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ふっくらした赤ちゃんや子どもを見ると多くの人が「かわいい」と感じます。
子犬や子猫などに対しても同じことを思う人が多いでしょう。
これはベビースキーマと呼ばれる本能に組み込まれた脳の仕組みです。
ベビースキーマとは、1943年に動物行動学者コンラート・ローレンツが提唱したもので、「幼い動物が有する身体的特徴を持つものをかわいいと感じる仕組み」のことを指します。
「かわいい」と思うことで大人は庇護責任を刺激され、小さく幼い対象を守ろうとします。小さく幼い個体に「かわいい」と感じるのは、子を守る本能、つまり種をつないでいく本能というわけです。
ベビースキーマによって「かわいい」と判断される特徴には以下のようなものがあります。
どれも人間の赤ちゃんや子どもに該当するものですが、動物の子どもにも該当していますね。
動物の幼い個体もまた親や年長の個体に「かわいい=守りたい」と思われるためにこのような見た目になっているのでしょうか。
いずれにせよ動物にとっても人間にとっても「かわいい」の認識があまり変わらないのは興味深いことです。
先ほど紹介した条件をすべて満たしていなくても、ベビースキーマは発動します。
極端な話、1つしか満たしていなくても問題ありません。
やわらかく丸みを帯びたクッションに「かわいい」と感じたりするのはまさにその一例と言えるでしょう。
また、ベビースキーマの条件をデフォルメすることで「かわいい」と感じさせるものもあります。
例えば世界中の人々から「かわいい」と評されるキティちゃんには口がありません。
これはベビースキーマの特徴の一つである授乳期特有の口の小ささをデフォルメしたためだと考えられています。
このよう幅広く展開する「かわいい」という概念ですが、ベビースキーマが基軸にあるため「幼さ」「頼りなさ」「はかなさ」など「守ってあげたい」から派生したものが多くなっています。
しかし、日本では成人男性や大きな動物など本来「守る側」ではないものに「かわいい」を使うことが少なくありません。
また本来なら異形と認識され、守る対象にならないようなものに対しても「きもかわいい」「ぶさかわいい」などとして「かわいい」の枠に入れる傾向があります。
このような「かわいい」の大幅な派生は、実は日本独自のものです。
一体日本ではなぜこのように幅広い「かわいい」が存在しているのでしょうか?
成人男性や老人は一般的にベビースキーマを刺激する要素を持っていません。
しかし、その仕草や立ち振る舞いに対し「かわいい」という言葉がかけられるのはよくあることです。
そんな成人男性や老人に対する「かわいい」はベビースキーマによる「かわいくて守ってあげたい」という気持ちを誘発するものとは異なります。
「きもかわいい」や「ぶさかわいい」も同様です。
「きもかわいい」の代表格である「こびとづかん」ではカラフルで可愛らしいシルエットの小人が顔だけおじさんになっているという二面性によってヒットしました。
また、芋虫やカエルなど「かわいい」と思われることが少数派となるものに対しても「きもかわいい」という言葉が使われることがあります。
日本では「守ってあげたい」以外にも「見ていたい」「知りたい」「広めたい」といったポジティブな感情を伴ったときに「かわいい」という言葉が出てくるようです。
日本の「かわいい」文化についてさまざまな著書を持つ大阪大学の入戸野 宏氏は日本の「かわいい」は日本独自のもので英語の「cute」とは性質の異なる単語であると言います。
実際、海外でも日本の「かわいい」はそのままローマ字で「Kawaii」と表記されており、英語に訳すことができない概念だとわかります。
入戸野氏によると「cute」は対象の属性を指すのに対し、「Kawaii」はその対象を見たときに見た側に生まれる感情そのものを指しているのだと説明します。
たとえば「He is cute.」と言った場合には、「cute」は対象者である「彼」の属性なので彼はいつでも「かわいい」あるいは「チャーミング」な見た目であるということになります。
一方、日本語で「彼はかわいい」というとさまざまな意味があり、中にはもちろん英語と同じ意味合いもありますが、「見た目は完全にオジサンだけど背中の丸さがうちの飼い猫に似ててかわいい」といった意味もありえます。
つまり日本語の場合の「かわいい」は受け手に生まれる感情そのものなのです。
このような「かわいい」は日本にしかないため、英語圏の方々もそのまま「Kawaii」と言っているのですね。
入戸野氏は2009年に発表した論文の中で、日本の「かわいい」はベビースキーマによる「庇護」よりも範囲が広がっていると述べています。
ベビースキーマの「庇護」は種の存続に向けて幼体が生き残れるように「守る」ことを指しますが、現代の日本の「かわいい」では対象を「見続けたい」「共存したい」といった要求にまで広がってきていると考えられます。
本来「かわいい」の主体はあくまで見ている観察者の感覚にあり、観察者と対象者の関係性や、観察者の価値観によってそれが「かわいい」かどうかが決まります。
しかし現代の拡張された「かわいい」の概念は、対象にたいして「見続けたい」またはその対象と「共存したい」と感じる傾向があるようです。
このように「かわいい」の定義は広がり続けてきたのです。
しかし、自分の種族以外の幼体も「かわいい」と思ったり、最初はそのかわいさに気づいていなくても他人が「かわいい」と思うものまで「かわいい」と共感したりするのは何故なのでしょうか?
人が何かを「かわいい」と感じるのは本来自らの子孫を守るようにするためです。
しかし、万が一自分の子孫を「かわいい」と感じ取れず庇護できなければ子孫を残すことができなくなります。
これは「かわいい」という感情を抱く重要なメリットです。
また、自分以外の子孫を「かわいい」と感じるように、「かわいい」の対象が広がったとしても特にデメリットは生じません。
むしろコミュニティにおいて、共に子供を守っていく方向に意識が働いていくため、「かわいい」範囲は広がれば広がった分だけ、集団のリスクは少なくなります。
また、「かわいい」の対象を子供だけでなく、お年寄りに向けることも同様にその対象を守り共に生きていく意識を高めます。
このため、社会性を持つ人間の脳は「かわいい」と思える範囲が広くなる方向へと進化が進んだと考えられるです。
さらに「かわいい」は基本的に無害と判断した対象に向けられるため、それが共存の意思と連動していくパターンも考えられます。
例えば深海魚のような一見不気味な対象でも「かわいい」と表現されたり、間抜けな行動をする生き物を「かわいい」と表現することがありますが、これはその対象が無害だから共存したいという感覚で飛び出してくる可能性があります。
また単に無害な対象なら、料理などもかわいくて良いはずですが、料理自体を「かわいい」とはなかなか言いません。
しかしスイーツに対しては「かわいい」と表現されることがあります。ここには「見続けたい」という感情が絡んでいると推測できるようです。
そしてこれらの拡張された「見続けたい」「共存したい」という感覚から、「かわいさを広めたい」という欲求へ繋がるようになったと考えられます。
前述の入戸野氏は「『かわいい』と感じた人は高確率で笑顔になり、その「かわいい」笑顔を見た人々もまた笑顔になる」という現象を「かわいい」スパイラルとして紹介しています。
そう考えると「かわいい」対象がどんどん幅広くなっていくことは、人間の幸福度を上げることにもつながっていくのかもしれません。
参考文献
What makes things cute? https://www.zmescience.com/science/cute-things-feature/ 「かわいい」ってなんだろう:実験心理学の研究で分かったこと https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00755/?pnum=1元論文
“かわいい”に対する行動科学的アプローチ https://doi.org/10.15027/29016