
静岡・三保レトロカーフェスティバル2021&いすゞ+スバルミーティング会場の模様をレポート。主催クラブがいすゞジェミニを対象としていることから、いすゞ車が数多く集まった。今回は最も多い台数を記録したいすゞの名車、ベレットを紹介しよう。
REPORT&PHOTO●増田満(MASUDA Mitsuru)
人気のGTRをはじめ多くのいすゞベレットが参加


第二次大戦後にイギリスのルーツグループと提携してヒルマン・ミンクスのノックダウン生産を開始した歴史を持ついすゞ自動車。ノックダウン生産で学んだ技術を生かして1962年に2リッターのガソリンとディーゼルエンジンを積む4ドアセダン、ベレルを発売。その小型版として1963年に1.5リッター・ガソリンと1.8リッター・ディーゼルを搭載するセダンとして発売されたのがベレットだ。
セダンでありながらスポーティな操縦性を備えていたことで、1964年には日本で初めてGTというグレード名をつけた1600GTが発売された。初期型は残存率が極めて低いが、この日は1966年に4灯式から2灯式になった珍しいGTを見つけることができた。


1966年のマイナーチェンジで趣を変えたベレットだったが、あまり評判はよくなかったようで、1968年3月には再度ヘッドライトが4灯式になるマイナーチェンジが1600GTを対象に実施された。おそらく現存数が最も多いのがこの中期モデルで、後発のGTであるスカイライン2000GTより高かった価格を引き下げるなどしていた。

1600GTが2灯式になった1966年はベレットの変革期であり、GTのマイナーチェンジが9月に、同年11月にはセダンBと1500スポーツがラインナップに加わる。セダンBは楕円の異形2灯ヘッドライトを備える姿が印象的だったが、今回のミーティングには残念ながら参加なし。1500スポーツは1500セダンのエンジンにツインキャブレターと前輪ディスクブレーキを装備するモデル。2ドアと4ドアが存在した。
この日は1968年のマイナーチェンジで排気量を1600とした2ドアセダンの1600スポーツが参加していた。これまた非常に残存率の低いグレードだ。

日本初のGTとなったベレット1600GTはツインキャブレターや前輪ディスクブレーキといった装備を持ち、レースでも大活躍。この1600GT人気に後押しされたモデルとして、意欲的なモデルが1966年に追加発売される。それが写真の1600GTファストバックで、クーペのルーフを伸ばしてテールエンドまでなだらかなラインとしている。
実にこのボディのため生産は手作りのハンドメイドとされ、新車価格は99.2万円。クラウンやセドリックの低グレードより高価だったこともあり、総生産台数は400台にも満たない希少車。それなのに、この日は3台のファストバックが参加していた。



レースで大活躍したベレット1600GTだが、2リッターの格上となるスカイラインGTがその前に立ち塞がる。さらにはトヨタからDOHCエンジンを搭載するトヨタ1600GTが発売され、主導権争いは熾烈を極めた。この状況を打破したのが1969年2月発売のスカイラインGT-R。2リッターDOHCエンジンをひっさげ、レールで無敵を誇るようになる。
遅れて1969年10月、ベレットにもDOHCエンジンがラインナップに加わった。それがベレット1600GTRで、エンジンは117クーペに採用された1.6リッターDOHC。今でも高い人気を誇るベレットの最終進化形で、数多くの参加車が見られた。





1600GTとGTRでは二分割されたフロントバンパーと、その間にあるフォグランプなど外観上での識別点がいくつかある。また艶消し黒のボンネットやサイドストライプなどがオプション設定されていた。
ベレットは1971年にシリーズ全体でマイナーチェンジが実施される。この時からヘッドライトには樹脂製のグリルが採用されテールランプが大型化している。これを最終型と呼び、この日は2台の最終型GTRを見つけることができた。


ジェミニ&ピアッツァ、そして今回のベレットと紹介してきたいすゞ車だが、まだまだ多くの参加があった。次回も引き続き紹介していきたい。