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【静岡・三保レトロカーフェスティバル2021&いすゞ+スバルミーティング/ジェミニ・ピアッツァ編】


コロナ禍により各地で開催予定だったクルマ系イベントは、ほとんどが中止を余儀なくされた。それでも屋外で密を避け、感染対策を参加者に促すことで開催されたイベントもある。今回は2021年2月28日に開催された三保レトロカーフェスティバル2021の会場から、いすゞジェミニとピアッツァを紹介しよう。




REPORT&PHOTO●増田満(MASUDA Mitsuru)

ピアッツァのハンドリング・バイ・ロータスやPAネロも登場

主催クラブ「ジェミニオーナーズクラブ フロントロウGコネクション」は、毎年のようにいすゞ車のミーティングを開催してきた。クラブ自体が結成から30年近く経つ老舗のため毎年盛況を呈していたもので、過去にはオールジャパンいすゞフェスティバルと題して大々的なイベントも成功している。それだけにコロナ禍により恒例のミーティングを中止にしたくないという思いがあったのだろう。

東海大学自然史博物館の駐車場を舞台にいすゞ+スバル車たちがミーティングを開催。

会場で参加者のなかから有志が集まり記念撮影も行われた。

事前に問い合わせたところ、感染対策を参加者に促すとともに、屋外かつ密を避けることで開催は可能と判断されたとのこと。2月最後の日曜日、三保の松原もほど近い静岡県の東海大学自然史博物館の駐車場を舞台に、レトロカーフェスティバルとしてメーカー問わず参加可能なミーティングを開催された。




まずは主催クラブの対象であるジェミニ、さらにはピアッツァから紹介しよう。

初代後期のPF60ジェミニ。

ブリスターフェンダーにされたPF60ジェミニ。

ジェミニは1974年にベレットの後継車として発売されたため、当初の車名はベレットジェミニだった。翌年には単にジェミニを名乗るようになったが、それだけベレットが偉大な存在だったということ。初期のジェミニは逆スラントノーズのデザインでオペル・カデットの兄弟車として開発されたが、1979年のマイナーチェンジでスラントノーズへデザイン変更している。この日参加したのは、このスラントノーズになる後期型が2台だった。

2代目FFジェミニの後期型。ZZハンドリング・バイ・ロータスだ。

ジェミニは1985年に駆動方式をFRからFFへと転換。車名もFFジェミニとなった。1.5リッターのガソリンとディーゼルエンジンを用意しつつ、初代で兄弟車だったオペル・カデットと切り離されいすゞが開発を担当している。この2代目にはターボエンジンのイルムシャーや、電子制御5速ATのNAVi5なども用意されスポーティさを訴求していた。

2代目ジェミニのセダン・ZZハンドリング・バイ・ロータス。
若干カスタムされた2代目ジェミニの後期型。

1987年のマイナーチェンジではフロントスタイルを大きく変えて後期型へ移行する。その翌年には1.6リッターDOHCエンジンを採用しつつ、サスペンションセッティングをイギリスのロータスが担当したハンドリング・バイ・ロータスが新設定された。この日は後期型の参加が多かった。

3代目ジェミニのスポーティグレード、イルムシャー。

3代目ジェミニのクーペ版であるPAネロ。

1990年にジェミニは3代目へとフルモデルチェンジを果たす。この代でも1.5リッターガソリンのほか、1.7リッターディーゼルエンジン、1.6DOHCが用意され、新たに1.6DOHCターボも加わった。足回りでは後輪に4WS的な作用をする、開発者の名前を取り入れたニシボリック・サスペンションが採用された。意欲的な機構だったものの当時の評論家たちに酷評されたこと、バブル景気の崩壊などが重なり販売台数を大きく落ち込ませてしまう。




この3代目をベースにクーペボディが与えられたのが1990年に発売されたPAネロ。アメリカ市場をメインターゲットとして、現地ではGMからジオストームの名で販売された。車名ネロとはヤナセ専売車に与えられたもの。

PAネロのジェミニ版ともいえるジェミニクーペ。

ヤナセ専売車といえばピアッツァ・ネロだった。そのピアッツァもモデルチェンジして2代目になったが、似ているもののPAネロとは別のモデル。また本家ジェミニにも同じボディのジェミニクーペが追加されたため、非常にわかりにくい車種構成でもあった。

117クーペの後継車、ピアッツァ。

 いすゞは1968年にいすゞ117クーペと呼ばれた流麗な2ドアモデルを発売する。カロッツエリア・ギアに在籍していたジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたボディは当初、プレス技術が低かったこともあり手作りによるハンドメイド生産だった。モデル途中からプレスによる量産体制が整い、いすゞを代表する車種として販売台数を伸ばす。高い人気を維持したため、実に1981年まで生産された長寿モデルでもあった。


 この117クーペをフルモデルチェンジする形で新発売されたのがピアッツァだ。やはりジウジアーロがデザインしたアッソ・デ・フィオーリをベースに量産化したもので、先進的なデザインだった。

深リムなホイールによりツライチになったフェンダーが決まっているピアッツァ・ネロ。
アルミホイールを変更しているハンドリング・バイ・ロータス。

 先代モデルの117クーペが13年も作り続けられたことに対し、ピアッツァも1981年から1991年と10年もの長きに渡る長寿モデルになった。それは発売時から完成していたスタイルと普遍的な走行性能によるものだろう。また輸入車を取り扱うヤナセでもピアッツァ・ネロという専用車名が与えられて販売されたことなどが、価値観の低下を防ぐ一因だったかもしれない。両車の違いはごくわずかで、1984年からネロに角形4灯式ヘッドライトが与えられたことくらいだろう。

角形から丸形へヘッドライトを変更しつつエアロパーツを装着したカスタム車。
フルノーマルを維持しているハンドリング・バイ・ロータス。
エアロパーツにより大きく印象を変えた2代目ピアッツァ。

1991年にフルモデルチェンジしてピアッツァは2代目へ移行する。PAネロはジェミニクーペと見間違えそうだが、2代目ピアッツァには可動式ヘッドライトカバーが装備されているのが特徴。この日は2代目ピアッツァの参加は1台だけで寂しかったが、新車時から人気モデルとは呼べなかったことを反映してのことだろう。

今回のレポートではジェミニとピアッツァを紹介したが、次回以降もいすゞ&スバル、その他のレトロカーたちを順次紹介する予定なので、お楽しみに。

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