4ストロークエンジンによるレースシーンにおいて世界的な活躍を繰り広げているヤマハ発動機。かつて「2スト専業メーカー」とも言われた同社が4ストロークエンジンの分野で躍進していった背景にはレーシングエンジン開発を通して培ったトヨタ自動車との密接な関係があった。
TEXT:高橋一平(TAKAHASHI Ippey)PHOTO:桜井淳雄(SAKURAI Atsuo)
*本記事は2010年12月に執筆したものです
現在、オートバイのメーカーとして広く知られ、「オートバイのF1」とも言われる世界選手権「MotoGP」の第一線で活躍を続けているヤマハ発動機(以下ヤマハ)。同社がMotoGPに投入していたレースマシン、YZR-M1はわずか800ccの排気量から200psを優に超えるパワーを搾り出し、その最高回転数は20000rpmにも届くと言われている。そして、その技術がフィードバックされ、世界的に高い人気を誇る市販モデルYZF-R1は1000ccながらに145psを発揮するという超高性能車で、これらはいずれもDOHC4バルブの4気筒エンジンを搭載。YZR-M1についてはF1と同様のニューマチック式のバルブスプリングが採用されるなど、4ストロークエンジンに対する高い技術力は同社を特徴付ける要素のひとつとなっている。
しかしながら、ことレースシーンに限って言えば、4ストロークエンジンを使用するレースで同社が頭角を現したのは1980年代も半ばを過ぎた頃からのこと。1955年に初めての市販モデルとなるYA-1(2ストローク単気筒125cc)を手掛けて以来、常にレースシーンでの活躍を続けてきた同社ではあったが、そこで扱われていた技術は2ストロークエンジンに関するものが中心で、同社が初の4ストロークエンジン搭載車であるXS-1(OHC2バルブ2気筒650cc)を発売したのは1970年のことだったのである。
そもそも、ヤマハにおける4ストロークエンジン技術の源流は、1960年代にスタートしたトヨタ自動車(以下トヨタ)との技術提携に始まる。レースシーンでの活躍や、市販オートバイで好調な実績を築いていたヤマハは、かねてから自動車メーカーへの発展を模索、その一環としてトヨタとの関係を結び、後にトヨタ7として広く名を知られることになるレーシングマシンのエンジン開発に深く関わっていた。そしてこの流れが後にトヨタ2000GTのプロジェクトとして発展していくこととなり、1600GT、そして2T-G型エンジンの開発に始まるトヨタ量産DOHCエンジンの開発生産へとつながり、ヤマハは4ストロークエンジンに関する技術を蓄積していった。
ちなみに前述のXS-1のボア×ストロークは75mm×74mmと、ストロークがわずかに1mm短いだけで2000GTの3M型エンジン(75mm×75mm)とほぼ共通となっており、エンジンの試作は3M型のピストンを流用したものからスタートしているという。バルブトレーンの形式こそ3M型はDOHC、XS-1はSOHCと異なっているが、1気筒あたり2バルブの半球型燃焼室と共通点も多い。
そして、XS-1から3年後の1973年には、ヤマハのオートバイとして初となるDOHCエンジン搭載モデル、TX500が登場。73mm×59.6mmというボア×ストロークをもつ2気筒500ccエンジンには、1気筒あたり4バルブという、当時としてはレーシングマシン以外にあまり見ることのできなかったメカニズムが採用されている点が興味深い。
これは前述のトヨタ7や2000GTに関わった際に、トヨタとの共同作業を行なったヤマハの技術者たちの存在が大きく、この陣営によって1985年には「ジェネシス」と呼ばれる設計コンセプトを掲げたニューモデルFZ750が登場。現在のYZF-R1に続く市販モデルの流れがここに始まっている。
ちなみにこのFZ750は1気筒あたり5バルブという機構を量産エンジンで初めて実現、採用したモデルで、並列4気筒のDOHCエンジンは現代のものと比べても遜色のない、扁平の燃焼室を備えており、シリンダーを大きく傾けることで、吸気ポートを直線的かつ垂直に立ち上げたレイアウトを持つなど、極めて先進的なメカニズムを持っていた。
この「ジェネシス」コンセプトは、FZ750よりも排気量の小さい、400ccや250ccのモデルにも順次採用されることになり、特に250ccのFZ250フェーザー(1985年)においては、小排気量ながらに1シリンダーあたり4バルブのDOHC4気筒エンジンという精緻なメカニズムを採用し、最高回転数は16000rpm(レッドゾーンは15500rpm)、最高出力45ps/14500rpmという当時としては高い性能を発揮し、世界中を驚かせた。45psという数字は、同社が得意としていた250ccクラスの2ストロークエンジンの最大出力と同じもので、これを目標に開発を進めたことは「2ストロークのヤマハ」という評判を持っていた同社の、自らに対する挑戦でもあった。
こうしたオートバイの研究開発、および販売といった、ヤマハの「生業」と並行するかたちで、エンジン開発におけるトヨタとの業務提携は順調に続けられ、1980年代に入ると、1G-GEU型、4A-GEU型といったエンジンを手掛け、1985年には前述の1気筒あたり5バルブを採用した、OX66型と呼ばれるV型6気筒2000ccのF2用レーシングエンジンを開発。1987年にはF3000用として、コスワースDFV型をベースに5バルブ化したOX77型を発表するなど、ヤマハ独自のプロジェクトとして自動車レースへの挑戦を開始する。
そして1989年にはモータースポーツの頂点であるF1に、エンジンサプライヤーとしての参加を開始。1989年はV型8気筒のOX88型をザクスピードに供給。1991年から1992年にかけては、F1においても最高峰のメカニズムと言えるV型12気筒に5バルブ技術を投入したOX99を投入(1991年はブラバム、1992年はジョーダンに供給)。1993年からはジャッド製V型10気筒をベースとしたエンジン(OX10)に変更するなど、1996年に再びフルオリジナルのV型10気筒OX11Aを投入(ティレルに供給)するまでの間に、あらゆるトライを繰り返しながら、ノウハウを蓄積していった。
F1へのチャレンジはアロウズへの供給を行なった1997年を最後に終了となったが、2002年、それまで2ストロークエンジンによって行なわれていた、オートバイレースの世界選手権において、環境問題を背景とした大幅なレギュレーション変更がなされたことで、4ストロークエンジンで争われるようになると、ヤマハは990cc4気筒の4ストロークエンジンを搭載した、レース専用のプロトタイプマシンYZR-M1を開発。2ストロークエンジンと比べれば、共通点がはるかに多い4ストロークのレーシングエンジンということで、F1時代に得られた技術が惜しみなく投入された。
特に、排気量が800ccへと縮小された2007年以降は、縮小分のパワーダウンを回転数で補うべく、熾烈なまでの高回転化競争が繰り広げられており、最高回転数は20000rpmと、もはや動弁系の追従性が難しくなるレベルまで達しているということで、ヤマハではOX11型エンジンなどで採用した実績を持つ、ニューマチック式のバルブスプリングを導入。2008年から現在に至るまで、ここ数年の間チャンピオンの座に君臨し続けている(ライダー、コンストラクター共に)。
なお、ヤマハによるMotoGP用のレースマシンには、極めてコンベンショナルな並列4気筒というシリンダー配置を持つエンジンに、90度毎の等間隔でピンを配置したクロスプレーン型クランクを組み合わせるというという独創的な手法が用いられている。並列(または直列)4気筒エンジンには180度の位相角でピンを配置したクランクシャフトが一般的で、また最良の選択とされているということは言うまでもないことだが、これをあえて前述のようなクランクを採用していることには、オートバイならではの特殊な事情が存在している。
駆動輪がひとつしか存在せず、大きく傾斜することで旋回するオートバイでは、アクセル操作に伴うタイヤと路面との間の摩擦状態の変化にライダーは全神経を傾ける。これを阻害する要素として、ピストンの上下死点で生じるスピードの低下と回転の変動という要素が挙げられるのだが、ヤマハによれば、ピストンの位置が分散する90度位相のクランクならば、これが改善できるという。重箱の隅をつつくような細かいことではあるが、足よりも繊細な感覚を持つ手指でアクセルを操作するオートバイでは、このような要素が重要になってくるのだ。
自動車とオートバイ、ふたつの世界におけるエンジンを知り尽くしたメーカー、ヤマハ。自動車ならではのロジカルなシビアさと、オートバイに求められる細やかな感性と、趣味性。こうした要素の融合こそが、歴代のトヨタ製DOHCエンジンに味わい深い“コク”を与えていたスパイスの正体なのだ。