はじめに
『月刊旅色』5月号から旅をテーマにしたエッセイ「旅と創造」の連載がスタートした、小説家・漫画家の小林エリカさん。作品づくりでもプライベートでも、国内外あちこちを旅してきたという小林さんに、連載を執筆した感想から普段の旅のスタイルまで、詳しくお話を伺いました。
Text:緒方麻希子
Photo:中川文作
日々の生活の中にある旅に気づく
――――『月刊旅色』での連載がスタートしての感想はいかがですか。
実は、旅そのものについてまとまって書く機会ってあまりなかったんですが、連載をきっかけに自分の過去の旅を思い出したり、忘れていたことにハッとしたり。どこか遠くに行くのではなくて、日々の生活の中にも旅があることをはっきりと意識できるようになった気がします。
たとえばスーパーに行く道のりでも、よく目を凝らして見ると道端に咲いている花や落ちているものがきれいに見えることがあるんです。そういうこと自体が実はすごく旅だと気づくと、お金と時間をかけて遠くへ行かなくても、もっと日々が冒険になる。書いていて楽しいなと思います。
――――海外の滞在経験も多い小林さんにとって「旅」とはどのようなものでしょう。
距離的に遠くへ行くことも旅だし、心とか時間を遡ることも旅ですね。たとえば本を読むことも、映画とかアートもそうだと思うんです。もうここにはない、いない人が書き残した作品とか、今ではない時代にあったものとか、そういうものに触れることも私にとっては十分旅になるんです。
探求心がきっかけで始まる旅
――――実際に旅に出るときのテーマや目的はありますか。
やっぱり心や時間を遡りに行っている気はしますね。書物にも書かれていないようなことのディテールを知りたくなって訪ねていく、深掘りしていくっていうスタイルが多い気がします。
興味を持つのは、過去の人物、時間、目に見えないものが多いです。最近だと『トリニティ、トリニティ、トリニティ』という秋に刊行する小説のために、マリ・キュリーがラジウムを発見した鉱石が取れた聖ヨアキムの谷、というのがチェコにあるんですけど、そこを訪ねてどんな場所か調べてきました。
ほかにもマリ・キュリーが当時食べていた食事を食べてみたくて現地まで足を運んだり。すべてが探求の旅ですね。「知りたい!」に伴って行き先も決まるんです。
――――探求心が旅のきっかけなんですね。国内だと、どこか気になっている場所はありますか。
東京の街を歩くと、たとえば巣鴨プリズン跡地がサンシャインシティになっているとか、ものすごく過去だと思っていた戦時中の形跡があちこちで見つかることにすごく驚いて。日本や東京のことって、当たり前に過ごしてきたので考えたことがなかったんですけど、でも、目を凝らしてみるとかなり昔の石碑が立っているようなこともありますよね。
「この場所にはかつてこんなものがあったんだ」という発見に興味が湧いています。そこに目に見えない壮大な時間があると思うと、今一番深堀りしたいのは東京ですね。
旅先での経験が作品に与える影響
――――旅先で必ずしていることはありますか
スケッチブックと決まったペンを持って行って、ドローイングしています。その場でさらっと描くので、10秒もかからないくらいなんですけど。そうして少しの間立ち止まって絵にすることで、自分のなかの記憶が鮮明になるんです。ディテールを描くから、自分が今まで見てなかったようなものが見えてくる。それってすごい発見だし、旅がさらに楽しくなると私は思っています。
あとでスケッチブックを見返したときに、そこの風景だけじゃなくて、その場所にまつわることもたくさん思い起こせるんです。やっぱり日常でも歩き過ぎていくことってすごく多いですから。“ドローイング旅”はそういう意味でもぜひ皆さんにおすすめしたいです。
ゆとりがあれば1日1冊分書くこともあるというB6サイズのスケッチブック。
ここから作品になるものもあるのだそう
――――旅をすることで得た気づきはありますか
この10年間ぐらい、アンネ・フランクやマリ・キュリーにまつわる作品を作っていたので、その足取りをたどるような旅をいくつもしてきました。でも、ずっとやってきて思ったのは、見に行ってはいるけど、実際は何も見えていないということ。放射能だったり、過去の時間というものは、そもそももとから目には見えないものだから。
つい、その土地に行くと全部わかったような気持ちになってしまうけど、全部は見れていないというか、知った気にならない、というのは重要だと気づきました。「見えないものを見に行きたい」ではなくて「見えないことを理解するために旅をしたい」と、最近は思うようになってきています。
――――そう思うきっかけになった旅があるんでしょうか
2017年に東京電力福島第一原子力発電所構内の視察に連れて行ってもらいました。一面銀色のモルタルで覆われていて、そこにはコンビニもある。避難区域解除になったばかりの場所にあったショッピングモールは、私が育ったところにあるような郊外のショッピングモールと何ら変わらなかったんです。
それまではもっと瓦礫や生い茂る草花みたいなもの、イコール、放射能だと思っていました。わたしがいるこことは違う場所を、いかにも何かがありそうに見える場所を、勝手に思い浮かべていたんです。こんなにずっと放射能の歴史を調べて相当書いてきて、放射能は目に見えないものだとわかっていたつもりだったのに、その想像がちゃんとできていなかった、見えないものを見えないまま捉える想像力を持っていなかったと、すごく反省しました。
――――見えないことがわかったということは、作品にも影響していますか。
影響はすごく大きいです。見たい!っていう気持ちでずっと作品を作っていたんですけど、見えないってわかった瞬間、作り方が変わったというか。福島での経験以来、見えないものを何とか見せて納得させるんじゃなくて、見えないままを書けるようにしたいなと思っています。
なので、見えないものは見えないまま読んでもらおうと、意識してますね。結果、相手に委ねることになると思うんですけど。勇気を持って委ねていこうと思っています。
作品に使う紙は3種類のみ、顔料も決まった色のなかから描くという
―――これから生み出される作品の見方が変わりそうです。
この夏に放射能の歴史をテーマにした漫画『光の子ども3』が刊行されるんですが、それこそ漫画を通して、目に見えない放射能のことが読者にどう伝わるだろう、と楽しみではあります。100年以上前の目に見ないものを知ることで、100年後の未来を考えることができるだろうか、とか。
連載「旅と創造」でも、ひきつづき旅と目に見えないものをテーマにしていきます。読者の方が旅を考えるときに、あまり気負いすぎないで「あらゆる状況で人は旅ができる」ということに、気づいていただくきっかけになったら嬉しいです。
◆小林エリカ(こばやし・えりか)
1978年生まれ、小説家・漫画家。小説『マダム・キュリーと朝食を』で第27回三島由紀夫賞候補、第151回芥川龍之介賞候補に。多彩な表現方法で、目に見えないもの・時間・歴史などをモチーフに作品を手掛けている。2019年8月、放射能をテーマに史実とフィクションが交錯するマンガの最新刊『光の子ども3』(リトルモア)が発売予定。2019年8月28日からは国立新美術館にて現代作家6名によるグループ展「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」に参加。2019年9月5日にはロンドンのYamamoto Keiko Rochaixにて個展「最後の挨拶 His Last Bow」を開催予定。秋に小説『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社)の刊行を予定している。
最新刊『光の子ども3』(リトルモア)
マリ・キュリーが放射能を発見してからの歴史に沿って流れてきた物語の舞台が、
今作では日本にも及んでいる。