次世代自動車の鍵を握るリチウムイオン二次電池。その開発は、世界規模で激烈を極めている。この分野で日本が先行しているのは事実だが、アドバンテージをどこまで生かせるか、正念場を迎えつつあるものまた事実だ。電池開発で世界のトップを走るエナックスの高崎隆雄EV事業部長に、電池開発の舞台裏について聞いた。
*本記事は2008年1月に執筆したものです
エナックスは、ソニーでリチウムイオン電池開発に携わりバッテリー事業本部統括部長だった小澤和典氏が1996年に立ち上げたバッテリー開発・製造のベンチャー企業だ。リチウムイオン電池に関する技術力は世界屈指で、様々な自動車会社、電池開発との共同開発を行なっているという。
MFiでは「エレクトリック・ドライブ」の最大のキーポイントとなる電池について、エナックスのEV事業部長・高崎隆雄氏に“電池開発の現場、そしてその課題”について伺った。以下は、インタビューの内容を編集部でまとめたものである。
リチウムイオン電池をめぐる世界各国の状況は、日本の戦国時代の状況と似ている。すなわち、どのメーカーも等しくデファクトスタンダードという“天下”を取る機会に恵まれ、企業の規模に左右されない。今はかなりの勢力を持っているように思えるが、“技術”という武器でいつ寝首をかかれないとも限らない。まったく先行きが見えず、意外な伏兵が潜んでいる。そんな状況にある。
現在、EV/HEVの駆動電源として搭載されている二次電池は、ニッケル水素電池が主流である。これは、トヨタ「プリウス」がバッテリーに採用していることが大きな理由だ。その一方で、自動車用二次電池としての研究開発の主流は、リチウムイオン電池に移行している。
リチウムイオン電池は、1991年に日本のソニー・エナジー・テック社によって、世界で初めて量産された。従来のニッケルカドミウム電池(ニカド電池)やニッケル水素電池に比べて、エネルギー密度に優れている点に優位性がある。例えば公称電圧については、ニッケル水素電池が単セルで1.2Vだったのに対し、リチウムイオン電池は3.6V程度。つまり、ニッケル水素電池に比べて、およそ1/3で同程度の性能を保有できるということになる。
その一方で、課題となるのがコストと安全性である。携帯電話やノートPCなどの比較的小さなバッテリーには、正極の素材としてコバルト酸リチウムが使用されるが、ご存じのようにコバルトはレアメタルであり、自動車用二次電池に使用するには難しいものがある。量産化をも視野に入れ、コストの低減が今後の大きな課題である。
もうひとつの課題・安全性については、2006年の「リチウムイオン電池騒動」をご記憶の方も多いだろう。リチウムイオン電池は、過充電となると発熱、破裂、発火などの重大な症状を引き起こす。「ニカド、ニッケル水素の単三電池」がすっかり一般的になった一方で、リチウムイオン電池がいまだにセル単位での入手は極めて難しく、充電保護回路を備えたバッテリーパックでしか購入できないのはその理由による。
ここで、二次電池の構造と仕組みについておさらいしておこう。二次電池の内部は正極と負極、セパレーターからなり、それらを幾重にも積層することでひとつのセルが形成される。その中に電解質を満たし、正極→負極の電子の流れを充電、負極→正極の流れを放電としている。リチウムイオン電池は、正極にコバルト、マンガン、鉄などの化合物を、負極にはカーボンなどの炭素を配合し、電解質には有機溶剤+リチウム塩を使用する。
しかし実際には、コバルトならコバルト単体で正極が形成されているわけではなく、多くの素材を配合して作られている。その組み合わせによって性能が大きく左右されるため、リチウムイオン電池は発展途上である。
もうひとつのリチウムイオン電池にまつわる大きな足枷が、特許の問題だ。リチウムイオン電池は、1991年にイギリスの原子力公社(現AEAテクノロジー社)が基本特許を取得し、そのために研究開発を進めんとする企業や団体は、彼らにライセンス料を支払う必要があった。その額は実に数億円とも言われ、長らくリチウムイオン電池開発が足踏みを余儀なくされた一因ともなっている。数年前から急激に市場に現れ始めたのは、その基本特許の期限が切れたためで、そこから世界各国の企業や団体が一斉に研究開発を開始し、リチウムイオン電池の性能は日々向上することとなった。
余談になるが、最近、HEVおよびFCVに大きなニュースがなく、EVおよびプラグインHEVに各社のリソースがシフトしているのにも、リチウムイオン電池の性能が大きく飛躍したことに理由がありそうだ。バッテリーの性能が著しく高まった昨今において、あえてわざわざモーター+エンジンの二倍の手間をかけなければならないHEV、電気分解で水素を生成し再び電気を生み出すFCVの有用性は、もしかすると小さくなっているのかもしれない。
閑話休題。しかし特許問題は相変わらずリチウムイオン電池を悩ませ続けている。基本特許は期限切れを迎えたものの、周辺技術の特許について、各社がめいめい申請し、取得しているからだ。電池の製造はがんじがらめになっている。電極の出し方、リード線の配線、締結ボルトの通し方、何から何まで、である。
だから実は、かなりの性能を有する製品というものは、実現不可能ではない。阻んでいるのは、各社の保有する特許である。あるメーカーが画期的なリチウムイオン電池製品を編み出したとする。しかし、その製品が世に放たれることは、まずない。製造過程や製品仕様において、他社の特許を侵害していない可能性が皆無に等しいからだ。発表前夜まで特許の網をかいくぐる努力を必死に続け、しかしどうしてもかなわずに陽の目を見なかった例は枚挙に暇がないという。
こうしたゆがんだ状況を生み出してしまった一因には、各社が「とにもかくにもリチウムイオン電池が次世代の主流である」と見なしていることがある。リチウムイオンを制するものは市場を制す、の図式である。そこにおいて脱落する者は、すなわち退場を余儀なくされる。したがって、各社は躍起になって技術を研鑚し、研究を重ねて、特許を取得する。皮肉な話である。
そうした状況をいち早く脱したのが、ヨーロッパだ。例えばドイツでは、国の指導によりリチウムイオン電池の研究開発と製造を数社に絞ることで、リソースを集中し、効率的に自動車メーカーに分配できる策を編み出した。現在ではリチウムイオン電池の技術については日本がトップレベルをいっているが、この状況が続けばヨーロッパに追い抜かれるのは時間の問題。わが世の春を謳歌していた今川義元が桶狭間の戦で“下克上”に遭わないためには、抜本的な対策が要されるのだ。