日本を守る陸・海・空自衛隊には、テクノロジーの粋を集めた最新兵器が配備されている。普段はなかなかじっくり見る機会がない最新兵器たち。本連載では、ここでは、そのなかからいくつかを紹介しよう。今回は、陸上自衛隊:91式戦車橋である。そもそも「戦車橋」とはなんだろか?
TEXT&PHOTO◎貝方士英樹(KAIHOSHI Hideki)
5分で20mの橋を架ける支援特殊車両
戦車が開発され、第一次世界大戦で初めて戦場に投入されると具体的な戦い方や戦略も大きく変化した。戦車の運用は第二次世界大戦になると発展し、陸上戦闘の中核となった。戦車を押し立てて歩兵やその他の軍種が共同して進撃し、相手を制圧したり、領土を奪い合ったりして決着をつけてきた場合が多い。
しかし戦車を前進させ続けるのは想像以上に手間がかかるようだ。戦車を使うには弾薬や燃料、予備部品や整備資機材など膨大な物資が必要で、それらも同時に前進させる必要があるからだ。また、戦車とともに戦う歩兵や砲兵などの戦闘部隊も戦車と歩調を合わせないと効果がないから、必要な集団全体を前方へ移動させることはさらに労力を要するものとなる。
前進路が破壊されるなどして途絶した場合、迂回路を探すなどして、結果的に前進速度は落ちてしまう。進行が遅れると作戦全体に影響して勝てる局面を失うかもしれないから、前進は可能な限りスムーズに行ないたい……前置きが長いが、こうしたニーズで開発されたのが「戦車橋(せんしゃきょう)」などと呼ばれる支援特殊車両だ。その多くは先の大戦中に戦闘工兵が扱う多種類ある渡河機材のひとつとして開発されたもので、架橋戦車とも呼ばれる。従来の渡河作戦では、人力で仮設橋や船を転用した橋を架けていたが、戦車等の走行速度・性能向上に合わせてこうした工兵・輸送・兵站機材も機械化・機動化・高速化する必要があった。それでも当初の戦車橋は、強引に積んだ橋を必要な場所へ落とすだけのものだったらしい。そして、スタックした戦車を助け出す戦車回収車などとともに戦車橋は、機甲戦力システムのバックアップとなって進化する。
東西冷戦の時代には、陸続きの欧州大陸で大規模な戦車戦が予想された。機甲戦力システムのひとつとなった戦車橋は欧州諸国を中心に開発が進み、搭載する橋の長さや幅を大型化させ、必要な戦力として足場を固めていった。
陸上自衛隊にも「91式戦車橋」がある。90式戦車(重量約50トン)を通行させる目的で開発された車両だ。90式戦車のほとんどは北海道の部隊に配備されている。90式戦車は冷戦時代に主に旧ソ連の脅威に備えた装備だから北海道に重点配備された。91式戦車橋もこれに合わせ、教育用車両などを除くほとんどが北方の施設科部隊に配備されている。
ちなみに、戦後初の国産戦車「61式戦車」の車体を使った「67式戦車橋」が初の国産架橋戦車だそうだが、ごく少数の生産と配備数だったという。部隊規模に合った量産装備という点ではこの91式戦車橋が実質的な実戦装備になる。とはいえ91式戦車橋も少数には違いなく、年間の生産台数は数量程度で、現在の全体数では約十数両の保有数のままであるはずだ。
91式戦車橋は74式戦車の車体に、2分割された橋梁部を積載している。橋梁部は前後にスライドして完成する。橋梁部は油圧装置で作動し、設置時間は約5分だという。架橋した状態の橋梁部の寸法は、全長約20m(有効長約18m)、幅約3.9mと大型なものだ。つまり、川幅20mほどの河川や地隙(地表の亀裂や隙間)などに橋を架け、後続車両などを通行させることができる装備、というわけだ。
橋の設置はまず、橋梁部の下半分を押し出して、上部と結合し、全体を繰り出して設置する。収容するときはこの逆の作動で回収する。これらの作業は全自動で行なわれ、乗員が外に出る必要はない。車両価格(調達価格)は、2004年時点で1両約5億円。製造は三菱重工業だ。
91式戦車橋は戦車が必要な北海道の各部隊にはこれからも置かれ続けるはずだ。しかし戦車から装輪(タイヤ)式の戦闘車両へ切り替えている本州などの地域では、91式戦車橋が必要なシーンは想定しにくい。本州や離島地域などでは10式戦車(重量約44トン)や16式機動戦闘車(重量約26トン)などを通行させられる他の架橋装備で足りる。こうした点から91式戦車橋は「北海道限定・90式戦車専用対応装備」という一種のガラパゴス化した面が目立つ。
一方で、50トンのキャパを持つ架橋装備があれば、陸自の重量級の車両等のほとんどを通行させることができるわけだから、汎用性の視点も大事だ。有事の状況次第では、北海道の90式戦車を九州などに前進展開させるときに、戦車回収車とともに91式戦車橋も随伴する、こうした運用に備える必要もあるわけだ。