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しかしトキソプラズマに感染しても約8割の成人は無症状で、とくに体調に異常はありません。
残りの2割で発熱や筋肉痛、疲労感があらわれますが、数週間ほどで回復し、慢性状態へと移行します。
ヒトへの主な感染経路は、加熱不十分の食肉や、ネコあるいは他の中間宿主の糞便に含まれるトキソプラズマを何らかの経路で摂取した場合です。
感染者の母親から胎盤を介して、胎児に感染するケースもあります。
そしてこれまでの研究では、この母子感染を除くと「ヒトからヒトへは基本的に感染しない」と主張されてきました。
ところが、チェコのプラハ・カレル大学(Charles University)は2014年の研究で、「男女間の性交渉がトキソプラズマの感性経路になりうる」ことを報告しています。
また同大は2020年にも、いくつかの動物種でオスからメスへのトキソプラズマの性感染が確認されたことを発表。
これを受けて、ヒト間でもトキソプラズマが性感染する可能性は十分にあることを指摘しました。
さらにトキソプラズマが宿主の性交渉に、勢力拡大の活路を見出していることを示すデータもあります。
トゥルク大学の生物学者で、本研究主任のハビエル・ボラズ=レオン(Javier Borráz-León)氏によると、ある研究で「トキソプラズマに感染したオスのラットは非感染のメスに対し、より強い性的魅力を持ち、パートナーに選ばれやすい」ことが判明したのです。
レオン氏は「これと同じ現象がヒトでも見られるかもしれない」と考え、調査を行いました。
チームは、トキソプラズマの感染者35人(男性22人・女性13人)と、非感染者178人(男性86人・女性92人)を対象に調査しました。
参加者は全員(感染者を含めて)健康な大学生で、以前にトキソプラズマ感染を調べる別研究で血液検査を受けています。
ここでは参加者の健康状態や身体測定、外見の評価などを行った結果、驚くべきことに、トキソプラズマ感染者は非感染者に比べて、顔の「左右対称性のゆらぎ(Fluctuating Asymmetry: FA)」が有意に低いことが判明したのです。
FAは、身体の左右対称性のずれを測る指標であり、FAが低い(つまり、対称性が高い)と、身体の健康状態や外見的な魅力の高さに関連することがわかっています。
また女性の感染者は、非感染の女性に比べて、BMI(ボディマス指数)が低く、自分の魅力度を高く評価し、性的パートナーの数も多いことがわかったのです。
さらに205人のボランティアに協力を依頼し、参加者の顔写真を評価してもらったところ、感染者の顔は非感染者よりも有意に魅力的で健康的に見えると評価されました。
こちらは、参加者の顔写真を合成して平均値をとったもので、(a)が感染者、(b)が非感染者です。
※ それぞれ10名ずつの顔写真を合成しています。
これを見ると、男女ともに感染者の方が顔が小さくスッキリしている印象を受けます。
この結果についてチームは、トキソプラズマ感染が宿主の代謝率やホルモンレベルのような内分泌系を変化させることで、見た目を魅力的にしている可能性があると指摘しています。
そしてトキソプラズマ自体は、宿主が魅力的になり、他のヒトをより多く惹きつけることで、感染経路を拡大できるというわけです。
とはいえ現時点では、この研究はサンプル数が少なく結果はすべて推測の域を出ないため、他の解釈も成り立つことをチームは認めています。
たとえば、「タマゴが先かニワトリが先か」みたいな話で、そもそも見た目が魅力的で、性的パートナーが多いから、その分トキソプラズマにも感染しやすいとも解釈可能です。
また別研究では、トキソプラズマに感染した男性は、非感染者にくらべ、男性ホルモンのテストステロン値が高いことを示唆するデータがあります。
しかしこれも、トキソプラズマが男性ホルモンの分泌を活発にしたというより、もともと男性ホルモンが多いから、寄生生物の感染率を高めるようなリスク行動を取りやすかったのだと捉えられるのです。
それから大前提として、トキソプラズマがヒト間で性感染するかどうかも、まだ完全には確かめられていません。
こうした疑問点を解決するためにも、チームは今後、より多くの被験者を対象にした研究を行う予定です。
いずれにせよ、寄生虫の感染によって見た目や性格が変化するという報告は、非常に多岐にわたり存在しています。
人間においては寄生虫の感染が統合失調症に影響するという有意な調査報告があり、その他の生物でも終宿主へ移行するために、寄生虫が寄生したカタツムリをわざと鳥に食べられるように操るという事例もよく知られています。
トキソプラズマも、終宿主のネコへ移行しやすくするためにネズミが感染した場合、ネコへの恐怖心が薄れるという報告もされています。
寄生虫が人間の見た目や行動を変化させることは十分あり得ることなのです。
そう考えると恐ろしい話に聞こえますが、研究者らは「この不可解な寄生生物は、必ずしも私たちの敵ではないのではないか」と考えているようです。
なぜならトキソプラズマは大きな健康被害を必ずしも伴うものではなく、さらに宿主の魅力をあげてくれる作用があるとなると、両者の間には「ウィンウィンの関係」が築かれているのかもしれないからです。
研究者は、もしこの結果が事実なら、ヒトとトキソプラズマとの間には良い共生関係が成立するかもしれないと述べています。
参考文献
Mind-Altering Parasite May Make Infected People More Attractive, Study Suggests
https://www.sciencealert.com/mind-altering-parasite-may-make-infected-people-more-attractive-study-suggests
元論文
Are Toxoplasma-infected subjects more attractive, symmetrical, or healthier than non-infected ones? Evidence from subjective and objective measurements
https://peerj.com/articles/13122/
(2022)
Toxoplasmosis can be a sexually transmitted infection with serious clinical consequences. Not all routes of infection are created equal
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/24986706/
(2014)
Male-to-Female Presumed Transmission of Toxoplasmosis Between Sexual Partners
https://academic.oup.com/aje/article/190/3/386/5905708
(2020)
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: 大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。