「スポーツシビック」と通称されるホンダの五代目シビック(EG型)は、湾岸戦争に幕を開け、ソビエト連邦崩壊に揺れた激動の1991-1992年次を代表するイヤーカーである。
『プレイバック・ザ・イヤーカー』では、国内のカー・オブ・ザ・イヤーに輝いた、その年次を代表するクルマたちを振り返る。
◇名前こそシビックだが、まったく違った狙いとデザインを志向
今から30年昔、1991年はイラクのクウェート侵攻に端を発する1月の湾岸戦争で幕を開け、12月のソビエト連邦崩壊で幕を閉じる激動の1年であった。また4月には日本の自衛隊初の海外派遣となる海上自衛隊のペルシャ湾掃海派遣部隊が出発、6月にはかのル・マン24時間レースにおいて、マツダ787Bが日本車として初めての総合優勝を果たすなど、国際世界における日本のプレゼンスにも注目が集まった。
この激動の年次を代表する1台として、日本カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれたのが、ホンダの五代目(EG型)シビック、通称「スポーツシビック」であった。
シビックこそはホンダを世界的規模の企業に成長させた原動力と言ってよく、それだけにその存在は重かった。ゆえに時代が変わり、自動車に対する一般的な要求の傾向が変化しても、それに速やかに対応して、コンセプトを大きく変化させることには抵抗があった。「老舗の看板の重圧」とでも言おうか。
だが、本車はそうしたしがらみを振り払い、名前こそシビックであるものの、まったく違った狙いとデザインを志向して生まれ変わらんとしていた。それゆえに本車がシビックとして二度目のカー・オブ・ザ・イヤー受賞を果たしたというのは頷ける話である。
本車がターゲットにしたのは「当代の若者」だ。それまで重ねた四代で高齢化しつつあったユーザー層を、この五代目で一気に初代のレベルまで、いや、それ以下まで引き下げるのが大きな狙いの一つであった。そこでボディ・デザインが固まる前に、イメージ・コンセプトが作られることになったが、その際に「陽気でエネルギッシュ、そして躍動的なもの」を追求して到達したのが、なんとブラジルの夏を彩るリオのカーニバルとそれを彩る熱狂のサンバのリズムだった。
お名前は伏せるが、筆者は近年、本車の開発に携わられた方と一献交えつつ当時のお話を伺う機会を得たが、その方いわく、結局のところ「サンバ」とは「底抜けに明るいラテンの雰囲気」というフレーズに落とし込まれるが、そう言ってまとめてしまっては面白くない。理屈ではなく、スタッフの感性的な部分を喚起するために一言で「サンバ!!」と言った方が逆にわかりやすかったのだという。
何しろ従来の理屈ずくめのクルマづくりと対極から攻めようとしたので、行き詰まったりすると、とにかく「サンバ!!」と現場で叫んでいたのだとか。「サンバ」というフレーズは開発陣の中で、一種の仲間内の合言葉の役割も果たしていたのだという。
また、会社人、組織人としては、あまり褒められたことではないがと苦笑しつつ前置きして語られたことでは、本車に採用しようとした新機軸について「上」から何か文句を言われた際に、「それはサンバじゃないです!!」と煙に巻く抗弁をしたこともあったという。
こんな話から、開発陣の本車への尋常ならざる力の入れようや、本車の開発にあたって若手の感性を重視していた点が窺える。
◇この1車種で、なんと3種類ものVTECを採用した意欲作
さて、本車は根底からのコンセプト変革に加え、1.3~1.6ℓの直列4気筒の搭載エンジン・ラインナップに対し、完全に実用化の段階に至ったホンダ独自の可変バルブタイミング機構、VTEC(ブイテック)を幅広く採用したことも革新であった。
今さら説明するべくもないが、VTECはバルブの開閉タイミングとリフト量をエンジンの回転数に応じて変化させ、吸排気量の調整を行なう機構。本車ではすでに1989年にインテグラに初搭載された、DOHCエンジンに装備されるいわゆるDOHC-VTECに加え、これが初登場となる、SOHCエンジンに装備された吸気のみ可変するいわゆるSOHC-VTEC、これも初搭載となる、吸気側2バルブのうちの片方を、低回転時にはほとんど開かないように制御することで低燃費・低排出ガス化を達成しようというVTEC-E(ブイテック・イー)の実に3種類ものVTECが投入され、「全方位効率エンジン」をうたっている。
ちなみに本車のエンジン担当チーフエンジニアは、将来技術チームにおいて航空機用ジェットエンジンの開発にあたられていたという異色の経歴の持ち主として紹介されていたが、遡ること30年のこの時点で、よもや「ホンダジェット」が実現するなど、筆者も含めて誰も思いもよらなかったはずだ。
◇4ドア・セダンに「シビック・フェリオ」の名が与えられたのはここから
本車のボディには3ドア・ハッチバックと4ドア・セダンが用意され、後にアメリカ生まれの2ドア・クーペもラインアップされることになる。この代から4ドア・セダンには「シビック・フェリオ」の車名が与えられることになった。
このシビック・フェリオは当時、弊社の社用車(1.5ℓSOHC/VTEC/4ATのVTi)だったため筆者もさんざん乗ったのだが、基本的にはおだやかでリニアなステアリングや快適な乗り心地は、普段使いにおいては概して満足の行くものだった。個人的な話で恐縮だが、筆者がAT車の左足ブレーキをひそかに練習・習得したり、田舎道での雨天急制動でABS作動を体験して事なきを得たのも本車だ。リースアップ後、当時、免許取り立ての弊社の女子社員に売却されたと聞くが、そこまで乗りやすかったクルマだと言えるかもしれない。
かくして本車は好評のうちに1995年9月に六代目(EK型)へバトンタッチする。この六代目もまたシビックとして三度目のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞することになるのだが、それはまた別の機会に。
◇二代目パジェロ、三代目RX-7、三代目BMW 3シリーズなども話題に
さて、この年次には二代目となる三菱パジェロ(V10・V40系)が特別賞に選出されている。パジェロは当時の「RVブーム」の牽引役だったが、長期にわたる開発の末に満を持して発売された二代目は、国内新車月間販売台数1位獲得するなど大ヒットとなった。この2年後、当代パジェロは某テレビ局のゲームバラエティ番組の景品としても供され、番組観覧者による「パジェロ! パジェロ!」の掛け声は当該番組の代名詞ともなったが、我われ庶民にとっては「憧れのクルマ」の1台でもあった。
また、この年次からRJC(日本自動車研究者・ジャーナリスト会議)によるRJCカー・オブ・ザ・イヤーが始まり、こちらはマツダのアンフィニRX-7(FD3S型)が受賞している。これもまた、マツダのル・マン24時間レース優勝のニュースとあわせ、この年次のイヤーカーとしてふさわしい選択である。同賞のインポートカー・オブ・ザ・イヤーにはBMW 3シリーズ(E36型)が選ばれる一方、テクノロジー・オブ・ザ・イヤーには、五代目シビックに搭載されてデビューとなったホンダのVTECが選ばれていた。