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人間の消化器官サイズに個人差があることは、誰もが知る事実です。
今から100年以上前の1885年に行われた研究でも、人間の腸の相対的な長さにばらつきがあることを「発見した」とする記述があります。
しかし以降、消化器官のサイズ差にかんする情報は無視されるようになり、医学書にもサイズの「ばらつき」にかかわる情報が削除されるようになってしまいました。
現在、大学の医学部などで行われている解剖学の授業も主に教科書に従って目的の臓器や組織を探して記憶することが重視されており、個人間の差について着目されることはめったにありません。
学生時代にマウスやカエルの解剖を行った経験がある人も、主に着目したのは教科書のなかにある臓器の確認だったでしょう。
どんなに熱心な生徒でも、隣の班のカエルやマウスの腸を引きずり出して、長さや太さを測定するようなことは行っていなかったはずです。
医学教育の現場でも同じ硬直性が起きており、学生たちの注意は種々の臓器をいかに的確に観察するかに向けられています。
というのも、既存の医学では、いかに幅広い人々を治療するかに焦点を合わせた、一種の定型的な治療が重要視されているからです。
「どのお医者さんに診てもらっても一定の効果がある治療が受けられる」というのは医療において理想の1つです。
しかし近年になって注目されている個別化された医療はまた別の側面が重視されています。
個別化された医療では個人の遺伝的な特徴や身体的な特徴に合致する治療を目指すものであり、患者1人1人の生物学的な「ばらつき」が重視されます。
腸内細菌の研究はその最たるものの1つであり、腸内細菌叢の個人間のばらつきが体や精神にさまざまな違いをもたらすことが明らかにされてきました。
たとえば今年になって発表された研究では、虫垂は有益な微生物たちの貯蔵庫になっており、腸の虫垂が大きい人は下痢性疾患からより迅速かつ完全に回復することが示されています。
そうなると次に気になるのは、腸内細菌たちが住処とする腸にかんする個人間のばらつきです。
そこで今回、ノースカロライナ大学の研究者たちは寄贈された45体の遺体(男性24体、女性21体)に対して改めて消化器官の長さを測定しなおすことにしました。
(※消化器官の長さのような基本情報は医学の教科書にも記載されていますが、個人間のばらつきの強さにかんして言及されているものはほとんどありません)
すると個人間の臓器の相対的な大きさに、予想を超える大きなばらつきが確認されました。
たとえばある人は盲腸の長さが数cmしかありませんでしたが、他の人では小銭入れほどの大きさとなっていました。
また胆のうも全長も最小値が5.5cmであるのに対して最大値は12.5cmと2倍以上の差がみられました。
さきに述べた虫垂はさらにばらつきが強く最小の1.4cmから最大の12.7cmと実に9倍もの差がみられました。
(※一方で、器官の長さは身長や他の器官のサイズとはあまり関係がありませんでした。高身長の人が長い盲腸や胆のうを持つわけではなく、長い胆のうを持っていたからといって長い虫垂を持つわけではありませんでした)
これらの結果は、人間の臓器サイズのばらつきが容易に数倍となりえることを示します。
臓器サイズがここまで違う場合、同じ薬を飲んだ場合の反応も、異なる可能性が出てきます。
研究者たちも予想を超える臓器サイズのバリエーションは我々の健康にかんする問題にさまざまな影響を与え、最適な治療方法にも影響を与える可能性があると述べています。
また将来的に臓器サイズのばらつきの全容が解明できれば、よりよい治療に結びつくでしょう。
しかし今回の研究で最も興味深かったのは、小腸の長さの男女差でした。
人間の腸は主に栄養素の吸収を行う小腸と水分の吸収を行う大腸に別れています。
研究者たちが提供された死体の小腸の長さを測定したところ、男性は平均して4m強の長さがあったのに対して、女性の小腸はそれよりも30cmほど長いことが確認されました。
(※検体の数は合計で45体と比較的少数でしたが統計上有意な差がみられました)
小腸の長さは栄養の吸収効率に直接的に結びつく要素であり、小腸が長いほど食料から脂肪などの栄養素を多く摂取することが可能です。
そのため人類の小腸は可能な限り長くなるように設計されており、体の中で最も長い器官となっています。
一方、小腸の長さに男女間で差があるという事実は、人類が進化する過程で厳しい選択圧(食糧難)を受け、効率よく栄養をとれる「長い小腸」を女性に与える遺伝子を持つ個体だけが生き残ったことを示します。
このような変化は主に自然淘汰の過程で発生します。
たとえば、平穏な環境ではさまざまな小腸の長さを持つ個体が存在できますが、厳しい食糧難が何世代も続いて淘汰が進むと(沢山の死者が出ると)女性の小腸が長くなる遺伝子を持つ家系のみが生き残るようになったと考えられます。
また女性にのみ小腸が長くなるような変化が起きた背後には、女性には妊娠・出産・授乳という極めて多くの栄養を必要とするプロセスの存在が推測されます。
現在のように文明の恩恵を受けられなかった祖先は女性の腸が30cm長くなるかどうかが絶滅か生存をわける分水嶺になっていたのでしょう。
解剖学的な発見に人類の進化の秘密が隠されていたという事実は、非常に興味深いものと言えます。
研究者たちは今後観察サンプルを増やすことで、臓器サイズの個人差のより正確なデータが作成できると述べています。
もしかしたら数年後には、世界中の医学部が合同で、寄付された遺体の消化管の長さを測定するプロジェクトが始まっているかもしれません。
参考文献
Study Finds Significant Variation in Anatomy of Human Guts https://news.ncsu.edu/2023/04/variation-in-human-guts/元論文
Hidden diversity: comparative functional morphology of humans and other species https://peerj.com/articles/15148/