明らかに加速が速い様に感じる事はありましたが、これも勘違いではなく、動摩擦力の質量依存性、速度依存性が一部に影響している可能性も考えられます。
摩擦の物理はまだまだよくわかっていない事が多いようです。今回使用された高精度に変位が図れる計測機器の進化によって、古くて新しい摩擦の物理学に新たな1ページが加わるかもしれません。
参考文献
すべり台の動摩擦係数の実測研究(プレプリント) https://jxiv.jst.go.jp/index.php/jxiv/preprint/view/236/ 大人の方が速い?「滑り台」の疑問を学生が謎とき https://www.rikkyo.ac.jp/news/2023/06/mknpps0000029u6d.html 世紀の謎「カーリングはなぜ曲がるか」を精密観測で解明 https://www.rikkyo.ac.jp/news/2022/09/mknpps0000020uo9.html元論文
すべり台の動摩擦係数の実測研究 https://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/71/2/71_95/_article/-char/ja/